Archive for the ‘世の中に対する突っ込み’ Category.

アブナイ奴は摘まみ出せ!

高校生を監視し政府に批判的な言動をすると教師に密告させるスパイ計画が発覚:GIGAZINE

要は、アメリカにおいて「政府に反抗しそうなアブナイ子供の兆候を捉え、信頼できる機関に報告し、普通の生徒を守れ!」という趣旨のガイドラインが出たと。それに対しての反対意見、懸念は以下の通り。

Preventing Violent Extremism in Schoolsというガイドラインは2016年1月に施行されたもの。「子どもを守るため」という名目で、政治的に危険な発言をしていたり社会経済的に孤立している子どもも対象にしていますが、「ムスリム・コミュニティを監視するものとして機能する」として懸念が寄せられています。

 

FBIのガイドラインは一見すると一般的な「危険」を高校生に対して警告したもので、ムスリムの学生をターゲットにしたものには見えません。しかし、注意深く見ていくと、FBIは常にイスラムの脅威を名前として挙げており、文化と宗教の違いを「未来の過激派」の因子として繰り返しつづっていることがわかります。

 

American Civil Liberties Union(アメリカ自由人権協会)のHugh Handeysideさんは、「暴力的な過激派の定義に『宗教上の理由に基づく暴力』を含めることは、FBIがコミュニティの監視に力を入れていることに他なりません。『懸念される行為』を示したことは、FBIが生徒の考えを監視し、これらの考えによって引き起こされる未来を予測しようとしているということを表しています」と語りました。

 

・・・え?そこ?というのが、私の正直な感想。「宗教的差別はしていない建前だが、実はムスリムがターゲット」という点について、みんな批判しているが、そもそも「学校という場で、アブナイ子供の報告させる」というのはいいの?

まぁ、とにかくヤバいやつというのはいるでしょう。コロンバイン事件から学校は幾たびも乱射事件の舞台となってきましたから。明らかにヤバい奴、これは学校や地域の安全のために、補導だったりなにかしらのアクションが必要というのはわかる。例えば、全身黒ずくめで、Facebookに銃を持っている写真をアップしていて、さらに動物虐待の写真まで・・・みたいな生徒は監視が必要、これはわかります。若気の至り、黒歴史、若者とは暴力的なものである、この辺も胸に手を置いて、ちょっと10年20年前に想いを馳せれば、ものすごーく恥ずかしい感情とともに、「まぁ、理解できるわね・・・」と納得もできる。「あのころの私、今思えばだいぶ恥ずかしいけれど、まぁ、キーキーと偉そうなこと言ってたわね。先生も大真面目に取らないでほしかったわ・・・」こんな感じでしょう。あー恥ずかしい。

が、よくよく考えると、私のこの心情、これこそが絶対的によろしくない。それは「アブナイ奴は報告されて当たり前」というこの社会のあり方を疑っていない故に、です。もちろん、社会全体への害を考えるならば、このやり方は正しい。アブナイ奴は社会から摘まみ出すに限ります。しかし、本当にそれで良いのだろうか?報告した後に更生という道ももちろん準備されているのでしょうが、そういう問題じゃない。「アブナイ奴を報告するのは当たり前」として疑いもしない、むしろ、それが大前提の上で「誰がターゲットか?」で論争しているこの状態は本当に正しい状態なのだろうか?

今回の記事、最初は「ムスリムだけではなく、そもそも学校でこういうことをすること自体が教育としてどうなのだろうか?」という引っかかりで興味を持ったのだった。が、考えてみると、学校という場だけではなく、こういう行為を推奨することをだれも問題視しない、その点にこそ問題があることがわかってしまった。しかし、生身の人間としては、アブナイ奴は怖い。近くに居て欲しくない。さて、私は一体どうすべきなのか?

 

◯◯さんだからできる。では、あなたは?

