Archive for the ‘国際関係と歴史’ Category.

ジョーク集その2

過去記事の続きと言ってもいいかもしれません。個人的につぼったのを中心に紹介したいと思います。因みに前回よりかなり際どいのが多いかもしれません。共産主義や共産党のジョークが多いのは、供給が多いからです。多分、ジョークとして作り易いんだろうね。今回のネタ元は世界史は妄想を超えてというサイト。週末にゆっくり、トリビア集を楽しむ予定です。

<未だに話題にのぼるぞ!・クリントン>

事実なのかどうかは判りませんけど、まず慣らしということで。

クリントン大統領の報道官が外国の記者の取材を受けて、「大統領の好物は何か」と質問された。
クリントン大統領の好物はハンバーガーだった。
が、報道官は対面上そんなことを言う気になれず、
「アメリカ料理です」と答えた。

おつぎはちょっと際どいジョーク。つくづく思うのですが、モニカ・ルインスキーってホワイトハウスの実習生だったって事は結構、頭、良かったんではないのでしょうか?結局、本来の予定とは違う「実習」をしちゃったんですけど。

クリントン大統領を記念して、アーカンソー州にクリントン大学が建てられることになりました。
もちろん期末試験はオーラルだ。

<本国では存在自体ジョーク扱い・ブッシュ大統領>

これはブッシュに限らず、他の人達にも当てはまるモノですね。国家と軍と指導者と・・・多分、永遠の問題。

ブッシュJrがホワイトハウスで叫んだ
「ウサマは穴倉に隠れて部下を戦わせてるだ!」

これは普通に言ってそう。

ブッシュ大統領が言った。
「私は、民主党は嫌いだが、民主党員は好きだ。
民主党員のおかげで、私は大統領になれたのだから。」

<我らの美しい国・日本>

ジョークというよりは微笑ましい小話に近いかも。

戦後、農地改革後の農村を視察していたアメリカ人が田んぼにいた老人にたずねた。
「マッカーサーをどう思う?」
彼は通訳が質問を訳すと、真剣な面持ちで答えた。
「天皇陛下も良い人を雇ってくださっただよ。」

アニメはアメリカでも大人気ですよね。アニメを字幕や吹き替えなしで観たいがために日本語を勉強する生徒もいるほどです。女子大生に人気なのはCLAMPとかセーラームーンとかそのへん。銀英伝の良さを判ってくれるアメリカ人にはまだ、出会っていません。アメリカでもDVD化しないかな?そうしたら、もうちょっと安く(私が)手に入れられるんだけどな。

日本人は文化侵略者だ!
文豪の名作も、詩人の歌も、気違いのたわごとも、
なんでもかんでも食べて元通りに———
アニメにしてしまう

日本人の得意技をもう一丁。これはかなりのブラックです。

日本人はアレンジが得意だ。
「その中でも本家を遥かに上回る物を一つあげよ。」
というなら私はこう答える。

『社会主義』

これは、ほんとに言われていそう。しかし、陸海が逆にはならないところをみると、やっぱり海軍さんの人気の方が高かったのでしょうねぇ。MMKとかありますしね。海軍の将校さん曰く「モテて、モテて、困る」の略だとか。もうちょっとマシな隠語(っていうか、略語?)はないんかい。まぁ、最終的には海軍もどうしようもなかったりするわけですけどね。

戦時中日本軍部で言われていたジョーク
帝国海軍は帝国陸軍を滅ぼしてから米英にあたる

これは日本の歴史の長さを物語っているのかも。幕末の戦はいいのでしょうか?因みにワタクシ事ですけど、アメリカ人に人種的な部分で(多分深い意図は無いと思われるんだけど)ムッとしてしまうようなことを言われた時は、後々、宮島の本の宝物館のページを開き「あ〜、これはちょっと新しいよね。室町だもの。今から500年くらい前?やっぱり平安のモノと比べるとねぇ・・・」と復讐してます。これくらいは構わないでしょう。因みにアメリカは最初の植民地ジェームズタウンから400年だとかで、2007年はちょっとだけ嬉しそうです。それでもたったの400年です。もしアメリカ人が中国人にこの話題を振ったら鼻で笑われるよね、多分。

日本で「先の大戦」といえば太平洋戦争をさすが、
京都で「先の大戦」といえば応仁の乱である

<この人もジョークの常連・ヒトラー>

イタリアは弱いっての、通説なんでしょうか?勿論、歴史では三国同盟がありますから、イタリアがドイツ側について参戦することは判りきった事だったんでしょうけど。しかし何で弱いんだ?国民性?国としての歴史の短さ?(それだとドイツもそう長くはないか・・・)それとも地理的な問題でしょうか?アルプスを超えてイタリアに攻め入ったのはナポレオンだけなのか?

執務室で書類を決裁しているヒトラーのもとに副官が駆け込んできた。
副官:「総統閣下、イタリアが参戦いたしました!」
ヒトラー:「そうか。ならば2、3個師団送って対応すればよい」
副官:「いいえ、イタリアは我々の側に立って参戦したのです!」

ヒトラー:「何と言うことだ! 2、3個軍団送って守ってやらねばならんではないか!」

<ジョークのネタとしてはピカイチです・共産主義圏>

結構辛辣なジョーク。しかし、船もいつかは港に着きます。勿論、転覆することもあります。

「共産主義ってのは、船旅に似てるな。」
「どんなところが?」
「展望だけは素晴らしいんだが、どこに向かってるんだかさっぱりわからない。
その上吐き気がする。おまけに降りられない」

これは私もちょっと思っていました、心の中で。いくら実際の生活状況が悲惨で奥さんが大変苦労して亡くなったといえども、家柄はイイと思います。

社会主義者のための天国に、一人の男性が死んでやってきた。

天国の門番「お前の父親の職業は?」
男「弁護士で、商売のほうも少し…」
門番「フン、資本家の仲間だな。おふくろは?」
男「商人の娘です」
門番「これもブルジョアか。で、お前の職業は?」
男「著述業です」
門番「労働者じゃないな。女房はどうなんだ?」
男「貴族の娘です」
門番「ああ、だめだだめだ!とても労働者の天国には入れられん!
帰れ! …ああ、いちおう名前だけ聞いておこう」

男「……カール・マルクス」

東欧諸国とソビエトの関係はジョークの温床になっています。多分、もう、笑い飛ばすしか無いんだと思う。個人的にもうちょっと詳しく勉強してみたい歴史分野ではある。

東欧諸国の人たちが集まって言った。
「ソ連はわれわれを兄弟国というが、なぜだろう。」
ハンガリー人が答えた。
「もちろん、仲がいいからさ。」

ポーランド人がすかさず反論した。
「それは、違うね。友達は自由に好きな奴を選べるが兄弟は選ぶことができないからね。」

次は哀愁漂う一品。これをラジオで聞く方も悲しくなりそうです。

ソビエトのラジオ番組「子供の疑問に答える」で質問があった。
「ニワトリとタマゴはどちらが先ですか?」
わずかな沈黙のあと、アナウンサーが沈んだ様子で答えた。
「昔は、どちらもありましたよ」

