Archive for the ‘本について’ Category.

松岡正剛「文明の奥と底 千夜千冊エディション」収録本リスト

☆:読む前に読んだ本

★:読んだ後に読んだ本

  • ジークムント・フロイト「モーセと一神教」895夜
  • アーサー・ケストラー「ユダヤ人とは誰か」946夜
  • ノーマン・コーン「千年王国の追求」897夜
  • バーナード・マッギン「アンチキリスト」333夜
  • アモス・エロン「エルサレム」1630夜
  • デイヴィッド・グロスマン「ユダヤ国家のパレスチナ人」398夜
  • 旧約聖書「ヨブ記」487夜
  • ルネ・ジラール「世の初めから隠されていること」492夜 ☆
  • レオン・ポリアコフ「アーリア神話」1422夜
  • ハインツ・ゴルヴィツァー「黄禍論とは何か」1423夜
  • マフディ・エルマンジュラ「第一次文明戦争」720夜
  • エドワード・W・サイード「戦争とプロパガンダ」902夜
  • 徐朝龍「長江文明の発見」331夜
  • 古賀登「四川と長江文明」1452夜
  • 宮本一夫「神話から歴史へ」1450夜
  • 林俊雄「スキタイと匈奴 遊牧の文明」1424夜
  • ナヤン・チャンダ「グローバリゼーション 人類5万年のドラマ」1360夜
  • ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」1361夜 ☆
  • フェルナン・ブローデル「物質文明・経済・資本主義」1363夜 ★
  • オスヴァルト・シュペングラー「西洋の没落」1024夜
  • アーノルド・J・トインビー「現代が受けている挑戦」705夜
  • コンラート・ローレンツ「鏡の背面」172夜
  • ダニエル・ベル「資本主義の文化的矛盾」475夜
  • サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」1083夜 ☆
  • ラジ・パテル「肥満と飢餓」1610夜

松岡正剛「デザイン知 千夜千冊エディション」収録本リスト

☆:読む前に読んだ本

★:読んだ後に読んだ本

  • ヴィレム・フルッサー「デザインの小さな哲学」1520夜
  • ランスロット・ロウ・ホワイト「かたちの冒険」308夜
  • ジョージ・ドーチ「デザインの自然学」1311夜
  • ルネ・ユイグ「かたちと力」140夜
  • 吉田光邦「文様の博物誌」401夜
  • ルドルフ・ウィトカウアー「アレゴリーとシンボル」685夜
  • エルヴィン・パノフスキー「イコノロジー研究」928夜
  • ヤーコプ・フォン・ユクスキュル「生物から見た世界」735夜
  • パウル・クレー「造形思考」1035夜
  • モーリス・メルロ=ポンティ「知覚の現象学」123夜
  • クルト・コフカ「ゲシュタルト心理学の原理」1273夜
  • ヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカー「ゲシュタルトクライス」756夜
  • 佐々木正人「アフォーダンス」1079夜
  • ドナルド・A・ノーマン「エモーショナル・デザイン」1564夜
  • 立岩二郎「てりむくり」495夜
  • ベルナール・パリシー「陶工パリシーのルネサンス博物問答」296夜
  • 喜田庄「レンブラントと和紙」1255夜
  • 榧野八束「近代日本のデザイン文化史」439夜
  • 伊東忠太 藤森照信 増田彰久「伊東忠太動物園」730夜
  • 村松貞次郎「大工道具の歴史」379夜
  • 平田雅哉「大工一代」531夜
  • 原弘「デザインの世紀」1171夜
  • モホリ=ナギ「絵画・写真・映画」1217夜
  • ブルーノ・ムナーリ「モノからモノが生まれる」1286夜
  • ジャン・バーニー「エットーレ・ソットサス」1014夜
  • 杉浦康平「かたち誕生」981夜
  • 堀内誠一「父の時代・私の時代」102夜
  • 石岡瑛子「I DESIGN(私デザイン)」1159夜
  • 内田繁「インテリアと日本人」782夜
  • 川崎和男「デザイナーは喧嘩師であれ」924夜
  • 山中俊治「デザインの骨格」1644夜
  • PDの思想委員会 三原昌平編「プロダクトデザインの思想」1191夜
  • 鈴木一誌「ページと力」1575夜

