Archive for the ‘アメリカ’ Category.

帝国の残照

コ、コソボが独立したっ!!(←ソースは英語)

なんていうのか、バルカンは専門範囲外だったので、全然気にしていなかったのです。(広い意味では専門ですけど、狭い意味では東アジアの安全保障問題(含・ロシア&アメリカ)なのです、一応。)セルビアは制裁する意向のようですね・・・さて、どうなることやら。因みにバルカン半島と言えばやっぱり旧ユーゴスラビア側が有名ですけど、個人的には逆側(ルーマニアとか)も結構ややっこしい歴史があって苦手です。第一次世界大戦の参戦過程とか3回読んでやっと理解出来たし。大戦後の歴史は未だに理解出来てないし!ややっこしいことこの上ないですけど、結構重要な地域だからちゃんと押さえておきたいです。あ、後どうでも良いですけど、新しいコソボの国旗は結構カッコいいですね。日章旗は兎も角、私のお気に入りであるブータンの国旗と良い勝負です。そういや、歴史の授業で第一次世界大戦後の国境問題についてやってたんですけど、「ルーマニアの北西部には誰が住んでいたか?」という質問に対して、「ヴァンパイア」と答えるアメリカ人、嫌いじゃないぜ・・・(本当の答えはハンガリー系)

ウィルソン大統領のリサーチはとうとう「対華21ヶ条の要求」まで進みました。ここでもやっぱり人種差別問題が絡んでます。「日本がカリフォルニアの排日運動の件について黙るんだったら、南満州くらいくれてやった方が得じゃね?」とか言っている政府高官もいましたし・・・それと、この時点で既に「第一次世界大戦の後は日米戦争」と予測している人が多いという点。イギリスの様子を伝える手紙(電報かも)では「まぁぶっちゃけ、イギリス人は日英同盟そんなに好きじゃないようですよ」とか報告していますし、「この戦争が終わったら、ドイツ、ロシア、日本が同盟を組むかもしれない」と考えている人もチラホラ。こうやってみると、日米間の戦争は根が深いんですよね・・・後、アメリカの対中政策である「門戸開放」なんですけど、あるときはアメリカの純粋な利権追求に使われ、またあるときは中国人に対する人道的思想に使われ、定義が結構アヤフヤであるように思えます。どうもこの辺は、F・ローズベルトの親中政策、そして今の民主党まで、思想的影響がある気がするので、もう少しちゃんと調べてみたいです。出来れば、ローズベルトの資料も(今やっているみたいに)全てさらってみたいなぁ。因みに、今のところウィルソン大統領に対する私の印象は「八方美人」、これに尽きます。

んで、今までに観た映画の感想。沢山あるから簡潔に。

1)大いなる幻影
フランス映画の方です。英語字幕で観たのでいまいち掴めたような掴めなかったような感じなんです。かの有名な「この戦争(第一次世界大戦)は貴族の終わり」というシーンはさておき、「フランス人の貴族って、あれ?ナポレオン後の出戻り組?」とか自身の知識の無さがネックだったとでも申しましょうか・・・「貴族は教養がある=フランス人貴族とドイツ人貴族が英語で会話をする(下流の人間には理解出来ない)」というその当時の身分社会を示すシーンでも「あ、あれっ!?字幕が消えた!・・・ン、英語で喋ってるのか?」とアタフタしたし。極めつけは、キャラクターの区別がつかなかった事。主人公の一人であるフランス人貴族を私は当初、「タラン(整形前)」と識別していたんですが、沢山いたよ・・・タランが・・・orz

2)戦艦ポチョムキン
この映画についてクラスの前で発表しなくてはいけなかったので、なかなか感想らしい感想が無いのですが、意外とあれこれ暗喩的な部分が多いのでそういった目線でみると楽しいと思います。階段を転がり落ちる乳母車は有名ですね、はい。

3)嘆きの天使
ドイツ人が英語で喋っているバージョンを観たので「大いなる幻影」以上に色々大変だったのですが、一緒に観た人が漏れなくド鬱になったというくら〜い映画。主人公の落ちぶれ方が第一次世界大戦前後のドイツを暗に意味しているとも取れるし、また同時に、知識人の凋落とも取れるかと・・・しかし、本当にくら〜い映画です。

4)博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
思ったよりも短い映画。やっぱりキューブリック好きです。個人的には「ピンクパンサー」でも有名なピーター・セラーズが良い演技(3役)かと・・・偶然の偶然が積み重なって、核戦争へ突入していく様はホント、怖くなります。良く50年近くそのような偶然が起こらなかったものだ・・・そう考えると核の拡散というのはなんとしても阻止すべきことだと思いませんか?