今回の爆笑。どうもすでにジョークの対象になって久しいアメリカの政府に比べ、他の国の現行の政府に対するジョークってのは難しいモノですけれども、こちらはどちらも故人ということで。これはアメリカvs中国だとか、北朝鮮vs他の国とか発展可能な気がします。

中国とソ連の戦争が始まった。
中国は人海戦術、ソ連は機械化でのぞんだ
1日目、ソ連は1000万人の中国兵を捕虜にした
2日目、2000万人を捕虜にした
3日目、毛沢東はスターリンに電話していった。

「降伏するかね?」

9.11の話

今日は朝から追悼式典があったり(普通に寝過ごしましちゃいましたが・・・)、国際関係論の授業がそれぞれの生徒の体験談で終わったり、やっぱりアメリカにとっては忘れられない一日であることを体感しました。んで、私の記憶の中のこの日は何だったか?と必死になって授業中(国際関係論)に思い出そうとしたんですけど、これがホントに出てこないんですよね・・・何故なんだかわかりませんけど。

まずちゃんと覚えているのが、父親が居間でテレビを見ていて、私をあわてて呼んだ事。父親が最初っからCNNを見ていたのか、それともNHK辺りのニュース速報をみて、急遽チャンネルを変えたのかそれは未だに謎なんですけど、兎に角二人でCNNを眺めていました。その時点ではまだ1機目のみ。

2機目が突っ込んだ時はリアルタイムで観ました、確か。それからはNHKを見たりCNNに戻したりしつつ、12時を過ぎたところで就寝。(高校生でしたからね、一応。)

次の日、号外を貰って学校へ行った事は覚えているんですけど、友達とどんな話をしたかとかは全く記憶に無し。しかしながら留学から帰ってきたばかりだったので、アメリカにいる友人と連絡をとった事だけはちゃんと覚えてます。その当時、モデルを夢見てNYに行っていた友人がいたんですよね・・・それからニュージャージーの知り合いにもメールを送った記憶があります。(というか返事に16枚もの写真を貼付してくれて、その当時はまだモデムがこれでもかというほどトロかった時代なのでダウンロードにかなり時間がかかった事を覚えているだけなんですけど。)

因みにニュージャージーの知り合いは炭疽菌騒動の際に、「一応念のため」自分宛の手紙は電子レンジで暖めてから(炭疽菌がこれで死ぬのだ!と言ってました。)開けていたというお茶目さんです。死ぬんですかね、電子レンジで?

結局、私が覚えている事と言えばこれくらいで、後はアフガンだとかイラクだとか、政治的な出来事しか記憶に残っていません。アメリカ人が5年経った今でもその日の事をしっかり覚えている事と比べると、やっぱり日本人で家族や友人が亡くなった訳でもない人間としては、あくまで他人事だったのかなぁ・・・と反省しました。だから映画を観て、ことの重大さを再認識したんでしょう。

よく考えると、確かに「テロとの戦い」「中東の平和」が大義ではありますけれども、日本がイラクへ行った最大の理由というのはやっぱりアメリカとの同盟が大事だったからであり(あと石油も?)、ほんとは行きたくなかったのかもしれません。国内的にも自衛隊を派遣するとなるとごちゃごちゃするし、派遣出来るような法律を作ると国際関係でもごちゃごちゃしそうだし、そもそも危ないし・・・みたいな。さらに、日本も一度はテロの標的に名指しされてましたけど結局彼らによるテロの被害には(直接は、つまり日本国内のテロには)あっていない訳ですから、テロ被害そのものよりも政治に関心が集まってしまったんでしょう。ついでに、アメリカ政府がテロを言い訳にアフガンやイラクなど元々なんとかしたかった地域に乗り出している、という見方も確かに出来ますけど、そもそもここまですっぽり記憶が吹っ飛んでいる私にはそれを批判する事は出来ないなぁ・・・と思いました。私も政治の一部とでしか事件を覚えていないんですから。

因みに「真珠湾攻撃と同じだ!」だとか「kamikaze attackだ!」だとか、一部のアメリカ人は思っているらしい(テレビでそういう人をみた。)のですが、もしそんな人が身近にいれば「真珠湾のほうはまだ判るけれども(「一応突然」「本土攻撃」された、という点で)、特攻隊は少なくとも民間人は巻き込まなかった」と言いたいです。その辺、一応重要だと思うので。なんてのか、日本人の精神的な特色というか、思い込みというか、思い入れの都合上。はい、

中途半端な読書感想

今読んでいる本が色んな意味で刺激的です。ちょっと前にでた深田匠・著の『日本人が知らない「二つのアメリカ」のという本です。どのように刺激的かと言いますと、まず内容。

第一に、保守的というかなんというか私は多分初めてここまで自分の思想を(言葉尻からも)出している本をみましたよ。ブログとかでは結構はっきりとその人の思想が判りますけれども、出版物では初めて。まぁ、いままであまりそういった本を読んでこなかったのも真実だし、その人の思想まで読み取れていなかったのも真実なのですが・・・そして第二に、今まで知らずにいた事も結構載っていて、そういった面でも刺激的。「なるほど、こんな裏があるのね」とちょっとニュースの見方が変わりました。

ついでに本の形態?としても刺激的です。なんせ全く段落というものがない。いや、段落はあり、一字分空いてはいますが、ただそれだけで一行分空いていたりとかなくって、どこをめくっても文字が上から下までぎっしりです。読み応えがあるというか・・・こんな本、初めてみたよ。せめて上下二段にしてくれれば、本の中心に隙間が出来てまだ目に優しいのに・・・

まだ途中までしか読んでいないのですが、あまりにも考えるところが多かったので一旦ここで記事にしようと思ったんです。まず、[『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』] 教育の原点を考えるで書かれているように

ただ、国際政治に関するユニークな視点を提供してくれる意味で同書は読む価値があると思いますが、何分にも著者の深田氏が極端な保守主義の思想の持ち主なので、それを念頭に読み進めていかないとミイラ取りがミイラになりかねませんので注意が必要です。

という点には本当に要注意だと思います。どれくらい保守的かはリンク先を読んでいただけると良くわかると思いますけれども、(少なくとも私にとっては)発想の転換並みに新しくて急進的な意見であるがために、逆に「そっか、いままでの私の歴史観は間違っていたのね!」とコロッと信じそうになります。同じ意見の本をこの本以外に読んでいないので(あえてあげるならば小林よしのりの「戦争論」でしょうか?「戦争論」はちらりとしか読んでいないので具体的なところまで内容を覚えていません。)、クリティカル・シンキングの心掛けで読むようにはしています。因みに、私はビックバンやインフレーション理論を正しいものと信じています。インフレーション理論なんてあの想像を絶する感じがなんとも面白いと思いませんか?それになんせ、佐藤勝彦の大ファンだったんですよ、私。