松岡正剛「本から本へ 千夜千冊エディション」収録本リスト

☆:読む前に読んだ本

★:読んだ後に読んだ本

  • 道元「正法眼蔵」988夜
  • ブレーズ・パスカル「パンセ」762夜
  • 滝沢馬琴「南総里見八犬伝」998夜
  • オノレ・ド・バルザック「セラフィタ」1568夜
  • エドガア・アラン・ポオ「ポオ全集」972夜
  • リュシアン・フェーヴル アンリ=ジャン・マルタン「書物の出現」1018夜
  • デレク・フラワー「知識の灯台」959夜
  • フランセス・イエイツ「世界劇場」417夜
  • メアリー・カラザース「記憶術と書物」1314夜
  • ジョナサン・グリーン「辞書の世界史」6夜
  • ヴィンフリート・レーシュブルク「ヨーロッパの歴史的図書館」282夜
  • アルベルト・マングェル「読書の歴史」383夜
  • 小川道明「棚の思想」752夜
  • ウォルター・J・オング「声の文化と文字の文化」666夜
  • 川島隆太 安達忠夫「脳と音読」1233夜
  • 前田勉「江戸の読書会」1661夜
  • 上田利男「夜学」759夜
  • 周興嗣「千字文」357夜
  • 前田愛「近代読者の成立」1282夜
  • ゴットフリート・ロスト「司書」1214夜
  • ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝記集」552夜
  • ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」241夜 ☆
  • アンドルー・ラング「書斎」347夜
  • レイ・ブラッドベリ「華氏451度」110夜 ☆
  • デヴィッド・L・ユーリン「それでも、読書をやめない理由」1632夜
  • ジェイソン・マーコスキー「本は死なない」1552夜

徒然読書日記

1冊ずつ1記事にするほどの分量にならなさそうなので、まとめてしまいます。

母から借りた本。Amazonのレビューでもボロクソだが、私も大体同じ感想。この本は断じて茶会メインではない。著者の専攻である東アジア関係史の枠組みから、永楽銭や暦について論じているのはまぁ面白かったが、読後「織田信長の茶会どこー?」状態になる。我が母はお茶を長くやっており、その流れでこの本を購入し、「真っ先に読んで、とっとと返せ」と言っていたので未読らしいが、母が読んだら失望しそうである。本能寺の変の黒幕部分もうーん?と言う感じ。母からは呉座先生の「陰謀の日本中世史」も借りたので、これでケチョンケチョンに論破されるんだろうなと思う。

印象が薄い!シンポジウムや座談会のまとめだからしょうがないのかもしれないけど。民衆の虐殺が戦国時代までは起きていたが、その後はなくなった(そして、またこの100年に復活している)と言うのが面白い視点だった。

カイヨワは松岡正剛経由で気になっていたところに、我が宿敵「蛸」の話だったので、速攻買った本。半分くらいは解説で、その解説を読むのが苦痛で苦痛で・・・カイヨワの本を一冊ずつ解説?要約?しているのだが、「あー、(この解説読むより)原書を読んで自分で考えた方が楽だろうな・・・」と思った。5回くらい。と言うことで、カイヨワの戦争論遊びの本は今度読んでみようと思う。本文の方は人間がいかに勝手に生物の一特徴を神話的イメージまで発達させるか・・・ということで、宿敵蛸との私との講和にはつながらなかった。校閲がザルだったのか、たまに蛸が「蛹」や「婿」に誤植されてたぞ。

因みにどうしてそんなに蛸嫌いかと言えば、忘れもしない小学校5年生の時の臨海学校で、壺に入った蛸を引っ張り出そうとしたら、左手に絡みつかれて全然取れなかったからである。その上、その日の夕食にでてきた蛸の角煮が固くて固くて全然噛みきれないものだから、一気に嫌いになってしまった。ワサビ、コーヒーと大人な味のものが元々苦手で、30半ばでやっと克服したのだが、蛸だけではいまだダメである。蛸との戦いはまだ終わらない。次は「タコの心身問題」でも読んでみようかな。

