Archive for the ‘本について’ Category.
2019-11-04, 09:00
何気なく図書館で借りたら、思いの外面白かった本。ナチスによる美術品の略奪は有名なものの、本についてはあまり知られておらず、その理由は本の中の早い段階で
「不幸なことにメディアの関心は本よりももっぱら美術品に向けられています。何百万単位の金額が付随する傑作の変換は大きな新聞記事になるが、一冊の本の場合に同様なことは望めません。どれほど心揺さぶられるような出来ごとであっても」
ハルトマンは本をめぐるもうひとつの問題を指摘する。
「美術品はたいがい出所がわかります。古い作品は展覧会のカタログ、競売の登録に記載されている、あるいは批評家が取り上げられている。だから辿ることができます。本の場合にそのようなことはめったにありません。スタンプがなければわからない。例外はあるにしても、美術品と違って本は一冊ずつが独自の存在ではない。だから膨大な作業が必要になるのです」
P48
と明かされている。金額的価値が低いこと、同じ本が何冊も流通しているため、「その特定の本自体の持ち主」が蔵書印などないとわからないこと、そしておそらく、「1つあたりの金額的価値が小さくて、たくさんある=たくさん集められた」が故に、その後美術品のように丁寧に扱われず、痛んでしまったり、燃やされた本が多いことも、人々の本への関心の薄さの現れかもしれない。
この本を読んで考えずにいられないのは、「今も時代に同じことが起こったら?」ということ。大量印刷の量も当時とは桁違いだし、そもそもKindleなど、電子化も進んでいる。ナチスが目論んだことは可能なのだろうか?
そもそもなぜ、ナチスは本の略奪を目論んだのか?ユダヤ人を絶滅(当初の予定ではヨーロッパから追い出す)ことが目的ならば、彼らの蔵書やユダヤに関する本も燃やし尽くして、存在自体をなかったことにすればよいだろうに、そうではなく本を収集したのはなぜか?これがおそらく、同時期の日本と違うところで、ナチスは「イデオロギー」に大真面目に取り組んでいたんである。宣伝省なんてものが存在している時点で結構お察しなんだが、本の略奪もその後「敵としての研究」に必要だから残されたわけで、
人間は進化し、変化し、死ぬ。だが思想は不滅である。最終的に千年王国の存続を保証するものはイデオロギーの強固な土台のみだった。ナチは時を超えて−とりわけ総統の死を超えて−生き残るだけの、イデオロギーの面で強固な構築物を作りだねばならなかった。
P118
もちろん、全ての本がこの目的ではなかった。ローゼンベルクは党内の古参であり、イデオロギーの専門として、高等学院、研究センターの創立にも関わり、そこに収めるための本を略奪したわけだが、親衛隊が収集した本はもうちょいオカルトな本も混じってて、中世に魔女として火炙りにされた女性たちは、このナチスの反カトリックな思想に助けられて、名誉回復したりしている。 何れにしても、ナチスはヨーロッパ中から本をかっさらっていったんである。
さて、本書は「ナチスの略奪」についてなのだが、元の持ち主に本が帰らないもう一つの理由が存在する。正直、他のいろいろなこととでも起こっているので、「またお前らか」という感じだが、ソ連、そしてロシアのせいである。ナチスが収集した本を再略奪したのがソ連であり、それは戦利品なのだからということで、ロシアもなかなか返そうとしない。本はいまも散らばったままなのだ。
ここで、最初の疑問に戻る。「今の時代に同じことが可能なのか?」多分、可能だろう。本の規模も違うが、破壊の規模も当時と違う。もっと効率よく収集と破壊ができるだろう。Kindleにしても同じ。出元を差し押さえたり、端末を壊したり、データを破壊したり、多分、紙の本に比べると略奪・破壊に関して多少いたちごっこになるだろうし、生き残る本もあるだろうが、ある程度であれば可能だと思う。
本は人の思想の現れである。美術品以上に人の考えを直接的に伝播可能な、安価で大量生産可能な代物だ。だからこそ、人は本を慈しむし、人の思想を破壊したいものは本を狙う。テレージェンシュタットからアウシュヴィッツに送られたユダヤ人は誰しも(自分の運命を知りながら)2、3冊の本を持っていったという。私も同じような状況下に置かれたならば、(そして可能ならば)自分の蔵書から何か1冊でも持っていきたいと願うだろうけれども、さて、どの本を選ぶのだろうか。