参考リンク
宇宙のインフレーション理論 Wikipedia
宇宙創生を解明する「インフレーション理論」 アットホーム株式会社(佐藤勝彦の写真やインフレーション理論の画像付き)

で、以上に書いたように「本当に深田さんの書いている事は正しいのかな?」と調べずとも一応、疑いながら読んでもこれはと思う部分があったので紹介していきたいと思います。ただ、前提として「私は知らなかった」から特に強く反応したものもあるので、その辺については「こんな事も知らなかったのね、ふふん」と心の中だけで思っていてくださいね。今まで読んだ中で「むむ」と思った部分は4点です。

まず、序章「マスコミが報じないイラク人質事件の真相」から。深田氏の意見を大雑把にまとめると、人質事件が発覚した際の家族の言い分はエゴイズム丸出して、「自衛隊は撤退せよ!」などの言い分は、国の威信や同盟国との信義も捨てよと言っているようなもので、ともかくエゴイズムむき出しである!ついでに、そういったいい分の家族へ抗議や批判する国民に対して「これ以上家族を苦しめるな」という左派マスコミもいるが、結局、アンケート調査によると大半の国民は自衛隊撤退に反対していたのだ!国民は正しい!更に3人のうち、高遠菜穂子は日本赤軍系や毛沢東原理主義系の左翼との関わりが過去にあったし、今井紀明の家は家族ぐるみで左翼だし、家族を支えたのも共産党や革マル派やそういった団体で、署名の15万人も共産党支持者によるものだし、今井紀明の助かった後の言動って全く政府に感謝していないし、未だに自衛隊の駐留がそもそもの問題だって思っているのもあほらしいし、何より自作自演の可能性がかなりの確率で考えられるじゃないか!・・・というもの。

で、私は事件の事は勿論知っていたけれども、家族や本人の思想までは知らなかったし(全く興味がなかった。でも、「確かに退避勧告が出ている、しかもテレビを見ているだけでもあからさまに危険だと判る国に勝手に行って、政府の責任はないだろう。」とは思っていました。)、その後のインタビューなんて全くみていなかったので、今回この本を読んで「そんな事を言っていたのか!」とか「自作自演説なんてあったんだ!」とかそういったレベルでびっくりしました。

で、深田氏の意見で

ところが今井紀明は記者会見で政府への感謝もなく自己責任を否定し、「帰国の旅費が税金から出ているから返せみたいな言われ方をされるんだったら、航空券を持っていて自分たちはその方法で帰ろうとした」と言い放っている。それならば政府はこの二十数億円全額請求すべきだ。・・・(中略)・・・それこそが自己責任というものだ。

という部分にはかなり賛同できます。まぁ、いまさら政府もそんな事は出来ないだろうけれども。これは極端な意見だとは思うのですけれども、それでも政府はかなり苦労したと思うのです。自衛隊は確かにイラクにおけるテロの一つの原因になっているかもしれない、自衛隊がイラクから去れば、ちょっとはイラクが平和になるかもしれない。でも、ヨーロッパの国々の足並みが悪い中自衛隊を派遣した日本としてはこの時点で引いては恐らく、多かれ少なかれ日米同盟の問題になってしまうと思うのですよ。いまの日本では日米同盟なしでは(自衛隊だけでは)、まず軍事的な安全保障がやっていけません。日本に向いたミサイルの数とその近さを想像すればすぐに実感できる事だと思います。イラクがちょっと平和になっても(だって、自衛隊がいなくなったってそこまでいきなり平和になるとは、正直考えにくい。)、日本の安全が保証されないのであれば、自衛隊はあの時点では撤退すべきではなかったと思います。因みに、今のイラクはもう何がなんだか状態で自衛隊がいようといまいと関係なくなってきた治安状況だし、アメリカももうお手上げで日本はまぁ、良くやったよ・・・という状態だと思われるのでこれ以上危険な場所にいる必要はないかと。多分、国際関係ってそんなもんだと思います。

話がそれましたが、自己責任論。私は最初に書いた通り、「退避勧告がでているのになんでいくのさ?」という考えなのですけれども、拘束によるストレスは仮病だとか自作自演に違いないとまで決めつけるつもりはありません。ただし、「僕らの責任でなく、政府の責任なのだ」と責任を押し付けることにはかなりの違和感があります。政府に責任が全くなかったとは思えないけれどもね。事件が起こった事に対する政府の責任は自衛隊を派遣した事ではなく、イラクに入る日本人をゼロに出来なかったところにあると思います。

参考リンク
週刊現代でのインタビュー creative space・・・母親の台詞に呆れてしまったのは私だけでしょうか。結婚とかさ出産とかと違ってさ、早めに経験しておくと楽になるもんじゃないよ。「危険」っていうのは近づけば近づくだけヤバいものだよ。

と、最初の一つの引用だけでかなり長くなってしまいましたから後は簡略に。まず外務省について。

なお北京の日本大使館専門調査員を務めた鐸木昌之氏は、同大使館には会話や電話の盗聴を防止する部屋やシステムが一切なく、しかも掃除には中国人の清掃人を雇っており、重要書類を机上に放置したまま掃除をまかせて平気で外出しているという実状を述べておられる。つまり北京の日本大使館は、日本の重要情報を中共スパイ機関に「提供」するために存在しているようなものだ。

ものすごく強気です、外務省。まぁ、外務省の問題って例えば駐在自衛官が直接防衛庁へ公電を打つのを禁じて、必ず一度外務省を経由しなければならないようになっていて、それ故に外務省に秘密の情報(外務省に不利になるような情報)は盗聴可能な普通電話で防衛庁に伝えるしかなく、その情報を外務省に集める理由が「戦前は一つの機関(つまり軍)が全ての情報を握っていたのが間違いだったのだ。」という、思わず「胸に手をおいて考えてみたら?」と突っ込みたくなるようなものばかりなのでいまさら感はありますけれども。

次も中国関係。

無人衛星の打ち上げでさえ度々失敗している日本が、宇宙兵器開発ができる国に援助する必要がどこにあるというのか。

これはODAについてですね。確かに、北朝鮮といい、中国といい、支援してもしても深田氏の言う通り、兵器にしかなっていない気がするのです。勿論、空港整備とかそういったものもあるんでしょうけれども。深田氏の説明によると外務省は本当に中国に弱いらしく、台湾に対する対応など逆にケチョンケチョンらしいです。ODAは政治的利権も絡みますから、一度にスッキリとはならないと思いますけれども、もうちょっとなんとかしてよ、外務省さんよ・・・