仕事でもなんでも「◯◯さんだからできる」という人は、絶対にその人と同じレベルに達することはない。

「◯◯さんはできる。でも私もできるだろう。」

「◯◯さんはできる。私も努力しよう。」

「◯◯さんはできる。私も少しだったらできそうだ。」

「◯◯さんはできる。見習いたいものだ。」

せめてこれくらいの精神でいないと、永遠に他人を眺めて、指をくわえて生きていくしかないのだ。つまり、「◯◯さん【だから】」といった時点で、ダメなんである。

 

「東大生はなぜデモに参加しないのか」

東大生はなぜデモに参加しないのか

あら、面白そうな記事だわ・・・ちょうど全共闘とか連合赤軍とか、ちょっと時代が下って佐藤優の学生運動の思い出の本とか読んでたところだし、さてはて、なぜかしら???・・・と期待を胸にリンク先の記事を読んだら、要は一言「シールズの頭が悪いから」だそうで。(後、一応左翼の劣化も原因らしい。)そんな身も蓋もない・・・

しかし、今まで読んだ本の印象からすれば、東大生と京大生とその他諸々ご立派な大学の皆様は、今時のシールズと同じくらい、意味のあるとも思えない(体制を転覆できるわけじゃない)闘争に繰り出していたわけで、もしあの当時の東大生があのやり方でプロレタリア革命の成就できると骨の髄まで信じきっていたのならば、「あの頃の東大生は今のシールズと同じくらい頭が悪い」ということになるんじゃなかろうか?むしろ、火炎瓶とかパイプ爆弾を投げつけない分、今の学生はお上品になったと言えるのでは?まぁ、この記事の調子ですと「火炎瓶やパイプ爆弾を作れないくらい、シールズは頭が悪いからだ」と結論付けられちゃうかもしれませんけどね。

60〜70年代は、わたくし、まだ生まれてもおりませんので、その当時の雰囲気というか世代の内在的論理は本を読んでの想像でしかなく、ましてや回想録なんかで「学生運動している自分カッコイー」みたいなことを書くわけがないし、比べてどうのこうの言える立場ではありません。ただ、昨今のシールズはツイッターやらテレビ出演やらデモのやり方に「政治活動している俺たちカッコイー」というのがなんとなく透けて見える気はします。そういうやり方や議論の展開にはまだまだ改善の余地はありそうですが、政治に参加しようとするその気概は、しっかり認めても良いんじゃないでしょうか。

むしろこの記事を読んで、これは「昔の東大生みたいに、暴力的で逮捕も辞さない、権力に徹底して反抗しないと、学生運動とは呼べねぇ!」という懐古主義なのかしら?と疑った私なんですが、さすがにこれは捻くれ過ぎたモノの見方なのかもしれませんね。

ついでに便乗記事も紹介しておきます。こっちは早稲田についてでした。こうなれば京大についても記事になって欲しいかも(笑)

 

 

 

浮気の抑止力

SMAP解散騒動に押され、ほんのちょっとだけ世間の目が逸れた(と思われる)ベッキーのスキャンダルについて、考えたこと。「浮気の抑止力」ってなんだろう?

Google先生にお伺いしてみたところ、

・妻(彼女)側から「信じているよ」「浮気したら離婚だよ」と伝えておく

・男性側に罪悪感を持たせる

・男性は(浮気につながるような遊びや飲み会の)軍資金を持たない

・コスト対効果を考える

等々でてきました。「抑止力」だなんて言葉を使ったせいなのか、男性の浮気が前提ですね・・・関連する検索が「核抑止力」「戦争抑止力」とかで笑っちゃったわ。まぁ実際、当事者からすれば、核戦争並みなのかもしれません。

で、個人的に一番の抑止力は「浮気という不貞行為、そんなみっともないことをしている自分を自分で許せるのか?」という自身への問いかけじゃないかと思うのです。まぁ、これは「信じてくれている彼女を裏切る自分はカッコ悪い。カッコ悪い自分は良くない。」とかそういうことでもいいのですが・・・人の目ではなく、自分自身の基準で許されるかどうかを考えれば、真っ当な人ならば正しく判断できるはず。他の人の浮気話を聞いて「えー、サイテー」とか言うならば [1]まぁ、人生に一度くらいならば、ほぼすべての人が、芸能人の不倫なり、身近な人の別れ話とかで聞いて、そう言ったり思ったりすると思う。、「サイテー」と思うその基準を自分には適用外とするそのダブルスタンダード自体を許せないと思うのです。「人様にはサイテーと言っておいて、自分の浮気は許しちゃうの、私?馬鹿じゃないの?」みたいな感じですかね?