2019-11-03, 12:13


私の大学の専攻からすると、今更感が溢れるばかりの本を、今更読みました。実は洋書(原著)でも持ってるんだけど、洋書はかなり覚悟を持って挑まないと、手を出せないので、長らく積読状態・・・そのうちまたちゃんと読もうと思います。
で、まず表紙についてなんですが、下巻の方は東京裁判ってのがすぐにわかるものの、上巻(そして洋書の)表紙は私ずっと「浜辺を歩いている男性」だと思ってたんですね。マジマジと眺めたことなかったし。実はそれが「広島を歩いている男性」と知ったのが、この本で一番の個人的衝撃。よくよく見ると、遠くの方に木がうつってたり、小屋みたいなものもあるので、陸地というのがわかるんだけれども、そのほか「街っぽい」ところが何にもなく、平べったい部分(浜辺に見えたおそらく道路)とちょっと凹凸のある部分(波に見えたおそらくかつて建物のあった区域)から浜辺だろうと勘違いしておりました。原爆がどれだけいろいろな物を吹っ飛ばしていったか、という証左でもあり、それがまた恐ろしい。
さて、肝心の中身は戦後日本のいろいろな側面から論じており、有名な本だからこそ今更私がここでどうのこうの言うのもどうかと思うので、「あくまで私のピックアップポイント」で書かせていただきます。
まず、マッカーサーとGHQが、天皇の戦争責任をなぜ回避したのか?その理由として「占領に役立つ」というのはいいのだが、ジョン・ダワーの書きっぷり(彼自身は天皇の無罪放免に反対の立場の模様)からすると、他に何か理由がありそうに感じてしまう。「占領に役立つ」だけでは、物足りないというか・・・ただ、その他の理由が読めども見えてこないので、非常にモヤるのだ。もちろん、これは単に私の読解力がないだけなのかもしれないが。最終的に戦後の皇居で行われていたというGHQ高官およびその家族を招いての鴨猟(とそれに類するもの)が理由なんではないか?と考えてしまうほど。
そして次に東京裁判について。以前読んだ半藤一利の本に「ナチスと違って、日本の場合は共謀罪が適用できず、最終的になあなあになった」といった趣旨のことが書いてあったんですが、今回「敗北を抱きしめて」を読んで、なるほどこれは確かにそうだったのだな、と。確かに、1933年からずっと継続して、同じメンバーが政府を取り仕切り、同じメンバーがそのまま「人道に対する罪」を犯したナチスと違って、同じ期間に12人も総理大臣が変わってるし、メジャーなところで日中戦争を始めたのと、太平洋戦争を始めたのは(もちろん、全く無関係ではないのだが)違う内閣で違う理由からである。誰かがわかりやすく「一番悪い」状態ではないが、それがわかりやすかったナチスのときの基準をそのまま適用してしまったのが東京裁判の問題であり、そのような問題を孕んだままに進めてしまったから、いまだに歴史観が二分されている、ということなのでしょう。ものすごくはっきり言えば「日本人に言い訳の余地が残されてしまった」ということか。
「言い訳の余地が残されてしまった」というのは、実は他のGHQの政策でも同じで、先に取り上げた天皇の戦争責任もそうだし、かなり理想主義的な憲法の中身をきめておきながら 、それに反するかのような施策を占領末期に行う、民主主義や自由を称賛しつつも、反体制的なだけではない、今考えると「?」なものまで検閲をするなど、結構ダブルスタンダードが甚だしいような・・・そのままここまで来てしまった日本は、そのダブルスタンダードを抱えたままにするのか、それともそれを解消するのか、どこかで決めなければならないし、決め方をミスるとまたもや取り返しのつかないことなることになるでしょう。どっちに転んでも。
最後に私の気分を表している部分を引用して終わります。
この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである。
下巻 P227
2019-10-13, 08:00
小説よりもノンフィクションを読むことの方が圧倒的に多いのだが、10年以上何度も読み返しているシリーズもの小説がある。「銀河英雄伝説」と「十二国記」だ。「銀河英雄伝説」からは政治について、「十二国記」からは人としてのあり方を学んだと思っている。