シン・ゴジラと神話

今更すぎることは自覚しているし、恐らく既に何人もの方が指摘済みであろうことも分かっているのだが、昨日頭の中で繋がって感動したのでメモ。

風呂の中で寺田寅彦の「天災と国防」の中から「神話と地球物理学」というエッセーを読んでいていたのだが、この話自体は「各国(各文化、各文明)の神話は太古に起こった地球の自然現象を反映しているものだろう」という、「仰る通り」な主張です。で、ですね。「あぁなるほど!」と思ったのが、早須佐之男命は火山現象を如実に連想させるものが多いと。その中に八岐大蛇について

「その腹をみれば、ことごとに常に血爛れたりとまおす」は、やはり側面の酸漿(あかかがち)からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆的にそう言ったものと考えられなくはない。

P133

とある。ここを読んで「シン・ゴジラのあの皮膚はこれだったんだなぁ!」と。であれば、「ヤシオリ作戦」も「アメノハバキリ」ともスーッと繋がる。ゴジラ=八岐大蛇=火山=天災なのだ。

因みに、私はずっと前から「神話と実際の自然現象の関係」を面白く思っていて、ノアや禹王の洪水神話の謎が気になってしょうがない。その辺もうちょっと色々と調べてみたいと思っている。これはおまけになるが、そこからさらに槃瓠伝説からの八犬伝に繋がることをつい最近知った。松岡正剛様さまである。

戦場のソーシャルメディア

新年一冊目、ではないのだけれど、新年最初に書き込みながら読んだ本なので、簡単に気になったポイントその他まとめたいと思います。

さて、ドナルド・トランプはソーシャルメディア(ツイッター)を使い大統領になった初の人物といえるのだが、この裏には周知の通り、色々な思惑の国や人が蠢いていて、それぞれ手を尽くしてトランプの大統領選を勝利に導いた。その詳細は本書を読んでいただくとして、ソーシャルメディアを使いこなしているのは、ISISも同じ。

「ISISは、現実にはこれといったサイバー戦の能力を備えていただけではなく、とにかくバイラルマーケティングのような軍事攻勢をかけて、あり得ないはずだった勝利を収めたのだ。ISISはネットワークをハックしたのではない。ネット上の情報をハックしたのだった。

P19

ISISのアカウントが「この街を攻めるぞー!」と呟けば、「ISISが攻めてくるぞー!」とツイッターやフェイスブックで住民や防衛している兵士の間に拡散する。結果、防衛側の士気が下がり、大した苦労なくISISは街を占領できる。「テロの恐怖」の拡散だけで、現実の戦いに勝てる可能性が出てきたのだ。戦闘するお金が足りなくなれば、ペイパルでクラウドファンディングでもすればよい。一人当たりは少額でも、全世界中から募金が集まる。正しく「戦争売ります」の世界だ。中東の戦闘から他の例をもう一つ。

結果は衝撃的だった。ネット上でハマス側への共感が急増すると、イスラエルは空爆を半分以下に減らし、逆にプロパガンダを二倍以上増やしていた。これらのツイートの感情(イスラエル寄りかパレスチナ寄りか)を時系列で表にすれば、地上で何が起きていたかを推測するだけでなく、イスラエルの次の行動を予測することも可能だった。イスラエルの政治家やIDF司令官らはひたすら戦場の地図を見つめていたのではなかった。自分たちツイッターのタイムライン、つまりSNS戦争の戦場にも目を光らせていた。