とはいえ、そもそも「浮気=みっともない、悪いこと」と思ってない人間には全く意味を成さない抑止力ではあります。実際、自分がされて嫌なこと、怒っちゃうことを人にする、その想像力さえない人もいるわけで、まぁ、そういう人には近づかないのがベストなのでしょう。逆に、一人知り合いにいるが、矜持というかそういうのがある人は、話していて大変清々しいので大好きです。

 

References

References
1 まぁ、人生に一度くらいならば、ほぼすべての人が、芸能人の不倫なり、身近な人の別れ話とかで聞いて、そう言ったり思ったりすると思う。

托卵女子について

最近は何にでも「女子」という言葉ついている。女子会、女子力、理系女子、貧困女子、etc…個人的には、「まぁ、「女子会」は使うけど、自ら「ちょっと、女子ばっかりなんだから、荷物運んでよ」と言うとか、そういう使い方はしたくないな」という、極めてなぁなぁなポジションだったりします。しかし、自分が子供の頃に「xxのおばさん」と友達のお母さんを呼んでいた、その「おばさん」と呼ばれる年齢になっているのも事実。まぁ、これまた難しいことに「おばさん」と自ら呼ぶのは、自分自身を卑下しているようで、やっぱり好きではありません。が、とにかくそういう年齢であることは認めないと。とりあえず「おばさん」の前に、「綺麗な」とか「頭がいい」とか「すてきな」とか「偉大な」とか、そういう形容詞を付けてもらえるように努力するのが正しい道なのではないでしょうか。

さて、本題の托卵女子について。私は最近この四字熟語を知ったのだが、まぁ、驚きましたね!他所から「イケメンの遺伝子」を仕入れて、「金持ち」の夫に自分の子供として育てさせるという芸当・・・これはそもそも、女性本人がそこそこのスペック(=イケメンに相手してもらえる&金持ちの男性と結婚できる&母親に似ても子供が苦労しない程度の顔を持っている)でないと成り立たないという大前提があるので、難易度は自体高いと思います。 [1] … Continue readingが、このような行為について、企む側に良心はないのだろうか?自分に対して一生の愛情を誓ってくれた人を目の前にして、他人の子供を我が子のように可愛がってくれ、家族として愛してくれる人に対して、全く心は動かないのだろうか?一体どのツラ下げて毎日を生きていけるのか、正直突撃リポートしたいくらいだわ・・・何より、良心が全く痛まない(=良心がない)のであれば、その行為者は果たして人間なのだろうか?人間を人間たらしめるのが、良心だとか、倫理とかではないのか?あぁ、だから「托卵」だなんて、動物にしか使わない言葉が使われているのかもしれないね。

それに、男性に同じことをされても文句を言えないではありませんか。男性の場合、どうあがいても他の女性が産むという行為が必要なため、妻にバレずに事を成し遂げる事は残念ながら不可能です。が、「お前は料理は上手だがブスだ。娘が生まれて母親似だったら、将来かわいそうだから、美人な女に子供産んでもらうことにした。育てろよ。」こういうことですよね。こんな風に自分がされて嫌なことを人にするのは本当に如何なものかと思います。 [2]しかし、それでも、人に対して意地悪言ったりしちゃうのが人間ではありますが・・・でも、この話は「嫌なこと」のレベルが違う。

じゃ、このような良心に悖る行為なしで、顔も(できれば頭も、スタイルも、性格も、あれもこれも)良い子供を産む方法、行き着く先は遺伝子操作になるのか?遺伝子操作の結果、みんなが美しい顔立ちになった場合、その普遍的な顔の外に別の基準の美しさが生まれるのではないだろうか?もちろん、よりシンメトリーな顔の方が美しく感じやすいとか、動物として感じる「美しさ」はあるが、結局美しさとはその時代や文化のなかで、相対的に立ち上がってくる価値観だと思います。世の中、顔もスタイルも頭も性格も何もかもダメな人はいるかもしれませんが、それこそ宝くじに当たるレベル。皆どこかに素晴らしい点があるのだから、顔やらなんやら形を整えるのではなく、自分の持つ美点を自らの子供が引き継ぎ、自信を持って生きれるようにするのが親の役目だと思います。

 

References

References
1 もちろん、あえてイケメンの遺伝子を仕入れようとする計画ではなく、単に不倫の果ての無計画ゆえもあると思うので、一概には言えませんけどね。
2 しかし、それでも、人に対して意地悪言ったりしちゃうのが人間ではありますが・・・でも、この話は「嫌なこと」のレベルが違う。

反知性主義(関連本)よ、さらば!