今日たまたま立ち寄った本屋で、「『銀河英雄伝説』にまなぶ政治学」という本を見つけた。もちろん、買っちゃったわけだが、目次をみても「民主主義」「リーダーシップ」「地政学」「テロリズム」「正戦論」とまぁ、現実の政治世界(どちらかと言えば国際政治)での重要なポイントが銀英伝には散りばめられていたんだなぁ・・・と改めて感心してしまった。
因みに私のお気に入りは、銀英伝を初めて知ってから「ロイエンタール→オーベルシュタイン→ファーレンハイト」と1年位で入れ替わり、その後はずっと20年近くファーレンハイト一筋だ。単に顔の線と顎が細いのが好みなだけなんだが。なお、結婚するならアッテンボローが一番面白そうだと思う。
「それがどうした」というのが最強の言葉であるというのに感銘を受けたり、OVAシリーズを全部見てクラシック音楽を聴き始めたり、最終的には物理学から国際政治学専攻に文転したり、本当に銀英伝にはお世話になった。今の私の中から銀英伝由来の要素を抜くと、さぞかしツマラン女の殻が残っていることだろう。
いささか懐古主義的なので、新しいアニメは見ていないし、藤崎竜の漫画版は途中で追うのをやめたが(因みにアニメ派だったので道原かつみ版も読んでない。ファーレンハイトが七三分けだったのが、許せなかった。)、若い人たちが新しいアニメや漫画をきっかけにして、20年前の私みたいに色々と世界を広げてくれればいいなと思う。
2019-10-05, 11:38
Twitterでも呟いたけれども、アメリカ留学時代に周恩来についてレポートを書いた都合で、彼が死んだときのことまでそれなりに知っているのだが、それ以降の中国史に関してはあまり知らなかったりする。「天安門事件」は「それ以降の中国史」のなかで結構大きな事件だが、実は全然わかっていない。知っているのはあの写真と学生の運動だった・・・ということくらい。だいたい、89年ならば、私はしっかり生まれているし、そこそこ記憶があってもいい頃なんだが、覚えていない。なので、この本は私にとって「初天安門」である。
事件の概要もろくに調べずに、色々な背景をもった人へのインタビューで構成されている本書を読んだのだから、正直細かなことは何も言えない。それでも読み進めながら考えたことなどを羅列してみる。
日本の学生運動との関連
組織論的な部分で似てるな・・・と思った。正直東大紛争はよくわからないのだが、連合赤軍あたりに一時期凝っていた身としては、
- 天安門事件後の動きになるとは言え、細かな思想の違い(という名の単なる人間関係)で分裂してしまい、統一された活動が出来ていない。というより、内紛に近い・・・
- 盛り上がったのが学生だけ。社会人をあんまり巻き込めていない。
- その後運動は廃れる。
あたりがそっくりだなぁ、と。日本の学生運動のほうが暴力的ではあったが、外部(政府)からの圧力は天安門事件の方が圧倒的に上。この辺はちょうど真逆になっていて興味深い。やはり国の体制の違いか?
中国の身分制について
「身分制」というのは正しくないのかもしれないが、「士庶の別」が存在し、当人たちもそれを意識していたというのが学び。中国の事情は詳しくないが、日本と同じように当時に比べて大学進学率も増えているだろうし、そうなると「自分たちは特別」感は減っているのではなかろうか?でも、留学とかにも熱心だし、そもそも人口の規模や貧富の差が全然違う(日本に比べて貧困層が多い?)ので、今でもその意識は強いのか?まぁ、北京大学の学生とかなら不思議じゃないですけど。
大人になってハマると危ない
頭のよい、そこそこ身分の高い人が学生のうちにハマってることに、大人になってハマった非知識人は、知識人ではないが故に、コネもなく、賢く身を守ることもできず、当局に弾圧されてしまうというのが、絵に描いたようにはっきり理解できた。知識人たちは大人になると、現実との折り合いをつけないと生活できないことに気がつくし、実際そうやって過ごしていって保守的な考え方になっていくのに対して、非知識人は大人になって初めて(インターネットで)過激な意見を目にして、そこでおそらく当人にとっても初めてに近い承認欲求を満たそうとしてしまう。それゆえに危険なのだ、というのは、日本でも同じではないか?
