運の善し悪し

中世哲学の本を読んでいるわけですが、その中で運について触れている部分があったので [1]神の心遣いと運について、中学生の頃、道徳だかなんかの授業の発表で、好きなタイプとして「運がいい人」と言ってひかれたことを思い出した。「優しい人」とか「誠実な人」とかではなく、「運のいい人」。12〜14歳の好きな異性のタイプとしては、なかなかエッジが効いていて、我ながら面白い。あのとき私は何を思ってそう答えたのだろう?多分何も考えておらず、かと言って私の前に何人も発表しただろう「優しい人」に追従する気にもならず、ふと口から出たにちがいない。同じような経験、他にもあったし。 [2]好きな漢字は?→「一」→なぜ?→「なぜだろう?」「シンプルで、最初で・・・」今の私からすれば「運が良かったら性格最悪でもいいんかーい!」とか突っ込み満載だが、あの当時も今も変わらないことは、「私は絶対に困らない」と自分自身疑っていないこと。これは間違いない。翻って「私は運がいい!」生まれた時代も、生まれた家も、持って生まれた才能も、今までの人生の要所要所でも、人との出会いでも、それぞれにもっと運が良い人はいるかもしれないが、でも私だって相当運が良い。今後も運良く生き抜くだろう。

こんな調子で、今日は運について色々書く予定だったんですけど、よくよく調べてみたら、7年以上前にほぼ似たようなことを書いてて、改めて書くことなくなっちゃった。あえて付け加えるならば、人が自身を評価して「運が良い」というとき、その根底には「自分の力を超越した何かによってもたらされた幸運だ」という認識があるにちがいない。もし、自分自身の力による幸運なのであれば、「運が良い」のではなく「努力した」ことに、その幸運の原因を見出すはずなので。運がいいと感じる瞬間は、人智を超えた力を感じるときなのだろう。

戦略論とビジネスモデル

References

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1 神の心遣いと運について
2 好きな漢字は?→「一」→なぜ?→「なぜだろう?」「シンプルで、最初で・・・」

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