図書館で予約していた小田嶋隆の「超・反知性主義入門」を借りたのが2週間前。自分の貸し出し状況をネットで確認したら、予約者が後に続いているので、延長できないらしい。 する気もないけど。しかし、その数17人! 明日か明後日には、別に予約している森本あんりの「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」を受け取る予定だが、この本もきっと延長できないだろう。ちょっと前に借りたその他2冊の反知性主義本も予約で随分待ったっけ・・・つまり、「反知性主義」、なかなか人気のようです。私自身、これ関係にたどり着いたのはこの方経由だったんですが、どうしよう、全く話についていけないのである。

まぁ、元祖のホフスタッターの「アメリカの反知性主義」を、最初の30ページ読むか読まないかで止めてしまった私が一番悪い。これは間違いない。「通勤中に読むには重い」とか、しょーもない理由をつけたが、単に読み進める前途多難さに対して、どうしても興味がそれ以上湧かなかったのだ。佐藤優と斎藤環の反知性主義本は、全然難しくなかったので完読したが、内容を全く覚えていない。 [1] … Continue reading本日、返却期限2日前に読み始めた小田嶋隆の本は21ページまで読んだが、面白くなかったので読むのをやめた。この本のどこが一体全体、反知性主義「入門」なの?なので、我が残る期待の星は森本あんりの本だけである。どうか、素直に最後まで読みきれますように!

ところで、ネットのあれやこれやの罵り合いを眺めるに、「元祖アメリカの定義主義者」と「日本流反体制主義者」とに、ザックリ分けられるのかしらね?そもそも、個人的には英語の「Anti-intellectualism」と日本語の「反知性主義」、受ける印象がだいぶ違うんだが・・・英語ならばホフスタッターの定義がしっくりくるし、日本語だとやっぱり「バカ」を意味しているように思える。大体ね、そもそも「知性」とはなんぞや?を、(喧嘩の中で)だれも定義してくれていない。何かしらを考えれば「知性」なの?それならば、今日の晩御飯の献立を明日のお弁当の内容を踏まえて考えたって知性だろうし、なぜ空が青いのか考えたって同様に知性じゃないの。それとも考えた内容が大事なの? その場合、晩御飯の献立と、空の青さのどちらが「より知的か」、何をもって判断するの?それとも、献立や空の青さじゃダメで、知識が必要なの?では、「知的でない」知識と「知的な」知識の境目は何処に?

まぁ、「反知性主義」という響き、これは確かに「バカ」のレッテル張りに聞こえなくもない。言われた人はムカつくだろうし、はたから眺めていても、言った側が「自分の知性を棚に上げて、他の人にレッテル貼りしているやつら」に見えなくもない。他人を評するときに、この言葉は使わないほうが良いのかもしれませんね。そもそもバカはバカなのです。「反知性主義」だなんて、小難しい言葉ではなく、「バカだね」と言ってやれば良いのです。そうだ、本家の定義を意味する場合は「反知性主義」、日本的な使い方をする場合は「無知性主義」、こう棲み分ければ、お互いの言わんとするところが正しく表現されるのではないでしょうか。ま、反知性だろうが無知性だろうが、言われたほうは、たまったもんじゃないですけどね。いわゆる知識人たちがお互い反知性主義だと罵り合っているのはわけがわかりませんが、眺めている限り面白いものです。

とりあえず、森本あんりの本は完読できるように努力してみよう・・・それがダメでも大丈夫、私を連合赤軍関連本とイスラム国関連本が山のように待っている。

 

References

References
1 本当に覚えていない。大体は何かしら覚えているんですけど・・・水色の本だったことしか思い出せない。安倍総理の悪口を言ってた気はする・・・

断捨離?ミニマリスト?

