Archive for the ‘世の中に対する突っ込み’ Category.

選挙の話

■選挙の話その1

先週末の参議院選挙、いつものように選挙公報を読んで誰に投票するか決めたわけですが、なんせ性格が悪いもんだから、端から端まで総突っ込みを入れながら読んでしまう。「ToDoが落とし込まれていない(夢だけでは国は動かない)」とか「そんなに砂浜だらけの海岸線でもないだろうに」とか。例えば、非正規雇用問題を取り上げているけれども、本屋のビジネス書売り場に行けば、外国の有名大学の教授が「Work shift」やら「MicroWikinomics」やら、流動的な経済、働き方を予測や提唱している、その事実とどう折り合いをつけて説明してくれるのだろうか?まぁ、日本と海外じゃ話は違うだろうけど、とにかくそういう考え方があることをちゃんと勉強した上での政策案なのか?国政に携わるんだから、国際関係や国際経済、そのトレンドまでちゃんと勉強しているのかしら?と、突っ込みは尽きない。まー、我ながら意地の悪いもんだと思うけれども、皆様、それくらいの突っ込みの一つや二つは覚悟の上での立候補でしょうよ。ちがう?

その他、突っ込まずにはいられなかったのは、何と言っても野党の「アベ」表記である。民進党の立候補者ではさすがになかったが、社民党と共産党は「アベ」表記だった。比例のほうの選挙公報だと、社民党だけが「アベ」呼ばわり。直接選挙ではないものの、仮にも国民が選挙で選んだ与党の党首、国の首相である。せめて漢字で書いたらいいのに。

ところで、Twitterでも呟いたが、各立候補者ごとに「公約(議員になったらこれをするという約束)」「主張(現状に対する訴え)」「その他」でポイント制かなんかでカウントし、できれば全国区の選挙公報で調査すると面白い結果が出てくるに違いない。面倒だから私はしませんが。とりあえず、東京都選出分の選挙公報で一番突っ込み甲斐があったのは、民進党のR女史であった・・・もうちょっとやることを明記しなさい。はっきりとした約束をしなくとも、必ず当選するという驕りだろうか?

 

■選挙の話その2

そんなこんなで選挙後の会社でのお昼休み。選挙に行かなかった人が「こんな結果ならば行けばよかった。」と後悔していた。どうも話を聞く限り、野党支持のスタンスのようだったが、権利があるのにそれを行使しないのは、完全に本人の責任である。それこそ、後からブーたれる権利がないと思う。(投票したのに望んだ結果出なかった人はブーたれて良いと思う。)

ところで、選挙があるたびに忘れてはいけないのは、たとえそれがどんな選挙であろうと、その結果はその国民の意思と決断の結果であるということで、故に特に野党は勝者を罵るのではなく、次回の選挙のために、如何に自分たちの魅力を国民に伝えるか、そして理解者を増やすかを戦略的に考え、動かなければならない。勝者を独裁者に例えることなく、投票した国民の無知を罵ることなく、粛々と政策アピールを行えば、その誠実さに一定数の国民が答えてくれるようになると思う。人のせいにしてちゃダメ。与党は与党で同様。奢れるもの久からず、と平家物語にもある通り。国民に対して誠実であるべし。

 

■選挙の話その3

選挙

これは私がブログを書き始めたころの記事。銀河英雄伝説を読んだからこそ、今でも私は毎回選挙に行くのだ。自分の選択は誤っているのかもしれないが、この決断、諦めたり人に譲ってはいけないものなのだ・・・ ということを、他の人も大勢考えていたようです

まぁ、銀英伝をそのまま鵜呑みにすると色々ヤバイでしょうが、考えるきっかけになることは間違いないと思うので、若い子にオススメです。読むときは人名辞典をちゃんと用意するのよ〜! 私もなんとなく触発?されて、外伝2巻をお風呂の中で読み始めました。本編は創元SF文庫でほぼ全巻揃ってるはずなんだけど、実家に置いてあるのよね。今度回収しよう・・・

 

憎っくき蚊との仁義なき戦い

非常に痒い話。書いてて痒くなってきたので、読んでても痒いと思います。

1ヶ月ほど前に「会社で6カ所もかまれた!」と大騒ぎし、その1年ほど前にも「スカートだったから足を集中的にやられた!生きのいいやつら [1]鍛えているはずの自衛官が多いんだから、そっちを狙え!!コンチクショー!!」と盛大に罵っていた私だが、昨日、今日とまたかまれてしまった。確かに私はO型で汗かきかもしれないが、お酒はそんなに飲まないし、大体そんなに体温は高くない。(少なくとも男性の方が高かろう。)もう三十路だし、血液サラサラというわけでもなさそうなのに、一体なぜ蚊は私を狙うのか?歳だから一回かまれると後が残るのよ・・・切実にもっと若くてピチピチしたのを狙って欲しいと思うこの頃。

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さて、そんな時に見つけたのが上の記事。ビル・ゲイツは前からマラリア撲滅に大変熱心だったが、これから3年〜5年くらいで遺伝子操作で蚊を不妊にさせたり、マラリア原虫に耐性を持つようにすることを視野に入れているとか。マラリア原虫に耐性を持たせることについて、残念ながらわたくしめの脳みそではどういう理屈なのか、いまいち想像できないのですが、不妊にさせるというのは想像しやすい。・・・が、いくらマラリア撲滅のためといえど、それはやって良いことなのだろうか?