今の香港との繋がり
去年出た本だしメインは天安門事件についてなので、この本を読んだところで完璧に現在の香港の混乱を理解できるわけではないが、香港についての部分で多少考えるヒントになった。ややこしいが「本土派」は中国本土と一緒になりたいんじゃなくて真逆・・・とかも驚き。不勉強で雨傘革命についてもろくに知らないので偉そうに言えないが、やはり習近平の影響が大きいのだろうなと思う。そこそこの締め付けならば反対運動もそこそこで済むはずなのだが、がっちりやるから、デモ側もやり返す。ただ、無駄に暴力的になっている部分はデモ側にもあるだろうし、難しいところ。体制側もデモ側もまずいほうへ転がり込んでいるような気がしなくもない。また、直近2名が撃たれているが、それが両方とも(いたいけな小さな、とは言い難いが)子供という点で国際的な非難や動きもあるだろうし・・・うむむ。詳しくないことについて、現在起こっていることを予測しようもないので、勉強しつつニュースを追っていきたいと思います。
最後になるが、学生運動っていうのは、「学生」とつく通り、「若くて」「時間があって(暇で)」「社会の荒波にはまだのまれておらず」「でもなんか不満を抱えている」人がするもんなのだ。知識人とは言え、社会に出ていないから理想論だし、無駄にまっすぐで権謀策略も使えない。統一した見解をグループで持つこともできず、内部分裂しがち。若さ故の過ちだった・・・と考える人が多いのも納得である。
2019-08-03, 00:37
ちょっと前に読んだ「蛮行のヨーロッパ」。この本も二の腕鍛える系だが、5センチの厚さで600ページ。ページに対する熱意が足りないのではなかろうか?京極堂シリーズ(文庫)を是非とも見習うべきである。
さて、一言でこの本をまとめるのであれば、それはずばり「戦争は急には止まらない」だろう。特にナチスの蛮行・締め付けが強かった東欧について、戦後も(西側に比べると)虐殺、民族浄化、強制移住、レイプと暴力がなかなか終わらなかった。一部を除いてピタリと終戦を迎えたつもりの日本との差はどこにあるのだろうか?
あと、このような暴力をそれぞれの民族・国がそれぞれの立場で、数を割増・減少させて主張するのは、これはもう、人間のサガなのだろうと諦念してしまう。主張者の立場や背景をできるだけ正確に抑えることが、真実への近道か・・・
とりあえず、図書館で借りた大物系は全て読み終わったので、またしばらくは家の積読を片付けようと思う。ここ最近サボっていたが、蔵書登録も進めなくては。年内に全登録、来年には分類に手をつけたいと考えている。
近況を少し。今週末、来週末と甥っ子・姪っ子に会うのだが、「優しいおばさん」としては、何かプレゼントしてあげたいと思っている。おもちゃなんかはジジババが買っているので、やはりここは私らしく本を・・・と考えているのだが、なかなかちょうどいいものがない。絵本はもうそろそろ卒業させたいが、青い鳥文庫はまだ早い。程よい文字数のお話がなくて困っている。いっそ自分で作ろうか、というのが今の心境。
明日というかすでに今日だが、小田原の花火に出かける。人出が多いのが嫌いなので、あまり好んで出かけないのだが、今年の花火はこれで2回目。1回目は熱海でホテルの部屋から見たし、今回は指定席(接待付き)である。花火の楽しさは総火演の楽しさに似ている。個人的には線香花火をチマチマ灯すのも好きだ。
2019-08-01, 23:51
震災の前だから2010年くらいからだと思うが、私は30万たまる貯金箱で五百円玉貯金をチマチマしていた。なんのためか?松岡正剛の「千夜千冊」全7巻+索引巻を買うためである。あいにく、震災の揺れで貯金箱は棚から落ち、21万まで貯めたそのお金は、そのまま引越し資金に充ててしまった。
どどーん