今週末は「家でとことんノンビリする!走りにもいかない!」と決めたので、洗濯と掃除機がけ、図書館への用事を済ませたら、この冬の初暖房を入れ、ウォークインクローゼットのなかを整理しました。まぁ、整理って言っても、要らない靴下やら、よれたTシャツやらを捨てるために袋につめただけなんですけど。

さて、流行りのミニマリストですが、私は本を捨てないと決めているので [1]10年ほど前アメリカ留学へ行く前に、ほとんど売ってしまったんですが、それについて大後悔しているのです。、本やらテレビで取り上げられているミニマリストレベルには、自分が逆立ちしてもなれないことを自覚しております。あと、服もどうのこうのいって、上はお出かけ用、下はランニング用まで、各レベルごとにそれぞれ必要なので、やっぱりそれなりに残す必要がある。それにキッチンについても、保存食(缶詰とか)はいざという時に必要だし、人生美味しいものを綺麗な食器で食べてこそ、だと思っているので、ある程度はごちゃごちゃしています。つまり、私はどうやってもミニマリストにはなれないんですね。てか、思想的にも無理だべ。元々ごちゃごちゃのなかに、調和と落ち着きを見出すタイプなんだから。

とはいえ、ものが多すぎるのもどうかと思っているので、洋服と化粧品関連はシンプル・イズ・ベスト路線を追求したい。化粧品の方が先に断捨離の犠牲になりましたね・・・そもそもの肌質に恵まれている(めちゃくちゃ強い)のもあると思いますが、基本的に洗顔はミューズ、洗顔後はオイルだけでなんとかなってます。なので、それ以外の洗顔料やら化粧水やら美容液やらは全部ポイしました。 [2]今も少し残っていますが、それは使い切る前提で買い足しはしない予定。あと、お化粧もたいした技術があるわけじゃないんだし・・・と、お気に入りを残して後は全部捨てた。昔はリップグロスに凝っていたので、バカみたいに持ってましたが、今は数本だけである。大体ね、その辺歩くだけなら日焼け止めに赤い口紅だけで事足りるのよね。眉毛は自前のが村上元総理並みにあるんだし。

洋服については前に書いた通り、お出かけ用と普通の出勤用、ランニング用等々、各レベルを一通り揃えておかないといけないので、そこまで少なくならない予感。てか、テレビに出てくるミニマリストたちはお出かけとかしないんだろうか?青山の美味しいレストランに誘われた時にどうするんだろう?無印良品みたいな格好では行けないよ?ふーむ。まぁ、人の人生だから別にどうでもいいんですけど。

とはいえ、ミニマリストの思想で共感できるのは、「基本的にいつも同じ格好をしていても問題なかろう」という点。会社へ行く時など、この時期は毎日黒タートルにジーンズでもいいじゃない。夏になったらTシャツにジーンズでいいじゃない。多分、これは会社の中のキャラをどのように自ら作るか?の問題でしょう。私はすでに「冬はユニクロの黒タートルのヒートテック着ている人」になってますけど、だからと言って虐められていないので、ちゃんと清潔感があれば、人の格好なんて誰も気にしないんだと思います。でも、そのためにヒートテック7枚くらいあるから全然ミニマリストじゃないんだけどね。服の数を少なくしつつ、服自体シンプルにして(まぁ、服の数が少なくなれば、否応なしにベーシック路線になるんでしょうけど)、カッコよくなりたいなぁ。常々会社で語っているのですが、「全身ユニクロなのに、それがばれないくらいにスタイルがよくなりたい」、こういう方向性です。

というわけで、断捨離くらいならばやりますが、本格的なミニマリストになると、家だけではなく、思考も交友関係もミニマムになりそうなので、そこまではできないな・・・というのが私の本音。家電も元々少ないですし。後は洋服と靴をもう少し整理すれば、十分私にとってのミニマムライフです。

 

References

References
1 10年ほど前アメリカ留学へ行く前に、ほとんど売ってしまったんですが、それについて大後悔しているのです。
2 今も少し残っていますが、それは使い切る前提で買い足しはしない予定。

テロと報道

まず最初に、今回のパリにおけるテロの犠牲者の方々とそのご家族へ哀悼の意を表明させていただきます。

さて、朝起きてパリのテロについて、Twitterで初めて知ったのですが、私はテレビを持っていないので情報収集は専らネットで、そしてフランス語はわからないものの英語は理解できるのでBBCのアプリをフル活用してテロ事件の詳細を1日(途中寝てましたが)追ってました。そんな中、グノシー経由で以下の記事を見かけて、テロ報道についてちょっとだけ考えた。