最後も中国関係。

こうして中共は日本の自虐史観を増幅させ防衛力を弱体化させるために「日本に軍国主義が復活している」と声高に避難し、それに日本の左翼人はアタフタとして「日本の右傾化を阻止しよう」と叫んで走り回る。しかし、中共こそが軍に支配されている軍国主義(ミリタリズム)の国なのだ。前述のように中共は「軍民一体」を国策に掲げており、そもそも毛沢東が「政権は銃口から生まれる」と言って建国した国である。

そこまで軍民一体かなぁと思いますが、中国こそ軍国主義国というのは理解できます。それは軍備にかかる予算の増加からもわかります。もともと中華思想の国ですし、深田氏によると台湾を飲み込み、日本も飲み込み、最終的にはアジアも世界も支配下に収めたいというのが中国の本心で、まず日本がその目標を邪魔するだけの国力があるから、自虐史観を日本国内で徹底させて軍備を小さく、国力も小さくさせていく・・・という戦略だとか。私は深田氏の指摘する「自虐史観」の全てをねつ造だとは今現在は考えていませんが、日本の左翼を利用してそういった考えを浸透させようとしたという部分にはちょっと納得できます。

佐々淳行が書いた「あさま山荘事件」についての本を読むとその頃の、赤軍派がいかに活発か良くわかり、事件そのものについても良くわかるのですが、その中で「小学校などで、父親が警察官や自衛官の子供は教師から冷遇されていた」といった内容の記述があったように記憶しています。そして、「そのころは国全体として左翼に好意的だった。あさま山荘を含む赤軍派の一連の事件によって、国民の左翼離れが進んだ」といった記述も。こういった記述を思い返せば、深田氏の指摘もあながち間違ってはいないのではないか?と思う訳ですよ。教育って結局、その人の思想の根本になりますからねぇ。戦前の軍国主義も、アメリカの妙な自信も、中国や韓国における反日も、どれも教育によるものだろうし、そうだとすると深田氏のいう「自虐史観」は暫くこのまま教育界に残るのではないでしょうか?

・・・と、一応今まで読んだ範囲に対する感想でした。だからまだ、アメリカのアの字もでてきていません。これだけでも、ものすごく長くなっちゃった。このエントリーこそが目に悪いですね。

YAMATO essay

自分用にアップ。「戦艦大和が残したもの」というレポートで英語でづらづら書いています。パソコンをマックに乗り換える際、wordが最初は入っていないだろうし、このレポートだけは無くしたくないので念のためオンラインでも残しておくことにしました。

気が向いたらどうぞ。

As the sixty years after the World War ll, there are some movies which treat about the war and the Japan Self-Defense Force (SDF), and these movies are written by Harutoshi Fukui who is the best seller writer. There are many people who think about the military or the self defense as there are many security problem existing like North Korea or the terrorism. In addition to the 60th anniversary of WWll, this year is the 100th anniversary of the Battle of Tsushima in which the Admiral Togo won against the Russian Navy, so that the Japan Marine Self-Defense Force had the big ceremony in many cities. Furthermore, Yamato Museum opened in this April in Kure where battleship Yamato was born. Then, because of the fear of North Korea or terrorism, the confidence toward the SDF has increased from 2000 to 2004 (Central Research Service Inc.). Though the research of this year is not yet announced, it is easily to say that still people think the SDF reliable as there were many movies or situations in TV which the SDF personnel helped people at disasters in Japan or other countries and preparing for the urgent security trouble. In this way, there are many movies or other chances for people to know the Japanese Imperial Navy and the SDF. Then, as the summary of this year, a movie titled “Otokotachi no Yamato (English name is “Yamato”.)” is going to be released in this winter. This movie is about the last battleship of Japan, Yamato, famous ship because of its name and its history. In this research, how Yamato was built, how Yamato sank, and what Yamato left to posterity will be taken up.

First, the history of Yamato was sorrowful as a battleship. She was born in secret, because her birth was the same time with the Japanese announcement that Washington Treaty was unless (Ito 15 English version). The explanation of Yamato’s history by the Naval Historical Center (NHC) is really clear and simple;

Commissioned in December 1941, just over a week after the start of the Pacific war, Yamato served as flagship of Combined Fleet commander Isoroku Yamamoto during the critical battles of 1442. During the following year, she spent most time at Truk, as part of a mobile naval force defending Japan’s Central Pacific bases. Torpedoed by USS Skate (SS-305) in December 1943, Yamato was under repair until April 1944, during which time her anti-aircraft battery was considerably increased. She then took part in the Battle of the Philippine Sea in June and the Battle of Leyte Gulf in October. During the latter action, she was attacked several times by U.S. Navy aircraft, and fired her big guns in an engagement with U.S. escort carriers and destroyers off the island of Samar.

After the Battle of Leyte Gulf, Yamato came back to home town and equipped more anti-aircraft machine guns (NHC). Unfortunately, these new machine could not help Yamato from attack of aircrafts. Yamato sank on April 7 in 1945 on the way to Okinawa without proving her true ability and still sleeping under the sea with more than 3000 crews. There was no Japanese aircraft which defended Yamato, because the aircrafts were needed to defend the mainland (Ito 212 Japanese Version).

In second, Yamato has the extreme technology at that time and this technology has used after the war. After the Meiji Restoration, the Japanese government had aimed to get the European technology. Many ships, even Mikasa, was imported from England and the last imported battleship Kongo was built in 1913 while many Japanese engineers went to England and studied the latest naval engineering (Nakahara, Sagawa 64-65). In 1920, the Navy built Nagato and Mutu which had the 16 inches main armaments and that surprised many foreign Navies (65). Famous military commentator Masanori Ito showed how Yamato was built:

At Today’s unit cost of two million yen per ton, it would take 150 billion yen to build battleship Yamato. Since this amount is the entire annual budget for Japan’s national defense, it is obvious that she will not be building such a ship. Great technological skill was needed to build ships big enough to mount nine 18.1-inch guns. It was an unprecedented undertaking (20 E).

Ito also pointed that the foreign navies had paid more interest in the shipbuilding of the Japanese Navy than the Japanese people at that time (25 J). As already mentioned Yamato was built in secret, and this is because of her great technology. In 2000, the blueprint of Yamato was found and it showed her impregnable defenses and attack power (NHK). In TV program which was made by NHK (Japan Broadcast Corporation), the pouring and drainage system of Yamato was explained that there were 1,147 rooms which were to keep the balance between right and left by pouring or flushing the water. This system keeps the balance of the ship so that she could keep the speed, and she did not sink easily. In addition, Yamato had called as “Yamato Hotel” because there was air conditioner and elevators in her. Then, she had 46cm main armament which range was 3 km longer than the American 40.6cm guns and the 410 mm steel which covered her body which could endure 46cm main armament (NHK). Even though Yamato had such a great system and guns, she sunk finally. What she left, however, played a part in the postwar economy. In the postwar, the planed shipbuilding was like the Navy way, and many engineers had supported in the field of technology (Hatano 167). It is also said that her air conditioner’s technology was used in consumer electronics (Kishida). In short, the postwar economical growth in the shipbuilding was from originally the Japanese Navy’s technology and system planning (Hatano 169).