去年か一昨年か、千夜千冊が文庫化したため、今はそっちを集めているが、それを読み進めて知ったのが、全集版の索引巻に松岡正剛の年表があること。私が松岡正剛の本に出会ったのが10年ほど前。それ以前の活動については全く知らないし、なんとなく興味を覚えて、図書館で索引巻だけ借りてみた。
で、当たり前なのだが、これが重い。索引だけで450ページ以上、前半の読書術と年表で450ページ。合わせて900ページ。しかも微妙に版が大きく手持ちのブックカバーに入らない。腕は疲れてくるわ、周りの人はギョッとするわ、修行のように読んでいる。今日はとうとう「漢文ですか・・・?」と会社の人に言われる始末。それもあと90ページほどなのだから、できれば週末前に終わらせたい。
読書術については、前から気になっていたマーキング方法について触れられていたのがよかった。私も本にはマーキングするタチなのだ。そりゃ内容によっては、できる本とできない本があるし、できる本でも理解度と綺麗に比例してマーキングの量が減ってしまう本もある。ただ、我流なのでその都度適当にやっていたのだが、なんとなくの方向性が見えてきた。これは今後も精進すべし。
そして肝心の年表。0歳からスタートしており、薄々そうではないか?と睨んでいた「名前は中野正剛から」というのも確認できたし、妹が原敬から「敬子」という名になったなど「殺される者の名」をつけている親というのには、少し笑った。以降、初恋が誰それだとか、初体験がいつだとか、「正直それは知らなくてもいい・・・」と言いたくなるような告白?を挟みながら、10代20代を駆け抜け、編集者松岡正剛が現れてくる。通して読むとやはり異能の人としか言いようがない。私は高校の頃、そんな話はしなかったぞ。早熟なオクテというか、奥手なソウジュクというか。いずれにしても、文系も理系もいけるクチで、自学(交友関係からの学びも勿論多いだろうけど)で数学や量子力学に手を出せるのには、尊敬の念しかない。私は今、量子力学をきちんと理解できるだけの理解力が残っているのだろうか?・・・多分ない。
先に書いた通り、重いしデカイし、見た目ももなんかゴツイし、非常に物理的に読みにくい本だが、松岡正剛の思考過程を辿ってみたい人には十分オススメできる。これ、この部分もそのうち文庫化してくれないだろうかね・・・切実なお願いです。
2019-06-11, 22:19
1ヶ月ほど前に一気に読もう!と決めた本を一気に読みきったので、ざっと振り返り。松岡正剛の千夜千冊に戻ったのだが、その戻り先もなんと偶然「面影日本」からだったので 、これは多分この1ヶ月の総仕上げになりそうです。
「美少年尽くし 江戸男色談義」佐伯順子
読んでいるときは最後の三島由紀夫以外の部分をかなり面白く読めたのだが、今では細かいことが全て抜け落ちており、ただ「美少年問題にかけたフェミニズムの話だった」ということのみ記憶に残っている。まぁ、筆者の言いたいことはそこだったのかもしれない。女の敵は美少年なのだ。(多分違う。)
「江戸の少年」氏家幹人
美少年じゃない少年も扱った本。もちろん少女もしっかり取り上げられている。個人的に面白かったのが、幕府の三つ子への褒賞の歴史。最初は戸惑っているものの、徐々に褒賞を与え慣れてくる様子が資料からわかるというのも面白い。また、三つ子の誕生を、幕府が褒賞を与えてまで「良きこと」として扱ったのは、そもそも生類憐みの令が出ている頃であり、吉良邸討ち入りに対する世間の反応を良化させたいという願望があったかもしれず、また双子・三つ子が凶事という民の迷信を取り除きたいという野心があったのか、という政治的考察も読ませる。大名屋敷に勤めるための女子教育(お稽古事)については、年代差が出ていたり・・・と、これはいつの時代も同じか。
「悠悠自適 老侯・松浦静山の世界」氏家幹人
・・・正直印象が薄い。これ!というエピソードもない。とりあえず、こういう身分で生きるのは羨ましいです!