P311

現実の暴力や戦争とソーシャルメディアが完全に繋がった状態になってしまったのだ。

また、ソーシャルメディアにおいては、真実よりも「嘘だろうとどれだけ拡散したか」が重要になってくる。また「繋がる」こと自体に意味があるので、ユーザーは一つのサービスに集中しやすい。そこで影響力のある少数の「スーパースプレッダー」がシェアすれば、それは瞬く間に広がっていく。フェイクであろうと真実であろうと「物語」を作って [1]ちょっとした真実を混ぜ込むのが嘘を真と思わせるコツである。、拡散することがソーシャルメディア界を支配するキーになる。バイラル性は複雑なものと両立しない。本当は前提のあった物語(例えば「ちょっと小言を言っただけで、バットで殴り返してくる子供」)でも、それぞれの立場から都合のいい話に縮められて(「(ちょっと小言を言っただけで、バットで殴り返してくる)子供を平手打ちした」)、拡散していく。その流れを「ボット」や「トロール」などでコントロール出来れば、「思惑のある人々」にとっては上出来だ。トランプはこうして、ヒラリー・クリントンを下した。

とは言え、インターネットそのものは国に弱い。現に自由とは言い難い国ではインターネット遮断はよくあること。遮断すると経済に影響が出てしまう場合は、接続スピードをちょっと遅くすれば良い。もしくは「政府に都合の悪い意見を書き込むと刑務所に入れられる」といった雰囲気が国民の間に共有されれば、自主検閲が始まり、結果政府が望む意見が多数派になることも可能だ。

なお、中国のソーシャルメディアに対する態度は少し違う。資金を投入しまくったおかげで、世界一の監視サービスや他国の有害な情報を遮断する仕組みを整えることが出来た。国民のありとあらゆる情報を一つのプラットフォームに纏めることで、集中管理しやすくなる。おそらくいろいろな国にとって中国のネット環境は憧れだろう。だが、国民が政府より過激になってしまい、(かれらにとっての)弱腰政府の批判を始めないようコントロールしなくてはならなくなった。「社会信用システム」において、オンライン上で政府に都合の悪いことを言うなど、スコアが悪くなれば就職や結婚に影響する。もちろん、家族のスコアも重要なので、自主検閲せざるを得ない。この「1984」的なシステム、中国の輸出商品になっているらしい・・・

また、ソーシャルメディアにおいては、管理者が政府ではなく、一般企業という点にも注意を払う必要がある。どんなに崇高な理念で始めたものであろうと、現に戦場となっているからには規制が必要になってくる。如何にその規制を企業にやらせるのか?言論統制ギリギリの選択が求められている。また、そのソーシャルメディア企業が「どのような政治信念を持っているか」も重要で、それこそ反民主主義的国家に対して、放置以上に融通を利かせたり、ということもあるかもしれない。買収だってあり得るのだ。

本書において、「じゃあ、どうしたらいいの?」という問いに対して明確な答えは出ていない。ソーシャルメディア企業にも責任はあるし、何より一人ひとりがSNSにつながっている以上、この戦場の戦闘員となっている。「みんなが嘘を嘘と見抜けるように賢くなる」というのも非現実的だ。とりあえずはソーシャルメディアの仕組みや起きていることに自覚していくしか道はなさそうで、それはそれで遠い道のりになることは間違いない。

References

References
1 ちょっとした真実を混ぜ込むのが嘘を真と思わせるコツである。

原発は簡単に止められないのが問題なのかも?

国際関係論やってた都合で、核戦略やら核兵器はまぁ平均以上の知識はあるんですが、原発に関してはサッパリなので、頓珍漢なことを言っているのかもしれない。が、松岡正剛の「千夜千冊番外編 3.11を読む」を読んで唐突に閃いたから、簡単にまとめます。

まず、原発に関する私の基本的な意見というかスタンスはこちら。端的に言えば「原発問題は東電とか政府だけが悪かったのではなかろう。原子力に手を出した人間全体に罪があるのだ。」ということでございます。これについては、今の考えも変わってないです。

で、今回松岡正剛の本を読んでいて閃いたのが、「原発は一度動き始めると容易に止めることができない(人間が手を加えなくても勝手に進む)」点にその特異性があるんでは?ということ。閃いたというと自分の意見のようだが、本にはちゃんと書いてある。