日本のテレビ報道、ヤバすぎないか。パリのテロ事件の扱いが小さいと非難 ViRATES
【マスコミ】日本のマスコミが「同時多発テロ」を全く報じない!とネットでクレーム 秒刊SUNDAY

 

まず、そもそも報道しない意図が視聴者というか、我々に見えないことが議論をややこしくしていることは間違いない。つまり、「どーせフランスで起きたテロ。この日本で銃撃なんてありえないし。」というスタンスなのか、「どーせ平和ボケしてる日本人にテロの映像なんて見せたって、その裏にある問題を理解できないし。」というスタンスなのか、それとも上の記事で指摘のあった通り「テロを報道することがテロを支援してしまう!控えるべし!」ってスタンスなのか。もう少しちゃんと考えれば別のも出てきそうですが、今思いついたのは

1)どうせ外国の話、我々には関係ない

2)どうせ日本人はテロの本質を理解できない

3)テロを報道しちゃテロに利する

という3点。マスコミがどのスタンスかによってこちらの批判も違うものになるわけです。

 

1)どうせ外国の話、我々には関係ない

2)どうせ日本人はテロの本質を理解できない

この二つに対しては比較的批判というか建設的意見が出しやすい。要はちゃんとした報道体制を作ってくれよ、ということに集約できます。「なんでテレビで流れないんだよ!」という批判に対しては、それこそCNNみたいにニュース専門の番組を作れば良いし [1]個人的に日本のテレビ局が日本語でそれをやるニーズはあると思うんだよね。最悪地上波なし、ネットアプリのストリーミングでもいいからさ、「日本人にテロの本質は理解できない」というならば理解できるように番組を作れば良い。個人的にはなんでもテレビで解説しちゃうのってどうだろう?と思わなくもないんですけどね。例えばCNN抱えるアメリカだって、アメリカ国民全員がニュースバリバリ追っているタイプではないわけです。アメリカンアイドルしかみない!コメディーショーしかみない!って人も絶対いるわけで、「日本人は特別ニュースに興味ない国民」ってことは絶対ない。アメリカ人の馬鹿は本当に馬鹿だよ!あいつら、日本を中国と陸続きだと思ってて、ひどいのになると「日本は中国の都市名」と認識してるやついるからね!・・・と思わず10数年前の実体験から、アメリカ人もニュースみないやつはいる、というのを力説してみましたが・・・いずれにしても人口母数の差はあれど、ニュースを求める割合に日米差はそんなにないと根拠なく推測している私としては、日本版CNNのようなものがあっても良いんじゃないかな、と思っているわけです。ってここまで書いて思い出したけど、ケーブルテレビならば確かNEWSBIRDとかありましたね。あれ?ってことは、Twitterの人たちは何に怒ってんだ?地上波でやらないこと?

 

3)テロを報道しちゃテロに利する

こちらについては、ちょっと前の日本人がISに殺害された事件等もあり、議論が尽きないと思いますが、まず現実として「テロに利する」というならば、ウェブにタイムラインを作っちゃったBBCやらCNNやらその他諸々世界中の報道機関はテロリストの出先報道官になっちゃっているわけです。その点、世界における使用言語の割合からいっても、日本の国民性から言っても、あんまり日本での報道でどうこう言っても意味がないような・・・そりゃ勿論日本の若者がニュースをみて、「テロを起こすほど苦しんでいる人がいる!この世界は不平等だ!是正してやる!」って考える可能性もあるだろうし、実際あったかもしれませんが、それよりは世界中に散らばる英語なりフランス語なりを理解するイスラム系移民が、BBCをみて同じように考える確率の方が多分ずっと高いわけです。なのに報道している意味っていうのをちゃんと考えないといけないのでは?