最後にどうでも良いんですが、歴史の授業では、もうそろそろナチスに突入するんですね。んで、ナチスに関する論文集を読んでいるのですが、やれ「ヒトラーは自殺願望があった」「誇大妄想癖だ」「マゾだ」「本読んでいるって『我が闘争』に書いてるけど、あれ、全部ウソ」「近親相姦の性癖がある」etc…ともの凄い。歴史に名を(良い意味であれ、悪名としてであれ)残すというのは、考えものだなと思いました。ま、後世の人間だからこそ好き勝手言えるのですけどね。

手伝って会戦

復活宣言しながらなかなか更新しませんでしたね、私。有言不実行ばかりです。近況はと言えば、非常にアメリカらしいけれども、出来れば経験したくない経験をしています。人権侵害だとか差別問題だとか、アレだとかコレだとかで大変なので、ここでは詳しく書けないのですが(ヒント:シングルベッドは一人用)、結構精神汚染が激しいですね。必殺「完全無視」を決め込んでいますから、今のところは大丈夫。

そう言えば11月頃に寮の部屋の暖房が壊れて、その当時のルームメートと凍え死にそうだった時期があったのですが、そのときに

私「私がこのまま、凍え死んだら日本のテレビで流れるだろうな〜」
ル「じゃあ、私も出るかなぁ?」
私「いや〜、人種問題に発展させたいだろうから、ないだろうな」
ル「といいますと?」
私「だって、白人で金髪で青い目の子も一緒に死んじゃったら、日本人だから差別された!っていえないじゃん」
ル「むむっ!確かに・・・まぁ、私が日本に行って同じ目に遭ったら、やっぱりアメリカのテレビもそうするかも知れない」
私「それより、あんた、唇がハローウィンのメイク並みに青いぞ!死ぬな!」
とか話してたのですよね。結局「ルームメートが真っ青なんですけど」と脅してすぐに直してもらえましたが。まぁ、この程度の話だと日本国内においてのみ「アメリカにおける人種差別」が問題視されるんでしょうけど、100年ほど前はもっとすごかったんだぞ!と言う訳で今回の本題、「ウィルソン大統領に関するリサーチ:途中経過報告篇」に移りたいと思います。

前回も書きましたが、毎週3日合計12時間、ひたすらウィルソン大統領に関する資料集(手紙のコレクションとか、記者会見の記録とか)から日本に関するものを抜き出し、リスト化するという趣味のような仕事のような事をしています。ウィルソンが大統領になってからすぐに出てきた日米関係の大問題が「日系移民排斥問題」でして、丁度カリフォルニア州で「排日土地法」が可決されるかされないかということで、珍田在米大使がかなりウィルソンと頑張っておりました。簡単に書くと以下の通り。

珍田大使「この法律案は日本人に対する人種差別だ!」
ウィルソン「ち、違う!第一、合衆国憲法により連邦政府は州の立法には口出せないんだよ。私にはどうしようもないんです!」
珍田大使「でも、日本国民はみんなカンカンだぞ!しかも日米間の条約違反じゃん!(どの条約についてかは、いまだ不明。1911年のか?)さらには、この法律案、日本人だけがターゲットじゃないか!やっぱり人種差別だ!」
ウィルソン「差別じゃなくって、土地法は純粋に経済の問題なんです!差別じゃない!」
珍田大使「言ってる事は判るよ?そっちの国内状況も理解してるさ。でもやっぱり、差別ー!差別ー!」
ウィルソン「じゃあ、連邦政府が希望者には経済的損失の保証も出来るようにする(議会に案を提出する)し、アメリカにとっては日本は大事なお友達なんだから!差別なんてしてない!」
珍田大使「差別ー!差別ー!」
この後も、日米間で新しい条約を作ろうとかしているんですが、やっぱり「差別ー!差別ー!」「差別じゃないもん!」の繰り返し。延々と繰り返し。これだけやられりゃ、ベルサイユ講和会議で日本の提出した「人種的差別撤廃提案」をかなり強引に無しにして、逆に山東半島を日本にくれてやったウィルソンの気持ちがわからんでもない、よね。