原発はシステムの怪物なのである。システムというものは動いていないかぎりはシステムではない。

P 137

人の手が必要なのは最初の一押しだけで、あとは勝手に核分裂(融合)が進む。そして、それを止める術はそう簡単ではない。現に止め損ねた事故が何回も起こっている。ははぁ、やはり人が手にしてはいけないモノだったのだな・・・それが何かを見極めずに(戦時中だったから余計に)手を出してしまった。一度手を出してしまったら、冷戦中の核開発だとかエネルギー問題とか、あれやらこれやらいろんな理由が生み出されて、止められなくなってしまった。それこそ二重三重にシステムの虜だ。

どうも松岡正剛はその「原発っぽいシステムが日本中に蔓延っていること」が気に食わなくて、原発問題を考えつつ、原発っぽいシステムが311でもやっぱり止まらなかったことを抉り出そうとしているような気がするのだが、なんせ私もまだ途中までしか読んでいないので、これは単なる「今のところの個人的な感想」です。ただ、5章中3章が原発とそれに関わる問題についてあてられているのから、この見立て、そんなに外してはいるまい・・・

最後に、この本に収録されている千夜千冊自体、震災直後に書かれたものなので、総括がされていないのは当たり前と言えば当たり前なのだが、個人系には震災で日本人の自然観や人生観がどう変わったのか、それから東北の特殊性については、もうちょっと取り上げられていたら嬉しかったなぁ、というのが正直なところです。そういう意味では古川日出男の「聖家族」は東北が舞台でなんかキョーレツだったなぁ。震災前の小説ですが。

ハリウッドスパイ映画+水滸伝+ブラックラグーン、な本

なんのこっちゃ、と思われるタイトルだが、この通りとしか言えない。共通点はどれも一気に読める(観れる)ことである。安田峰俊氏の「「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄」も一気に読めた。すんごい長い原文を編訳という形で本にしたせいか、スピード感はバッチリ。そんな本なので、感想もチャチャッといきます。

まず興味深かったのが、安田氏の中国政治に対する(当初の)スタンス。ちょっと長いですが引用すると

率直に言って、中国の民主化運動への関心はあまりなかった。

活動家たちの主張にしばしば漂う自己陶酔的なロジックや、選民主義的な物言いが苦手なせいかもしれない。また、「民主化」というワンフレーズをあらゆる社会問題の処方箋に据たがるような、理想主義的な思考パターンに忌避感があることも関係している。

そもそも、近年の中国の政治力や経済力が日本を上回るほど「強く」なった理由は、彼らが人権や民主主義を無視できたからだ。加えて前近代の中国は、洗練された専制体制を武器に、後年の民主主義の歴史よりもずっと長期にわたって世界の先進国となってきた国ではないか。

中国共産党の政治は、歴史的に見て最も妥当な中国の形を復活させたものだ。それが国家に強さと豊かさをもたらす以上、庶民にもそれほど悪い話ではなく、ことさら民主化を求めるような主張が支持を得られるわけがない。(後略)

P3

中国大好き人間は、マジで中国大好きなタイプと、中国大嫌いで大好きなタイプのどちらかが目につきやすいが、なんと冷めた見方だろう。・・・嫌いじゃない。まぁ一応「顔伯釣に出会うまでは」ということだったので、今はどのようにお考えかは知りませんが。

そして、肝心の内容だが、日本で詳細には報道されない中国の民主化運動(公盟/公民)の動きや中国政府の監視のやり方、ついでにミャンマーの軍閥状況までわかる一粒で三度美味しい仕様である。そもそも、中央党校出身な上に大学で教えていた知識人であるから、言葉使いも洗練されていて読みやすいのだ。章のタイトルも「惶惶たるは喪家の犬の如し」「貧しきハーケンクロイツ」「君子は以て自強して息まず」など、なんだかいちいちかっこいい。 [1]これは編集者の功績なのかもしれないが。