考えがちゃんとまとまっていないので、論理的に破綻していると思いますが、更に突っ込んで考えてみるとBBC等が今回のテロの報道を大々的にやるのは一つに視聴者の「知りたい」に答えているわけです。テロが起きた、状況を知りたい、それは私自身の中にもある、「原因不明の欲求」なわけで。そりゃ単に野次馬根性かもしれませんが、その知りたいに答えるのが報道なのだとすれば、常日頃、「知る権利」をかざしている(とネットで言われている)報道機関は、芸能人の離婚騒動やら、殺人事件の被害者への取材と同じくらい熱意を持って、今回のテロについても報道してほしい。特に、移民問題についてこれだけ世界中で議論されており、日本はどうするの?という状態であるだけに、ヨーロッパのテロは日本社会に無関係ではないわけです。今はかつての植民地の恨み、それによる格差の恨み、それに宗教が絡んでいるだけかもしれませんが、もしそれが「持てるものvs持たざるもの」の構図になった時、日本社会はどちらに属するのか、ということはどういうことになるのか?を真剣に考えても良さそうです。

 

いずれにしても、今回怒っている人たちがいるのは、「報道機関に馬鹿にされている!」と感じているからでは?と考えております。「外国の話だから興味ないんでしょ。」「テロの原因なんて理解できないんでしょ。」「テロについて報道したら、テロリストの主張に絡み取られるレベルの知的成熟度なんでしょ。」と、テレビ局に暗に言われているようでムッカーって感じかと。もしくは「確かにそういうお寒い知的レベルの人たちはいるさ。でも俺たちを一緒にするな」という怒りかもしれませんが・・・知的好奇心の高い人向けの番組とそうではない人向けの番組を作るのが双方満足するでしょうし、実際すでにそうなってはいると思いますが、日本人の知的レベルの底上げを目指すならば、池上さんにまた頑張ってもらうしかないのかもしれませんね。

あと、最後にここまで書いて思ったんですが、文句言っている人たちはそこそこ影響力のある人たちもいるわけです。ならば、文句言うだけじゃなくって自分たちでも、例えば今回の場合は日本のテレビでテロについて報道されるような状態になるように、建設的に動けばいいのにね。

 

【追記】

・なんか上からな記事になりましたが、個人的な見解としては、多くの視聴者が本当に求めていないのか [2]もしそうならば、責められるべきは、それに甘んじる報道機関とともに、日本国民でもある。、それともテレビ局が勝手に「求めていないだろう」と判断しているのか不明なので、とりあえずはマイルドにできる範囲でニュースを取りあげて、日本人の興味を徐々に広げさせる、それが国としての知的成熟度向上に繋がると考えています。

・そして日本でテロについての意識というか興味が薄い理由の一つが、東アジアは未だ冷戦時代の「国vs国」の構造が生き残っているからだと考えています。中国・北朝鮮等、一括りにはできませんが、核、ミサイル、空母等、国家でないと(いまのところ)手に入らない武器を持っていて、それが直接の脅威である状態なので、テロ対処の関心度が2番手になっているのかもしれない・・・

References

References
1 個人的に日本のテレビ局が日本語でそれをやるニーズはあると思うんだよね。最悪地上波なし、ネットアプリのストリーミングでもいいからさ
2 もしそうならば、責められるべきは、それに甘んじる報道機関とともに、日本国民でもある。

ブランドバッグを持てば浮気は防げるのか?

Gunosyでみかけて、あまりの意味わからなさに思わず納得しかけてしまった…ので、自戒を込めて記事にします。

Xmasにはコレ!「彼を誘惑から守るにはブランドバッグ」と判明 Menjoy!

すると、ラグジュアリーブランドのバッグやシューズは、それをもつ女性自身の魅力を高めるだけではなく。その女性のパートナーである彼氏をほかの女性の誘惑から守る意味があるということがあきらかになったんです。

というのも、たとえ、そのバッグやシューズは女性自身が購入したとしても、それをみるひとたちが、その女性は恋人がお金をかけるほどに特別な関係なんだと考えるからだといいます。

つまり、ラグジュアリーブランドのバッグやシューズをもつ女性は、本命の彼女であり、別の女性からすれば本命の彼女のいるその男性には近寄らなくなるというんです。

…???一応、「アメリカの大学の研究によると」と但し書きが付いているけど、本当だろうか?そもそも、「ブランドバッグを持って本命と思われ、他の女が近づかない状態」を達成するためには