「[増補]大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代」氏家幹人
試し切りなんて職業があるとはね・・・しかも、それが一派をなし、弟子もいるとは恐れ入った。でも、一番驚いたのが、西洋医学(解剖)と試し切りとの死体の取り合い。試し切りに女の死体はダメだなんて、穢れとかそういう理由もあるかもだが 、実際に戦場で切るのは男の体だからでは?とも考えたり。試し切りの場で態度が悪かったから養子が離縁されたというのも面白い。
「病が語る日本史」酒井シヅ
主題は面白いのに、文章が壊滅的にひどい。それはもう、本当にひどい。文系の学者ではなく、理系畑出身らしいのだが、であれば編集者はもっと仕事をすべきであろう。本の構成もちょっと残念。「編集者は仕事をしろ!」と百回くらい唱えながら読んだ。せっかく面白いこと書いているのにね。
「異形の王権」網野善彦
個人的にあまり詳しくない、鎌倉〜室町時代の服装にフォーカスを当てた本。「異類異形」に対する認識の移り変わり、いかに特定の身なり・持ち物が社会的所属を固定的に表すようになってきたのか、日本のヘソを抑えている本とも言える。そういう意味では、「江戸の少年」と礫で繋がり、蓑と杖で松岡正剛に繋がっている繋ぎ目本だ。
「百代の過客 日記に見る日本人」ドナルド・キーン
日記の書き方にもトレンドがある、とこれだけの日記が並ぶとよくわかる。また、いかに日本人が「歌に詠まれた地だから」とその地に赴くことが多いか!そして、過去何人の人間が八橋の杜若でがっかりしているのだろう!! 日本の日記のトレンドは「貴族階級の女流日記→女流日記の流れを組みつつ旅日記が入り込む→連歌の発展に伴う旅日記→仕事がらみの旅日記→現代につながる「今日」を記録する日記」とまとめることが出来るだろう。流石、外国の視点も入っているため、所々に出てくる西洋との違いについても面白い。ただし、古文のままの引用が多いため、それを読むのがちと辛い。だんだん慣れるけどね。
2019-04-21, 17:04
変に紹介するより、読んでいただいた方が早い!のだが、幾らなんでも、それで終わるのは如何なものかと思うので、簡単に説明。
まず、最初に出てくるのが神隠し、そして天狗の話。「美少年は攫われやすい」らしい。美少女の誘拐では感じられない、お耽美さが初っ端から爆発です。天狗について、いわゆる妖怪の天狗ではなく、「天狗っぽい人」ではないか?と明らかに疑って神隠しの章は終わっているので、やはり「怖いのは人間」ということなのか。少女の神隠しに性的なものがないわけなかろうが、それがあまり話に上がってこないのは(この本に取り上げられていないだけなのっかもしれないが、それはそれで)、少女の場合、そういった話がタブーであるから、とも言える。つまり、公言したり、それについて周りの人が聞けるようなものではない、ということで、この辺が社会における扱いの少年との差なんでしょう。
その後、河童、奇病(人面瘡など)、猫又、江戸城におけるいじめに耐えかねたプッツン型殺傷事件、大奥での女社会で生き、そして江戸城炎上で焼死した少女の幽霊・・・などなど続くのですが、個人的にヒットしたのが、狸の話。とある武家に使えた老女に夜な夜な訪れる17〜8歳の奴僕。その正体は屋敷の裏に住んでいた狸で、正直で心優しい老婆と語り合いたかったから・・・なんて、ほっこりしませんか?我が家にも狸に来て欲しい。(まだ老婆ではないが。)
この本でちょっとディープな江戸に興味を持ったので、早速「美少年尽くし」とか「悠悠自適 老侯・松浦静山の世界」とか、「江戸の少年」とか「大江戸死体考」を手に入れました。GWは江戸三昧ですな。
2019-04-21, 09:50
数年前に奥山真司氏が原著をお勧めしていたのだが、「うーん、ペーパーバックが出る予定っぽいし、そっちを買おう」と考えて放置していて、気がついたら邦訳まで出ていた。副題は「中国スパイと〜」になっているが、これは日本向け。原著の副題は「How the CIA, FBI, and Foreign Intelligence Secretly Exploit America’s Universities」であり、内容的にもこちらの方が正しい。中国を取り扱っている割合は多いものの、イランやキューバのスパイも大活躍しているのだ。
さて、本書はアメリカの大学における軍や産業、政府との強い結びつき、学問は開かれているべきという倫理観、多様性を求める留学生受け入れや海外の大学との提携などが、スパイにとって入り込みやすく、仕事もしやすい状態になっているというのを、2部構成で説明している。第1部が外国によるアメリカの大学でのスパイ活動、第2部がアメリカの情報機関によるアメリカの大学での活動である。