まぁ、全般的には「中国当局、マジ怖い。携帯逆探知とかスパイ映画!?」って感じなんですが、実際に逮捕されたら拘置所内は人情に恵まれ、奥さんを使った作戦も、いつぞやに見たナチス映画「ナチス第3の男」の終わりの方の拷問シーンよりはずっとマシ。原作の「HHhH」ではどうだったか忘れたが、映画では奥さんが反ナチシンパで、その旦那を子供の前で拷問して、子供に自供させてたもんなぁ、と思ったり。だからと言って、中国で起こっていること全てが「マシ」なのではなかろうが。そして、ボカしたり、フェイクは入れているだろうが、協力者について詳しく書いちゃって大丈夫なのだろうか?相手は携帯電話逆探知だよ!?「済南市近郊の田舎の回教で元村長で地方政府とやりあった四合院の家を持った人」とかすぐに探し出しそう。彼らの無事を祈らないわけにはいかない。

そして、この本を読んでますます気になるのが、「もっとさいはての中国」で述べられていた顔伯釣とのやりとり。この結末を知るのにあとどれくらい待てばいいのだろう。気になる・・・会いに行くから、安田氏にはこっそり耳打ちしてほしいレベル。

最後に、簡単にこの本から学べる当局に睨まれたときの逃亡法をまとめておく。どこかの当局から逃げる場合にご活用ください。

  • 携帯は電源をつけたまま自宅に置いて逃げること。GPS探知されているので、多少時間が稼げる。
  • 身分証の必要な飛行機(や電車)は使わないこと。
  • 同じ場所に長居しないこと。
  • 探知されているのが確定な同志の携帯電話には電話しないこと。
  • 自宅や同志や潜伏先に潜む怪しい男の姿を見分けること。革製のビジネスバッグを斜めがけしたスーツ姿の男は特に怪しい。
  • 車の中は安全ではない。盗聴器が仕掛けられている可能性がある。大事な話は車の中でしてはいけない。
  • コネ、大事。検問に詰めている兵士に「後ろの車、止めといて」って、お願いできるコネだとなお良い。
  • パソコンは押収されるので、きれいにしておくこと。
  • 逮捕歴ある場合は、出国に飛行機は使わない。陸続きの密(出)入国がやっぱりベスト。
  • チベットには行かない。向かった事実だけで、追求マシマシ。

と結構軽いノリで書いたが、中国の民主化運動についてやそれに対する当局の動きを知りたい人には強くお勧めできる本であることは間違いない。すぐに読めるので是非。


おまけ。「ミャンマーの軍閥ってなんか前に新書で読んだんだよな〜、なんだっけな〜、ワ州とかめっちゃ覚えてるんだけどな〜」と思ってたら、まさかの同じ安田峰俊氏の本でした。持ってたわ。

References

References
1 これは編集者の功績なのかもしれないが。

佐藤優の本はブックガイドとしての有用性が一番高い(気がする)

「牙を研げ」を読んで、会社の中で「ガルルルル」と強くなるような本では正直ない、と思う。はっきり言えば教養本で、これを読んだからと言って急に出世するわけでも、部下がついてくるわけでも、仕事ができるようになるわけでもない。読んでから更に(自分の努力で)次のステップに繋げることで、教養(歴史や論理学、数学、地政学)を身に付け、そうすれば会社でもええ感じでしょう・・・という先の長い話なのだ。「会社でもええ感じ」というよりは、広い視点を身に付けることで「会社がどうでもええ感じ」になって生きやすくなる、というのが本当のところな気もする。

構成は相変わらず、講座の内容をまとめたものをつなぎ合わせたものなので、前にも読んだ気がするな・・・という内容もたまにある。が、この本は星の数ほどある佐藤優本の中では比較的私のおすすめ度は高い。何故ならば、読書指南として、各章に(あんまりお値段の高くない)取り上げた本のリストがついており、それこそ「次のステップ」へ行きやすい構成になっているからである。1章、2章はマニアックの極みで旧日本軍の「統帥綱領」だとか「作戦要務令」だとか、金日成の「世紀とともに」とか、果ては「愚管抄」に「神皇正統記」など、この流れで誰がチャレンジするのだろうか・・・という本のチョイスだが、論理学を扱う3章からはグッと庶民的になっている。私が気になった本は以下の通り。