Thirdly, Yamato’s sinking was the symbol of tactic change from battleship to aircraft carrier, because she was sunk by the aircraft even though she had the strongest combat efficiency. As Nakahara and Sagawa pointed, the effectiveness of aircraft was proved by the Japanese Navy (154). At the Paul Harbor and the Maraya offing, Japanese aircraft proved its supremacy over the battleship (Ito 50J). After these battles, the U.S. Navy changed its strategy from the battleship to aircraft, and started to build aircraft carrier with the surprising speed; once a week, there was a launch (NHK). In this way, the tactic of battle had changed to aircraft by the time Yamato went to Okinawa.

As already mentioned, the change of tactic was brought by the Japanese Navy, but why had they stuck to the battleship? The answer could be found in its history. When the first combined fleet had formed, Japan was fighting against Russia. The Battle of Tsushima in which the Admiral Togo won against the Russian Navy was the first battle between battleships, and the victory of Japanese Navy gave people the impression that battleship is the main actor of the modern battle (NHK). Nakahara and Hara introduced about the large warship and big gun principle in this way; “The Battle of Tsushima proved that the battle’s victory and defeat was decided only by the main armaments and the small sub-armaments were useless. Then, by the appearance of Dread Note, the large warship and big gun principle became the main theory (64).” This stream could see that the disarmament agreement during two world wars mainly treated the battleships. In addition, Ito pointed interesting things that “All over the ship equals the battle” fit the spirit of the Japanese Navy (27J). The Japanese Navy could not change the tactic, because of its history.

By the way, this is the famous story that Yamato went to Okinawa as Tokko because the combined fleet instructor had ordered to Yamato to herald the future of 100 million suicide attacks. Here is the question that why Yamato went to Okinawa, rather than stay near from the mainland of Japan. As Fujiwara said, the rule layer and the military had thought Okinawa was not important because they did not think that Okinawa is the part of Japan and they did not have the idea to save the country and the Japanese (13). The change of the Okinawa’s part came from the Japanese continuing lost, and then the union fleet command explained that the loss of Okinawa would lead the Japanese defeat and Yamato might can decrease the number of the aircraft, even if Yamato can not reach to Okinawa (Ito 207J). Actually, the mission of the battle of Okinawa was to delay the landing to Kyusyu, a part of the mainland to keep the emperor system (Ishiohara 90). What is needed to be said here is that the commander of the combined fleet, the captain of Yamato, and even the crews had known that it was the Tokko and know the defeat of Yamato (Yoshida 46J). They had already known the fact that the Japanese aircraft sank Prince of Wales at the Maraya offing, and the fact there were no way to the head of a technology and an overwhelming amount of the bombing (yoshida 22J). There was the accurate comment of the crew which grasped the situation.

“The side which makes no progress never wins. To lose and be brought to one’s senses: that is the supreme path.
“Japan had paid too little attention to progress. We have been too finicky, too wedded to selfish ethics; we have forgotten true progress. How else can Japan be saved except by losing and coming to its senses? If Japan does not come to its senses now, when will it be saved?
“We will lead the way. We will die as harbingers of Japan’s new life. That’s where our real satisfaction lies, isn’t it? (Yoshida 40E)”

This is how Yamato went to Tokko, the road there was no way back. There were, however, many other Tokko like Kamikaze or Kaiten, same as Yamato, and how people remember Yamato might be slightly different from them. As Axell and Kase indicated, “Yamato” is the ancient name for Japan, and Yamato is glorified by Japanese youth, this is proved by today’s animations, comics, or novels (170-171). First, the name “Yamato” is easy to remember for Japanese and it is used in some famous animations or comic books as a symbol of Japan. “Utyu Senkan Yamato (space battleship Yamato)” or “Chinmoku no Kantai (the Silence Fleet)” is the most famous in these culture. As Fusanosuke Natsume, the comic columnist, pointed that the youth in 1970’s had the image of Yamato as the symbolized tragedy rather than the memory of the war in the space battleship Yamato (112). Similarly, Yamato is the submarine’s name in the Silent Fleet, which declares its independence and allays with Japan, then has many victory against the U.S. Navy. Of course, there are many other ships called Yamato in animation and comics.

The name value is the one of function to remember Yamato, but the Tokko in these stories is also issue. Actually, people could find easily many animations or comic books in which people go to Tokko to save others. As Natsume has picked up, there is hero self-sacrifice in comic by Tezuka Osamu, or in animation by Miyazaki Hayao (22, 135). Furthermore, in the very famous animation, the Mobile Suit Gundam, there are many Tokko through its series. In this way, Tokko spirit is surely accepted in modern Japan, though this is not only for Yamato.

At last, there is another reason why Yamato is still remembered and accepted after the war. The Japanese people has some feeling toward the Japanese Navy. Ito had reminisced in his book that the combined fleet is familiar to the Japanese and the name “Rengo Kantai (the Combined Fleet)” will always in Japanese heart (12E). Similarly, Natsume remembered his young time as children would believe that Japan had defeated against the U.S. because of just the gap of the sources, the Japanese technology was supreme to that the U.S., and actually the parents answered in this way if they were asked the reason of Japanese defeat (61). Nakahara and Sagawa supplement this point that the skill of the Japanese Navy was equal to the U.S. as they had developed the battleships like Yamato or the Zero-Sen (aircraft) and the oxygen torpedo (83). Moreover, the Marine Self-Defense Force (MSDF) expresses they are the right successor and Kase had confessed that he had heard that there would be no MSDF if Yamato was captured by the U.S. from the officer in MSDF (171). Maybe it can not help for people to have these feeling if they compare the Navy with the Army which did a catastrophic crushing defeat at Nomonghan (Nakahara, Sagawa 83). Then Yamato is the symbol of the Japanese Navy and its technology. In reverse, the Kamikaze or Kaiten was also symbol of the slipshod strategy by the Navy at the same time. With Yamato, however, people might remember the glory of the Japanese Imperial Navy rather than her Tokko.