【プランA】
1)ブランドバッグをプレゼントしてくれるような経済力のある彼氏を作る
2)彼氏の周りに同じくブランドバッグをプレゼントされた女がいないことを確認する
3)世間にブランドバッグを持っていることを見せる(この時彼氏が隣に存在していることも必要条件)

【プランB】
1)彼氏を作る
2)ブランドバッグを自腹で買う
3)彼氏の周りにブランドバッグを持っている女がいないことを確認する
4)世間にブランドバッグを持っていることを見せる(この時彼氏が隣に存在していることと同時に、バッグが自前であることを周りに悟られない演技力と彼氏に余計なことを言わせない先回り力が必要条件)

と、それなりの段階を踏む必要があり、プランAでは最初のステップが、プランBにおいては2番目のステップが難易度を上げているわけですよ。 [1]一部の方におかれては、その前のステップでも躓くであろう。私のように。そりゃ、これだけの難易度高い問題をクリアできりゃ本命にも思われるでしょうよ…と、ほらまた納得しかけてしまいました。

結局、ブランドバッグの販促記事なのだろうかと訝る次第でございます。でも、販促にしては日本語ひどいので、せめて句読点くらいはちゃんと直そうよ…というのが、最終的な私からのツッコミ。

References

References
1 一部の方におかれては、その前のステップでも躓くであろう。私のように。

マインドマップ読書術?…うわぁ無理

★全身全霊をかけて、マインドマップ読書術をdisってるので、信奉者の皆様はお気をつけ下さい。★

 

最近、本屋やらブログやら、あっちこっちで見かけるのですが、マインドマップ読書術って流行っているんですかね?私も大学生の頃、確実に読書術ではない、なんかの思考法だったかアイデア出し方法だったかでトレーニング受けた覚えがありますが…なぜ今更流行るのだ?

 年間200冊を速読→マインドマップ化→ブログ記事化する方法、教えます   ライフハックブログKo’s Style

Gunosyで上のブログが紹介されていたけど、見た瞬間にでた言葉が「うわぁ」でした。以下、私が「うわぁ」と思った理由です。


・大のおとなが色ペンもってカラフルな絵(マインドマップ本体)を書くことにうわぁ

・滲み出る意識高い系意識にうわぁ

・ビジネス書しか取り上げられていないことにうわぁ

・本読みながらマインドマップ書いてることにうわぁ


 

特に最後のなんか、「1日で最も貴重な読書時間は電車の中(次点で寝る前のベッドの中と風呂の中)」という私からしてみれば、「机の上で絵を書きながら本を読む [1] … Continue reading」というのは非常に贅沢に思えるのですよ。それが仕事?まぁ、ご立派なこと!

これはあくまで個人的な意見ですが、どうせ読書するなら、色んな種類の本を小説でもノンフィクションでも、なんでも手広く読んで、特に中身について記録もつけず、とにかく読んで読んで、ただ唯一、本を読みながら得たものを一冊の本だけじゃなくって、いままで読んだ全ての本を頭の中でWEB状に繋げていくのが一番楽しいと思うのです。その結果、数年前に読んだ本の特定箇所を思い出して、読み直して、新しい発見をして、頭の中のWEBの回線を組み直して、また別の本に手を出して…そういうのが読書の醍醐味じゃなかろうか。図にして見える化しちゃうと、後から修正できんと思うのよね。ファジーなのを残しておきたいと言いますか。これは松岡正剛のやり方に近いかもね。

何れにしても、私は「節操なく本を読む」ということに関しては、我ながら意識高い系だと自覚しているので、これからも変な本をいっぱい読みたいと思います。自覚している意識高い系は強いのだよ。

 

…ところで、今読んでいる「I am Malala」も相当意識高い系な話なのよね。まだ最初の1/3しか読んでないけど、滲み出る意識の高さに及び腰になってきましたよ、私は。

References

References
1 私は基本的に速読を認めていないので、紹介されているやり方について、本を「読む」という単語を使うのは非常に嫌なのですが、ここで「眺める」とか書くとカド立ちそうだから、「読む」にしました。今更な心配かしら?因みに、速読は佐藤優だろうが誰だろうが、そのメソッドを試す気になりません。まぁ、私も本によっては3行くらいいっぺんに読むことあるけどね。