個人的に一番面白かったのは「おわりに 体験的読書術」という部分。読書はマトリクスを作って、今から取り組もうとしているのはどこに当てはまるのか?を考えた方がよい、らしい。つまり「天井(達成の目安)あり・なし」×「仕事・趣味・教養」で切り分け、「天井なし×教養」なんて最悪で、しかもそれが語学だと絶対に身につかないらしい。通りで私のラテン語も進まないわけだ!(だれかラテン語検定作ってください。そしたら「天井あり」になるのです・・・)

本の選び方についても「書評は新刊メインだし、違う人でもプレスリリース元にして似たようなことを書いていたりするからあまり参考にならない」とのこと。その点、松岡正剛の「千夜千冊」は古い本も扱っているし、そもそもまとめて読もうとすると求龍堂の10万のやつ(高い!)か、文庫でも今時点で1300円×12冊、「追々80冊くらいになるかも」らしいので、やはり10万くらいの出費になるから「モトを取ろう根性」が働いてしっかり読むだろう、と。確かにね。あとはアウトプットの重要さや、ブックレビュー会などについても書いてあったが、ここでは割愛。

個人的に一番「会社で」役に立ちそうだと思ったのが、上司は選べないし、逆らえないが、部下はなんとでもできる、ということ。やる気のないやつは切り捨ててしまえばいいのだし(間違っても本を勧めたりしない)、変なやつは自分のチームに入れないようにすべき。プラスのメンバーの中で「ゼロ」のやつがいても基本は悪さしないが、たまに「×0」で全てを台無しにするから・・・というのは、うーむ、思い当たることが多すぎるな。

というわけで、直接的な牙は生えないかもだけど、なかなか面白い本でした。

極めた人がやればカッコいいという話

母がお茶人なため、実家には茶花辞典だとか崩し文字の読み方だとか禅語だとか、まぁそういう本が溢れていて、たまに帰ってはちょいちょいピックアップして読んでいる。(ちゃんと返しているよ!松岡正剛の本は返していないけれど。)その中の1冊で、全体的に「平手前はなんとか覚えている・・・気が・・・する・・・」という私のレベルには高度な話題であったが、「茶道ここに極まり」といった感のある本をつい最近読んだ。裏千家の先生、三田富子の「お茶の技は心のかたち」である。

で、本全体に関する感想といえば「これがお茶・・・!」とただ見上げるしかない状態なのだが、ひとつ、面白いお茶会について書かれていた。海軍に入っていた大宗匠とのことなので、15代目のお家元のお話。で、その方をお招きしたお茶会の亭主が長崎の諏訪神社の宮司でこちらも海軍出身。そんな元海軍同士のお茶会のお道具は以下の通り。

  • 床(掛け軸):源田実の「紫電」の二字(このお茶会のために「彩雲」「紫電改」「紫電」を書いてもらった。)
  • 香合:白木の菊花(軍艦の船首の菊の見立て)
  • 花入れ:ほら貝(川中島の取り合わせ)
  • その他:床の間に短剣、大宗匠の戦友の写真

で、大宗匠はお茶室に入り、床の前でまず「紫電」の掛け軸に「敬礼」された、と。話自体は「おもてなしの心」についてで締めくくっているが、私はむしろこんなお茶会が存在したことにビックリしてしまった。最近もモダンというか、アバンギャルドなお茶会があるし、そういうのに文句をつける立場じゃないのだが、「お茶=あの感じ!」という印象が強いので、やっぱりなんとなく違和感を感じてしまう。が、このお茶会は「あの感じ!」の中で、うまーく海軍ネタを取り入れているわけで、その見立てや取り合わせが面白い。これは相当な上級者がやらないと失笑モノになるわけで、そういうのをサラリとやってのけたのが、すごいぞ・・・と。まぁ、これもそれも、三田先生のおっしゃる通り、「おもてなしの心」あってであり、海軍出身のお二人が亭主と客に揃ったからできるわけで、今海軍に縁もゆかりもない人間が海軍尽くしでやっても、やっぱりそれは失笑モノになるのだ。例えば、おじいさんが海軍出身同士でお互いそこに思い入れがある、とかであれば話が違うだろうが。やはり、お茶は奥深い。