As a summary, Yamato is symbol of the Japanese Navy above all. How people remember her could be a parameter that how they think about the Navy. Today, people also know that Yamato’s last navigation was Tokko to save the mainland by making the battle in Okinawa prolonging and her newest technology at that time like the huge main armaments or the pouring and drainage system did not show their ability against attack from the aircrafts. What Yamato left are, however, clearly seen in today’s shipbuilding skill technologically, and in today’s culture as animation or comic books mentally. In addition, she was the battleship which could not catch the progress and trend. As Yamato crew said the commandment that people without progress never get victory might be the biggest parting gift from Yamato to people today. Yamato was the boast of the powerful Japanese Navy, the treasure house of technology, and the shame of missing to get on in the age. The movie “Yamato” will be released in this winter as already mentioned, and people might find other things what Yamato left after watching it.

Thinking about YASUKUNI

Some prime ministers have visited Yasukuni, and this fact causes trouble between Japan and China, South Korea and North Korea. I have couple of questions about Yasukuni Mondai (not Yasukuni itself).

1. Are the countries which blame Japan only China, South Korea, and North Korea? I’ve never heard that from other countries such as Indonesia or Singapore, but these countries were also governed under Japan during the war.

2. Has prime minister who goes to Yasukuni gone there before he became the prime minister? I mean as private. If not, why do they visit Yasukuni only during his term of office?

3.These trouble was caused by the fact that there are some A-class war criminels as god? If there was no A-class war criminal, China and two Korea won’t blame?

I think the deification of A-class war criminals is not right as they’d not fought themselves. They’d stayed in the safe place in Japan. They’d eat better food than the soldiers. A person who stay in safe place and who has never seen the actual battle field often talk about spirit or deification, or heroism. If they planed the invasion, and later, they went to the battle field and died, I think it is natural to deify them.

ロシアといえばプーチン

折角話がロシアへ向かったので、もう1つロシア絡みのネタ?を。アメリカ留学中のことですけど、日本にいる友人から以下のようなメールが届きました。

「○○○(←そのころのあだ名)はショックだと思うけどさ〜、今日お姉ちゃんがこんなことを教えてくれたんだよね」

から始まるメール。内容は所謂ロシアの「つるふさの法則」についてでした。まぁ、この法則自体は有名なものでロシアの最高権力者はレーニンの「つる」から始まり、スターリンの「ふさ」へ移り…最近でもエリツィンの「ふさ」の後、プーチンの「つる」、つまり髪の毛の量が歴代ずっとつるつる&ふさふさの交代であるということですね。かなり面白い法則だと思います。巷ではこれになぞらえて次の大統領を予測している人もいますし、プーチン自身しっているのか気になるところ。でも、なぜ私がショックを受けると思われていたのか?それは単に私がプーチン大好きだったためです。(ちなみに今も好きですよ。)最近は分別というものが大分つきましたけどあの当時ならば、もし、プーチンに「飴あげるからついておいで」といわれたとしたら、絶対にクレムリンまでついて行ったでしょう。それくらい好きなのです。

プーチンはまぁ、何とも暗い過去や、かなり強引な政治手法が問題視されていますが、それでも何となく好きな私。彼の方法は「強いロシア」となるため、「ソ連の栄光をとり戻す」ため、決して褒められるものではないものも多くあります。マスコミへの弾圧は民主主義国家としてあるべきものではないし、まして、大統領とマフィアが繋がっているかもしれないという疑惑(ま、これはどの国でも一様に存在する疑惑だとは思いますけどね)、軍の強化、個人崇拝化?…など問題は色々あるのです。大分前の本になりますけど「過去を消した男 プーチンの正体 (西村拓也 著)」によれば、プーチンはベルリンの壁が崩壊した当時東ドイツにいたプーチンはソ連の崩壊を予測し、すぐにKGBを辞めて(実際にソ連崩壊の引き金を引いたといわれる)サンクトペテルブルグ大学の副学長の補佐官へと華麗な転身、その後も転向を繰り返し、今の権力を握ったとのこと。こういった転向人生はけっしてプーチンに限ったものではないでしょうけど、やはり過去としては怪しい部類。地方へ自分の腹心(なのかな?まぁ、プーチン派ってことです)を送り込み、その地域の資源をがっつり押さえ込んでいる点も指摘されています。ついでながら、国歌のメロディーをソ連のものへ戻したのは共産党への配慮と言われていますけど、私の認識ではどう考えてもプーチンが最もそれを望んでいたのではないか?と疑ってしまいます。

さて、彼がやっている事が(私の考えとして)正しくないと判っているのに、なぜ、こんなに好きなのか?昔はやんちゃだったくせに柔道を始めてから礼儀正しくなったからかもしれませんけど(←個人的には結構ツボだったりする)、多分それはBANANA FISHの華龍さんが好きな理由と同じでしょう。どうも「野心のある人」が本当に好きなんですね、私。ついでにちょっと後ろ暗いところもかな?勿論、それだけではないと思いますけどね。じゃないと、「野心があってかなり怪しげな」ホリエモンも好きなことになってしまいますから。因みに「礼儀正しく、野心があって後ろ暗いところ」が大いにありそうなマフィアに引っかかるなと母から忠告を頂いたこともありました。兎に角私はこれからもドキドキしながらプーチンの行方を見守るでしょう…

プーチン批判とみせて結局、私の好みの考察になっているなんともいえないオチになりました。なんだか期待してしまった人、すみません。ついでにもう1つ、私の好みの基準を書いておきます。

「スーツが似合うのは普通の男
スーツが三割り増しで似合うのはいい男
制服(消防とか、警察とかそっち系)が似合うのはもっといい男
特に海自の白い制服が似合うのは文句なし」

これには2〜3人の賛同者がいたりします。何かの参考にどうぞ。

ほんとの参考リンク
ロシアが気になる…なんか面白いです。画像が多くて本当にロシアへ旅行したくなる。
プーチンの説明 Wikipedia…多分公式な写真なのに斜めから睨んでいるのがプーチンらしいといいますか…きっとブッシュなら真正面から微笑んでいるに違いない。
「プーチンって誰?」から「プーチンみたいな彼」まで…なんか楽しそう。

国歌

本当はブログの話が終わってから書こうと思っていたことなのですが、とんでもない勘違いを足掛け4年間していたらしいので、ちょっと今その衝撃を忘れないうちに書きます。

私は「長野冬季オリンピック」記念の「小沢征爾conducts世界の国歌」というCDを持っています。実は結構いろんな国の国歌を聴くのが好きなので。勿論一番は君が代ですけど、イスラエルの国歌も好きだし(まぁ歌詞はわからないので、メロディーが、ということですよ。)、1997年に買ってからず〜っと聴いてきた訳です。

さて、今日、「ブログ論ももうそろそろ終わるし、次は君が代について書こう!まずは、資料集めだよね…」とネットを漁っていたら、色んな国の国歌を歌詞付きで聴く事が出来るサイトがあったので、メジャーな国の国歌を聴いていたのです。アメリカとかイギリスとか中国とか…んで、ロシアの国歌を聴いた時、「ん?」と思いました。