第1部は、デューク大学における最新科学研究を中国人学生が盗み、中国に持ち帰ったという話から始まる。この話に関しては、中国政府や軍の関わりが(少なくとも学生の在学中は)あまり説明されていないということもあり、単に「ものすごくモラルと学術的良心に欠けている」だけに見えることが、不快感を煽る。一言で言えばすっごいムカつくのだ。第2部の終わりに出てくる中国人教授もモラルの欠如がチラチラと感じられる。「中国人て…」と読者に思わせることが目的ならば、この本はかなり成功しているだろう。だが、第1部の山場は中国スパイではなく、キューバのスパイである。SAISに通っていた学生が同級生をスパイに勧誘し、その同級生がDIAに入り、キューバ政策への影響力を及ぼした。「アメリカ史上、最大級の被害をもたらした」といわれる所以である。その点、中国へのアメリカ留学生がスパイに取り込まれそうになった話などは小物だが、何れにしても「大学に入り込んだら協力者を作るのは簡単」という恐ろしい現実がある。学問のオープンさは、スパイにとって天国のような環境なのだ。
さて、第2部は逆に外国人に開かれたアメリカの大学において、アメリカの情報機関が活動する話。原著が分かりにくいのか、訳のせいなのか、特に第2部においては、話の筋を掴みにくいという問題がある。それでも、かいつまんで説明すると、大学と情報機関との関係はその時代によって変わっているということ。それによって、例えばCIAがどこまで入り込めるのか、工作員が講座に紛れ込んでいるのを容認するのかしないのか?が決まってくる。工作員の目的は外国の研究者で実際、対イラン作戦としては、偽の学会を開き、イランの核物理研究者に亡命を勧めたり、情報提供を依頼したりしていたらしい。
内容は抜群に面白い。日本の大学は大丈夫なのだろうか?アメリカほどではないが、大学教授は政府の要職に就くこともあるだろうに…と心配になってくる。ただ、残念なことに本書は本当に読みにくいのだ。一文一文の訳がおかしいというわけではなさそうなのだが、接続詞がなく前後の繋がりがわからなかったり、段落単位でコロコロ話が変わるため、さっきまでロシアのスパイの話をしていたのに、またキューバのスパイに戻るといった塩梅で、「ん?」と迷子になることが多々あった。2019年4月現在、amazonのレビューは3つあるが、その全てが「読みにくい」「主語がわからない」「ダラダラした文章」と文句をつけている。改訳のうえ、解説をつけて再版すべきなんでしょうね。内容は確かに面白いのだし、今ハーバードに通っている将来行政のトップに立つような日本人もいるだろうし、絶対に無関係とは言えないのだから。もう一つ文句を言えば、割合的にロシアについての取り扱いが軽いことである。情報機関出身のプーチンが権力を握ってから、その手の活動が緩くなったわけがないだろうに、個人的な印象では、イランの方が取り上げられ度は高かったのではないか?これはロシアが非常にうまくやっている証拠なのか、それとも本当にロシアは大人しくしているのか。間違いなく前者だろうが、それはそれで不気味である。
2019-04-13, 12:32
THE 書評
ここ5年くらい「本についての本」は佐藤優か松岡正剛しか読んでおらず、しかもここ数ヶ月は千夜千冊の比重が高まっている中で本書を読んだところ、「なんとまぁ、書評らしい書評だろうか」と思ってしまった。使っている語彙や言い回しからして、お堅い書評そのものなのである。
(前略)これまでにない視角と着想が魅力的な書物になっている。イラク人の深層心理の一端を伺える本ともいえよう。
(P65)
<分かりにくい国>を多面的に解剖した現実的な帝国論として必読の書といってよい。
(P90)
訳語が気にならなくもない。オーランド諸島をアーランドとするのはともかく…(中略)…この研究領域は、日本でも齋藤孝氏や百瀬宏氏以来すぐれた成果をあげている分野である。翻訳にあたっては、日本人の研究成果と地名人名の表記を是非参照してほしいものだ。
(P141)
万事がこの調子。だんだん読むのに疲れてしまったぞ。
ピックアップされている本も、どうも食指が動かない。私の趣味ではない本が多いのか、それともお堅い紹介に気圧されたのか。100冊弱紹介されていたが、読みたいと思ったのは5〜6冊だけであった。例えば、子ブッシュによるイラク戦争についてはドンピシャ世代なので まだとっつきやすいのだが、その前の湾岸戦争やイラン・イラク戦争になると、もう記憶がない。記憶がないから、とっつきにくい。サダム・フセイン時代のイラクにおける日本人拘束事件については、そもそも知らなかったので、そういうのは興味深いと思えるのだが・・・「もうちょっと気楽な本を選んでくれればいいのに」と思うが、そもそもが新聞書評のために書かれた文章なのだからしょうがないのか。
というか、新聞の書評ももっと気楽に読める内容にしてくれれば、本の売り上げも上がるだろうに!最近は本を読まない人が増えたなど言うが、「難しそうな本を読む」ことがステータスでもなんでもなくなった現在では、「難しいけれども、いかに面白いか」をきっちり伝わる言い方で表現すべきだと思う。お堅い書評は正直つまらない。難しそうな本を難しそうに紹介されたって、そんなの、誰も読みたくないでしょ?