敗北を抱きしめるというより、矛盾に抱きしめられて ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」

私の大学の専攻からすると、今更感が溢れるばかりの本を、今更読みました。実は洋書(原著)でも持ってるんだけど、洋書はかなり覚悟を持って挑まないと、手を出せないので、長らく積読状態・・・そのうちまたちゃんと読もうと思います。

で、まず表紙についてなんですが、下巻の方は東京裁判ってのがすぐにわかるものの、上巻(そして洋書の)表紙は私ずっと「浜辺を歩いている男性」だと思ってたんですね。マジマジと眺めたことなかったし。実はそれが「広島を歩いている男性」と知ったのが、この本で一番の個人的衝撃。よくよく見ると、遠くの方に木がうつってたり、小屋みたいなものもあるので、陸地というのがわかるんだけれども、そのほか「街っぽい」ところが何にもなく、平べったい部分(浜辺に見えたおそらく道路)とちょっと凹凸のある部分(波に見えたおそらくかつて建物のあった区域)から浜辺だろうと勘違いしておりました。原爆がどれだけいろいろな物を吹っ飛ばしていったか、という証左でもあり、それがまた恐ろしい。

さて、肝心の中身は戦後日本のいろいろな側面から論じており、有名な本だからこそ今更私がここでどうのこうの言うのもどうかと思うので、「あくまで私のピックアップポイント」で書かせていただきます。

まず、マッカーサーとGHQが、天皇の戦争責任をなぜ回避したのか?その理由として「占領に役立つ」というのはいいのだが、ジョン・ダワーの書きっぷり(彼自身は天皇の無罪放免に反対の立場の模様)からすると、他に何か理由がありそうに感じてしまう。「占領に役立つ」だけでは、物足りないというか・・・ただ、その他の理由が読めども見えてこないので、非常にモヤるのだ。もちろん、これは単に私の読解力がないだけなのかもしれないが。最終的に戦後の皇居で行われていたというGHQ高官およびその家族を招いての鴨猟(とそれに類するもの)が理由なんではないか?と考えてしまうほど。

そして次に東京裁判について。以前読んだ半藤一利の本に「ナチスと違って、日本の場合は共謀罪が適用できず、最終的になあなあになった」といった趣旨のことが書いてあったんですが、今回「敗北を抱きしめて」を読んで、なるほどこれは確かにそうだったのだな、と。確かに、1933年からずっと継続して、同じメンバーが政府を取り仕切り、同じメンバーがそのまま「人道に対する罪」を犯したナチスと違って、同じ期間に12人も総理大臣が変わってるし、メジャーなところで日中戦争を始めたのと、太平洋戦争を始めたのは(もちろん、全く無関係ではないのだが)違う内閣で違う理由からである。誰かがわかりやすく「一番悪い」状態ではないが、それがわかりやすかったナチスのときの基準をそのまま適用してしまったのが東京裁判の問題であり、そのような問題を孕んだままに進めてしまったから、いまだに歴史観が二分されている、ということなのでしょう。ものすごくはっきり言えば「日本人に言い訳の余地が残されてしまった」ということか。

「言い訳の余地が残されてしまった」というのは、実は他のGHQの政策でも同じで、先に取り上げた天皇の戦争責任もそうだし、かなり理想主義的な憲法の中身をきめておきながら [1] … Continue reading、それに反するかのような施策を占領末期に行う、民主主義や自由を称賛しつつも、反体制的なだけではない、今考えると「?」なものまで検閲をするなど、結構ダブルスタンダードが甚だしいような・・・そのままここまで来てしまった日本は、そのダブルスタンダードを抱えたままにするのか、それともそれを解消するのか、どこかで決めなければならないし、決め方をミスるとまたもや取り返しのつかないことなることになるでしょう。どっちに転んでも。

最後に私の気分を表している部分を引用して終わります。

この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである。

下巻 P227

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1 私個人としては、憲法については不勉強で意見を言える立場ではないのですが、今回ジョン・ダワーの本を読んでこのままでもいいのかもしれない(でもよくわからん)と思ったということだけは、書いておきます。

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