私は、かなり前からとあるロシアの民族音楽(←そう思っていた。)を探していました。その曲は例えば「レッドオクトーバーを追え!」の途中で歌われたり、「ロッキー」で流れていたりしたから、「きっとソ連の軍の行進曲か何かに違いない」と思っていたんですけど…MIDIを聴いているとその曲が「ロシア国歌」として流れている…なんで?この曲ってロシアの国歌じゃないよ?と慌てて、先のCDのロシアの国歌を聴くとやっぱり違う曲…最初はそのサイトが古くて、未だにソ連の曲を国歌として流していると思ったのですが、(つまり、ソ連時代に「国歌」としてサイトを作ってからから更新をしていない、と思った。でもよく考えるとその頃、パソコンとかHPってマイナーな存在ですね。しかも、10年以上も放置って無いだろう…普通。)、どうも、私の認識が違っていた事が判明。2000年、プーチン大統領がメロディーだけ(正確に言うとメロディーと最初の1行だけ)、かつてのソビエト国歌に戻してた訳です。

本当に知らなかったのでビックリしました。逆に言うと、好きなメロディーが身近になったってことでちょっと嬉しい…小沢征爾のCDもまぁ、ちょっと貴重ですよね。今とは違う国歌が入っているわけですから。

取りあえず、以上が今日の衝撃。
ロシア国歌の説明&MIDIのリンク貼っておきます。

ロシア国歌の説明 Wikipedia
歴代ロシア国歌…一番上の9.0MBがフルコーラス・ヴォーカル付きで良いかと。因みに、エリツィンの 顔写真の隣にあるのが、私の持っているCDに入っていた曲です。
Wikipediaによる国歌一覧
世界の国歌…楽譜付き。MIDIはショボイ。君が代はヒョロヒョロしているし…英語サイトです。

※追加補足※
つまり、わたしゃ、今日まで求める曲が「ソ連国歌」だということも知らなかった訳です。ソ連の時代の国歌ならば平成生まれの妹にメロディーを歌ったところで、彼女が知っているはずもないよねぇ。因みに私が一番古いニュースとして記憶に残っているのが「ソビエト崩壊」なのでした。

※追加補足その2※
私は、世界の国の国歌や国旗についてはある程度の知識を持っていたほうがいいと思う。勿論、あくまで自分と関連のある国で十分でしょうが…私がいままで行ったことのある外国ではやはり、国旗と国歌について国民は敬意を示しています。余計な失敗をしないためにも知っておいた方がお得でしょう。こちらが知っているということだけで、喜ぶ人たちもいますしね。勿論、国歌の歌詞も知っていて一緒に歌った方がいい…とまでは思わないんですけど。

かくいう私はどうしてもアメリカ留学中、朝一番の規律の姿勢で胸に手を当て国旗を仰ぎつつ(といっても相手はテレビの中)、国歌を歌う気にはならなかったので、起立しただけでした。アメリカに忠誠を誓う気がしなかったからです。でも、敬意は示すつもりで立ってました。時々「なんで歌わないのか?」と聞かれたりしましたが、「私は日本人であるから、忠誠は誓えない。でも、敬意を示したいので立っている。」といえばそれなりに納得してくれました。まぁ、忠誠を誓うのが悪いとは思いませんが、どうも私は留学中に「どう頑張っても私は日本人なのだ!」ということが判ったのでそうしたまでの事。今更後悔もしていないし、あえて人に私流を薦めようとは思ってません。

兎に角、国旗・国歌はその国の人みんなが知っているだけに、そしてその国の(最も確実な)敬意の対象だけに、旅行者という立場だったとしても知っていたほうがいいと思うよ?ということをいいたかったんです。因みに「蛍の光」のメロディは世界的に有名だから日本語で歌うと大喜びしたりします。

翔ぶが如く

巻目に突入。江藤新平がもうそろそろ死にますね。坂の上の雲で、てっきり正岡子規が2巻で死ぬと思っていましたが、そんなことはなかったです。よく考えりゃまだ2巻じゃん…あ、でも銀河英雄伝説では2巻でキルぴー死んだもんね、巻数は関係なさそうです。

さて、翔ぶが如くといえば西南戦争、西南戦争と言えば抜刀隊ということで、改めて「抜刀隊」(軍歌)の歌詞を調べてみました。6番まであります。長い…しかも曲の途中で転調しています。確かにこれでは伴奏無しだと音痴に聴こえるのもしょうがない…

歌詞&MIDI…音量注意

さらに今の形で、有名な「陸軍分列行進曲」としてはこちらのMIDIのほうが判りやすいかも。些か、妙な具合にはなっていますが、前奏部分はこっちのほうが自衛隊のものに近いです。

MIDI(おやじの旧い唄)…やっぱり音量注意

更に色々調べてみると、やっぱり太平洋戦争期の学徒出陣壮行会で流れていたのもこの曲のようです。(海行かばも流れたようですが…)今は陸自と警察で使われているようです。その曲の歴史や成り立ちは兎も角、歌詞の七五調とメロディーは個人的に好きですね。

ついでにこんなサイトもあります。大和レポートの際、お世話になりました。

戦争を語り継ぐ

軍歌は結構調べると色々な発見があります。軍歌じゃないけど「蛍の光」の3・4番とかご存知ですか?

1.
ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。
2.
とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。

ココまでは普通です。
んで、ここからは戦後歌われなくなりました。

3.
つくしのきわみ、みちのおく、
うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。
4.
千島のおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。
(Wikipedia)

これを軍国的ととる人もあるし、そうではなく兵士を送る歌だとする人もいます。多分「国のため」っていうのが問題なんでしょうねぇ…なんだか翔ぶが如くから遠いところに来てしまった…翔ぶが如く自体は相変わらず、西郷が嫌いで木戸さんが出てくると心が躍ります。

ついでに今日、図書館で借りた本が下にあります。公務員試験用に安全保障論の勉強せねば!試験内容もちょっと変わるし、英語ももう少し精進しないとナ!ということで。

藤堂平助

やっと藤堂平助について語ります。というより、アマゾンくっ付けたんであまり日常的な話題を書くと変な言葉を拾ってしまうので日記は無理かも…(昨日は食費徴収に引っ掛かった)

藤堂平助ですね。まずは基礎知識をwikipediaから。
新撰組
藤堂平助
大体のことはこの中にあるので特に付け加えることも無いんですが…あとはこんなサイトも
こちら

え〜、まず藤堂さんは新撰組において「近藤先生や土方さんや沖田総司ほどはメジャーじゃない、しかし、かといって新撰組モノの小説や漫画を読む人は絶対知っている」というまぁ、準メジャーな人です。あれです、永倉さんや原田さんとトリオ見たいな感じ?最近の傾向では。peace makerとかギャグトリオ要員でしたから。実際はどうなんでしょうね…?私的には月明星稀のようにやはり同門ということで山南さんと一番懇意だったと思います。北辰一刀流は同門意識が強かったらしいし、恐らく新撰組内でも学のあるほうだったんだなぁと。

そして外見はかなりの美形でチビだったらしい。生まれが実は御落胤と自分でも語っていたらしいのできっとノーブルな顔立ちだったんだよ。実際に持っている刀は藤堂家お抱えの刀工のモノであったということからもあながち嘘じゃないと思うんですけど…もしかしたらそんな刀持っていたからそういう噂が出たのかもしれません。そして、沖田総司より若いです。ホントです。因みに斉藤一も若いんだよ、意外と。確か藤堂&斉藤が同い年で総司が2つ上だったと思います。世間のイメージって怖いね…(エッ?)