因みに資料を見る限り、アメリカ海軍は結構本気で日本との戦争を考えてたようです。曰く「フィリピンとハワイが危ない!」だそうで、だから「中国に駐留している艦隊をフィリピンに移動させよう!」と計画したところまでは良かったんですが、ウィルソンや国務長官ブライアンが「今、下手に艦隊を動かすと、逆に(すでにカンカンの)日本人を爆発させちゃうから駄目」と、至極リーズナブルな理由によって却下したために、何とか1940年代までは直接対決せずに済みました。というか、ここで海軍の言い分が通った場合は1913年にして日米開戦しちゃうわけで(まぁ、日本がどれだけ本気かは判らないので、確率の問題ですけど)、1914年から始まる第一次世界大戦とかどうなったのだろうとか考えずにはいられません。イギリスがどう動くのかによりけりでしょうけど(一応、日英同盟を日本側と結んでいるし、逆にアメリカとも関係良好だし。)、「歴史にもしもはない」といえど、世界大戦の始まりが日本とアメリカの「差別ー!」「差別じゃないー!」だったかもしれないと考えればなかなか感慨深いですな。

んで、超マイナーどころを攻めまくる歴史の授業ではこの人の本、「赤い恋(英題名:love of worker bees)(本当にこれであっているのか不安。一応英語バージョンでは”love of worker bees”という本に”Vasilisa Malygina”、”Three generation”、”Sisters”の3つの小説が入っていました。)」を読んだのですが、クラスでは主人公の優柔不断っぷりに非難轟々でした。「いい加減気付けよ!と思った」とか「私なら一回目の疑惑で別れるわ!」とか。私も、勿論そう思ったんだけど。この話、一言で言うなら「ちょっと見かけが貧弱な女共産党員が、アメリカ帰りでブルジョア志向ヘタレ浮気性の旦那をすったもんだの挙げ句やっとこさ捨てて、シングルマザーとして生きると決めた話」でしょうか・・・この話のどの辺に戦前の日本女性は共感したんだろうかね?

後、映画「大いなる幻影(フランス映画の方)」や「戦艦ポチョムキン」を観たとか、色々書きたい事はあるのですが、今からポチョムキンの映画クイズを作らなくてはいけないので、この辺で。そういや「modern Japan」のクラスの先生が「戦前昭和で重要な人物は北一輝と山本五十六だ!」と言っていたけど、どうなのこれ?山本五十六は兎も角、北一輝って・・・知っているけどさ。確かに、二・二六事件とかその後の思想に大きな影響があったけどさ、なんか微妙な選択だと思うのは気のせいでしょうか?しかも「日本人はだれでも知っている!」と豪語。いや、多分アメリカ人がウィルソンを知っている確率より低いから、それ!とか思ったんですけど、TA (Teaching Assistantの意。しかし最近はTeacher’s Assistant:雑用係といった様相です。)として一応「軍人、軍事について教える事こそ、軍国主義に繋がると戦後の偉い人は考えているので、北一輝だなんて思想の大元だからこそ、まず教えませんよ。」とコメントしてみた。

RMA

昨日の昼過ぎから、アメリカ人の知人(数独の提供元)から同じ内容のメールを計50通以上送られてくるという怪現象が発生していまして、10分毎に自動チェックするウチのメールソフトの受信箱が凄い事になっています。一応、相手先にも報告したんだが、何か新手のイジメかと思った、マジで。

んで、今日は「GREもTOEFLも終わり、サマースクールも残すところ後2週間なので、落ち着くことが出来そうな予感もするのだが、15ページのエッセー書かにゃならんから、やっぱり落ち着けないんだろうな」という感想で始まった月曜日でありました。授業の方はRMAの話に移っていまして、クラウゼヴィッツの頃よりは、文献も現代モノのため、かなり読み易くなって、有り難い限りです。RMAっていうのはRevolution of the Military Affairsの略です。間違っても「ラオウ、マミヤ、アミバ」の略ではありません(←悲しい事に授業中にフッと思いついた)。