次に彼の思想ですがどうも他の北辰一刀流の人たちに洩れず、生粋の尊皇攘夷派だったご様子。同門の山南さんも新撰組からの脱走しようとし(まぁ、これはモドキなのかもしれませんが。えー、つまり土方さんへのあてつけというか、自分の思想の表明というか…)、藤堂平助自身も後に新撰組から分派してしまうことを考えるとこれに間違いはないと思います。多分、猛烈に悩んだんだろうなぁ…今まで背中を預けて闘ってきた試衛館からの友人を取るか、または自分の思想、そして、伊東という師匠(より弟子だったらしいですから)をとるか…結局、思想を取り、最期は新撰組の手にかかって死ぬ訳なんですが。

さて、藤堂平助ファンにとってのバイブルは間違いなく「藤堂平助(秋山香乃)」でしょう。もう、すんごく心理描写に涙を誘われます。うぅ。ただし、藤堂平助と土方さんとの絡み(絡み…じゃないか。じゃ何?交流?)がメインでそれだけはちょっと違和感。そして、オリジナルストーリー(史実には無い)の遊女との絡み(こっちはほんとに絡み)にはいささかヒキました。でも、まぁ、バイブルに代わり無し!読むように。

同じ系統の平助を求めるならば「月明星稀〜さよなら新撰組〜(盛田賢司)」って漫画でしょう。山南さんと並んで学がある姿が見れます。そして、沖田総司と猫を取り合いをする姿も…この漫画の主人公は土方さんですけど、むしろ総司のほうがイイ感じです。いい感じでヒラメ顔でいい感じで背高のっぽです。綺麗で華奢な総司を希望する人は恐らく泡を噴くので避けた方が賢明です。

江戸っ子の平助ならば「バラガキ(中場利一)」かな。泥だらけ平助です。「ひなたの狼(斉藤岬)」もこの系統?ただし、桂小五郎との区別がつかない漫画です。みんなザンギリ頭だし…こちらの漫画の沖田は「月明星稀」よりヒラメ顔なんで気絶しそうな人もでるかもね。後は、司馬遼太郎とか池波正太郎あたりの大御所のは読んだことあるけどいまいち記憶に無いんで、今回はパス。後は〜、peace makerですかね。この漫画は最初はギャグ要員だったんだけど…結局油小路の話までいったんだろうか?史実に全く即していないので、まぁ、可愛らしい平助(っていうよりむしろ永倉新八)を見たい人以外にはまぁ、あまりお勧めはしません、私は。一番メジャーではあるんですけどね。

最期にゲーム類ですけど、ワタシャ、全くコントローラー(っていうのあれ?)に触ったことの無い人間でゲームはそれこそマリオの時代から全くやったこと無いからわからんのですけど、普通の戦闘もの以外にもこんなものもあるらしい。私には、主人公のお姉さんと平助の区別が全くつきません。「登場人物〜藤堂平助」って言ってご覧。背景にある主人公と平助の画像が主人公が分裂した挙句、「あはは〜、うふふ〜」しているように見えますから。近藤さんが金髪だし、土方さんはまぁ普通(でも無いけど)で、総司が綾波レイで、2・3人飛ばして、原田さんはワンピースのアーロンの仲間みたいで、挙句に才谷梅太郎は十二国記の楽俊(人間バージョン)ですよ。あとね、製品概要ってところは見ないほうがいい…私はビックリした。一回心臓止まった。あれをカレンダーできる人はツワモノです。

新選組全体ならばこちらの ブログ が素敵な感じで纏まっています。

う〜ん

愛国心って「国を誇りに思う心」だと思っているのですけど、私は。慶応ボーイには腹が立ちました。なんだかな、それは違うと思うんだよな。国に父母を重ねたりするのはまぁいいとして、「はっきりいって自分はずっと勝ち組」「お金がないというのが怖い」「周りに勝たなきゃいけない」とか日常についての発言が一番腹立たしかったです。喋り方もいやらしいし、なによりカラオケで軍歌を歌うなよ…そんなに強い自分、強い日本を望むのなら自衛隊に入るがいいさ。

ついでに自衛隊は反対なのに米軍について何も言わないのも間違っていると思います。第9条では「日本国民は〜」だからアメリカ軍についてはとやかく言えませんけど、前文では「恒久の平和を念願」とあるのだから…なんと言えばいいのかね?(まとめられなくなりました。)自分たちは軍を持たず、平和憲法を守っているつもりでも、他国の軍に国土を貸して、とりあえず守ってもらっているのならそれは憲法の精神に反しているのでは?ってことかな。自分さえ良ければ…ってもんでもあるまい。私は憲法改正の有無に関わらず、自衛隊の人が自分が国を守っているという誇りを持ち、国民も自衛隊が守ってくれているのだと感謝まではいかなくても尊敬の気持ちを持つべきだと思う。勿論、国を守る方法は自衛隊だけではないのですけど。う〜ん、やっぱり日本は日本人に守って欲しいというのが本音かな。同盟関係ならばいいのだけど今はまだ、アメリカ側にも日本側にも「アメリカ軍が日本を守っている」という思想がありそうで。レイプとかさ…いろいろ。アメリカ人ってたまに?日本の位置を知らないし。ま、アメリカ軍がいなけりゃいないで自衛隊は正式な軍としてより強力な武器を持ち、より多くの権限が与えられただろうから、歯止めの役割も果たしているのかもしれませんね。

兎に角私は、ただ単に過去の歴史からのみ強い日本を求めるのは反対です。「強くない日本」は「なぜ日本だけいまだに悪者なのか?」の答えにはなっていません。取り上げられていた二人はちゃんと本も読んで、過去についても色々勉強をしているようですけど確かに筑紫哲也のいうように世代的に違いによって国家に対する信頼度が違うのかも…と思いました。今のほうが盲目的に信じてるんだってさ。わたしゃ、小泉首相の靖国参拝とか法律が国会を通過するたび「こうしてどんどん気が付かないうちに変わっちゃうんだなぁ」と考えていたクチで。前にも書きましたが「国民の無関心」が一番の問題です。