で、文献を読む限り、今起こっているRMAは主に技術進化によるもので、「Revolution(革命)ではなく、Evolution(進化)に近いのではないのだろうか?」だとか「結局、技術が進化したとしても、それに伴い軍指導部のあり方も変えないと意味がない」だとか「情報の獲得、4軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)間での情報の共有、攻撃後の評価といった分野での能力アップが必要」だとか、まぁ、色々あるようです。基本は情報らしい。それは孫子が大分前から言っていたじゃないか・・・!と突っ込みたいんですけど、まぁ、それはそれ。んで、特に下の本の筆者でもあるWilliam Owensの文献はペンタゴンでの勤務経験や湾岸戦争の裏話がかなり楽しかったです。旧陸&海軍間の不仲も有名ですけど、アメリカの4軍の関係も結構凄い。詳しくは書きませんが、湾岸戦争の間、爆撃機によるミッションの命令書(というか説明書っていうか)を伝達するのに、海軍と空軍間の情報共有(伝達方法の共有)が出来なかった為、海軍は毎日わざわざ沖合の艦隊まで出向き、そこで命令をプリントアウトして、そして更にそれをコピーしてという作業をしていた・・・などなど。かつての記事でStates of Denialによるとラムちゃんが国防長官に再びなった時に、ペンタゴンで「キーッ」ってなってたとか書いた記憶がありますが、今思うと、ラムちゃんに同情の余地は十分あると思う。(実は結構ラムちゃん好きなんですよ、私。野心満々なところとか、多いに結構じゃないか!)

まぁ、そんな感じでRMAなのですが、ここで謎なのが(←文献を読む限りですよ、勿論)「RMAは技術革新によるものだ!」ということ。まー、確かにそりゃそうでしょうけどさ、国際関係の変化も大きいと思うんだよね。確かに湾岸戦争辺りからコンピューターがメジャーになってきて、お陰でより正確な情報所得方法(偵察衛星とか、無人偵察機とか)や、より精密な誘導ミサイルが登場しました。でも、冷戦の構図が崩れた事によって「Deterrence(核抑止)や全面戦争(冷戦中に予想された核戦争は基本的に全面戦争だと思う)の可能性が減った→軍の構造変化も必要」っていう要素も無視出来ないと思う。文献よると、軍事の歴史は「Age of Tools(道具の時代)」「Age of the Machine(機械の時代)」「Age of Systems(システムの時代)」「Age of Automation(自動化の時代)」の4つに分ける事が出来て、それぞれ「〜モンゴルの侵攻」「ナポレオン〜南北戦争」「飛行機、レーダー、電撃作戦」「冷戦、湾岸戦争〜」が有名な例として出ている訳です。確かに、Tools時代とMachine時代の間には銃の発明があるし、Machine時代とSystems時代の間には航空機、Systems時代とAutomation時代の間にはコンピューターと何らかの革命的技術革新が存在している訳ですよ。(最も、最後のSystems-Automationはちょっと微妙だけど。コンピューターとそれによるコミュニケーションは冷戦後だし。冷戦は半分くらいsystem期に入るのかも知れない。)でも、同時に(順番に並べると)「フランス革命、国民国家の成立」、「第一次世界大戦による、balance of powerの終焉」「冷戦の終焉(冷戦の開始も上の例からするとここに入るかも知れないけど、どうも違うと思う。筆者は何を思って冷戦をAutomation時代に組み込んだんだろう?)」って大きな国際関係上の変化がある訳ですから、その辺も見逃せないと思うんですよねぇ・・・極端な例ですが、日本に火縄銃がもたらされた時、確かに戦術面では長篠の戦いが代表する通り、変化があったと思います。でもさ、結局その後も暫くサムライの世の中だった訳で、画期的な技術を手に入れたからといっても、日本の戦争の仕方はあんまり変わらなかった訳だ!同じように幕末〜明治にかけて、完全に軍人(武人)のあり方が変わったのは、西洋の技術というよりは、日本社会そのものが変わったからに他ならないのは自明だと思うんだが、どうでしょう?

という訳で、結局何が言いたいかと言えば「技術革新がRMAのキモらしいけど、世界情勢の変化ってのもあると思うよ」ってことでした。ま、逆から見ると、「技術革新→戦争の仕方が変化→国際関係の変化」ってものもまた正しいんでしょうけど。

9.11の話

今日は朝から追悼式典があったり(普通に寝過ごしましちゃいましたが・・・)、国際関係論の授業がそれぞれの生徒の体験談で終わったり、やっぱりアメリカにとっては忘れられない一日であることを体感しました。んで、私の記憶の中のこの日は何だったか?と必死になって授業中(国際関係論)に思い出そうとしたんですけど、これがホントに出てこないんですよね・・・何故なんだかわかりませんけど。

まずちゃんと覚えているのが、父親が居間でテレビを見ていて、私をあわてて呼んだ事。父親が最初っからCNNを見ていたのか、それともNHK辺りのニュース速報をみて、急遽チャンネルを変えたのかそれは未だに謎なんですけど、兎に角二人でCNNを眺めていました。その時点ではまだ1機目のみ。

2機目が突っ込んだ時はリアルタイムで観ました、確か。それからはNHKを見たりCNNに戻したりしつつ、12時を過ぎたところで就寝。(高校生でしたからね、一応。)

次の日、号外を貰って学校へ行った事は覚えているんですけど、友達とどんな話をしたかとかは全く記憶に無し。しかしながら留学から帰ってきたばかりだったので、アメリカにいる友人と連絡をとった事だけはちゃんと覚えてます。その当時、モデルを夢見てNYに行っていた友人がいたんですよね・・・それからニュージャージーの知り合いにもメールを送った記憶があります。(というか返事に16枚もの写真を貼付してくれて、その当時はまだモデムがこれでもかというほどトロかった時代なのでダウンロードにかなり時間がかかった事を覚えているだけなんですけど。)

因みにニュージャージーの知り合いは炭疽菌騒動の際に、「一応念のため」自分宛の手紙は電子レンジで暖めてから(炭疽菌がこれで死ぬのだ!と言ってました。)開けていたというお茶目さんです。死ぬんですかね、電子レンジで?

結局、私が覚えている事と言えばこれくらいで、後はアフガンだとかイラクだとか、政治的な出来事しか記憶に残っていません。アメリカ人が5年経った今でもその日の事をしっかり覚えている事と比べると、やっぱり日本人で家族や友人が亡くなった訳でもない人間としては、あくまで他人事だったのかなぁ・・・と反省しました。だから映画を観て、ことの重大さを再認識したんでしょう。

よく考えると、確かに「テロとの戦い」「中東の平和」が大義ではありますけれども、日本がイラクへ行った最大の理由というのはやっぱりアメリカとの同盟が大事だったからであり(あと石油も?)、ほんとは行きたくなかったのかもしれません。国内的にも自衛隊を派遣するとなるとごちゃごちゃするし、派遣出来るような法律を作ると国際関係でもごちゃごちゃしそうだし、そもそも危ないし・・・みたいな。さらに、日本も一度はテロの標的に名指しされてましたけど結局彼らによるテロの被害には(直接は、つまり日本国内のテロには)あっていない訳ですから、テロ被害そのものよりも政治に関心が集まってしまったんでしょう。ついでに、アメリカ政府がテロを言い訳にアフガンやイラクなど元々なんとかしたかった地域に乗り出している、という見方も確かに出来ますけど、そもそもここまですっぽり記憶が吹っ飛んでいる私にはそれを批判する事は出来ないなぁ・・・と思いました。私も政治の一部とでしか事件を覚えていないんですから。

因みに「真珠湾攻撃と同じだ!」だとか「kamikaze attackだ!」だとか、一部のアメリカ人は思っているらしい(テレビでそういう人をみた。)のですが、もしそんな人が身近にいれば「真珠湾のほうはまだ判るけれども(「一応突然」「本土攻撃」された、という点で)、特攻隊は少なくとも民間人は巻き込まなかった」と言いたいです。その辺、一応重要だと思うので。なんてのか、日本人の精神的な特色というか、思い込みというか、思い入れの都合上。はい、