私自身、「私の血を吸う蚊は全て悪い蚊である!」と情け容赦無くやっつけているとはいえ、「蚊全体」となれば話は違う。蚊を絶滅(まぁ、最初はマラリアが発生する地域に限ってだろうが、どこかでその他の地域にも不妊の蚊は入り込んでくるだろう。)して、生態系への影響はないのだろうか?とあるお魚さんにとってボウフラは主食かもしれない。蚊を捕食している虫なり動物なりがいるかもしれない。それなのに人間のために遺伝子を組み替えて良いのだろうか?「蚊がいなくなれば清々するわ!」と特にかまれた後には思うだろう。というか、よく思う。でも、この地球上に住む他の生き物からしてみると、人間こそいなくなれば清々するわ!と思っていても不思議ではないか。一体全体、人間だけが他の生き物の遺伝子情報を組み替え、意図的に絶滅させようとしている、このことは良いことなのだろうか?

あと、個人的に「病気をなくす」という方向性と同時に、「人口増加に耐える」という方向性も考えないと、結局ロクなことにならないと思う。別に死んだほうが幸せとは言わないが(というか、そんなの誰にもわからないが)、生きていくからには基本的な食事、基本的な教育、基本的な生活水準が必要である。もちろん、これは西洋の基準だけで考えられないことではあるけれども、「マラリアにならなかったからオールオッケー」とはいかないのが人生なのだ。こうやって考えていくと、そもそも援助という名で先進国の考える基本的人権を押し付けることが〜とか、小難しい話に突入してしまうので、今日はこの辺で切り上げます。いずれにしても、蚊に血を吸われるのは迷惑千万だが、だからと言って遺伝子操作でどうこうしようというのもどうなんだろう?というお話でした。

 

References

References
1 鍛えているはずの自衛官

臓器移植に思うこと

まず、今日の日本のトップニュース、北海道で行方不明の男児が1週間ぶりに見つかった件だが、21世紀最強の寒波が到来中だとか、雨だとか、熊だとか、諸々をはねのけて、よくまぁ生きていたものだと素直に感心しました。ネットでの大方の見方と同じく、私もてっきり事件だと思っていた。そう思った自分の品性のなさを反省する必要がありますね・・・しかし、そのタフさもさながら、発見場所が自衛隊演習場ということもあり、「将来は自衛官か」「むしろレンジャー徽章を差し上げろ」といったコメントも多々あった。まぁ、なんとなくそう言いたくなる気持ちもわかる・・・

さて、本題。臓器移植について、私はもともと「困っている人がいるなら好きなだけ使えば良いじゃないか」と、こだわりがないほうなのだが、最近「とはいえ、くだらんやつを生かしてもしょうがないのではないか?」と思うようになってきた。「くだらんやつ」というのは、社会的にも本人のあり方としてもの話です。「そんなこと言うなんて!命は至上です!」と言う人もいるかもしれない。「命は平等です。くだらないか、くだらなくないかで差別してはいけません。」と言う人もいるかもしれない。でも、命が至上で誰にでも平等なのと同じくらい、死も至上で誰にでも平等なことを忘れてはいけない。キリストのパンじゃあるまいし、私の体はどんなに分割しても一臓器お一人様(もしかしたら数人)向けである。それ以上は分けられない。ならば、少しでもくだらなくない人を生かしたほうが、世の中のためじゃないか・・・と、こういう思考です。幸い、臓器にも記憶があるとか話に聞くし、ならば「くだらんやつに移植したら、体の内から呪ってやるぞ」と事前に脅してみようか。そうすればくだらんやつはビビるだろう。

しかし、そもそも臓器移植を待つということは人の死を待つことに他ならない。なので、まだかまだかと待つ、そのこと自体がくだらないと言えるかもしれない。人の死を望み、自分の生を望む。それは正しい人のあり方として、許されるのだろうか?自覚してしまうと絶対にドツボに嵌るだろうこの問題において、どうしたら無自覚でいられよう?

まぁ、臓器提供してもしなくても私は死ぬのだし、臓器を待ちわびる人も、うまい具合に提供されてもされなくても、遅かれ早かれ必ず死ぬのだ。やっぱり私が脳死判定受けたら、好きにしていいや。

 

オバマ大統領の広島訪問の意義

当日母が広島にいたならば、交通規制で発狂していただろう・・・広島出身者としては、やはり今回の訪問は意義深いと思うし、全てを一度にやり遂げると、その分あちこちから反発が出てくるものなので、今回くらいが初回としてはちょうど良かったのではないでしょうか。次は広島か長崎の記念式典に参加してもらうことが目標になるのかな?

戦争というのはやったりやり返したり、えてして加害者と被害者の境界線が曖昧で、特に2度の大戦以降は総力戦、非対称戦ということで、一般市民の犠牲も多い。そんな中で日本だけが被害者顏してアメリカ大統領に訪問してもらうということに納得できない人は多いだろうし、逆に他のことを考えずに(日本が他国に何をした、だけではなく、例えば同じアメリカによるベトナムへの枯れ葉剤散布やアフガニスタンの誤爆など)、「アメリカが日本に謝るのは当然」という人もいるだろう。

でも、今回はそういう意味ではなく、「唯一、人に対して原爆を使った国」がアメリカで、「唯一、原爆を直接食らった国」が日本だから来たのだ。もし1945年以降、何度も何度も原子爆弾が人に対して使われていたらアメリカ大統領が広島を訪れる意味なんて全くない。(もちろん、そんなことになってたらアメリカも広島も存在してないかもしれない。)その唯一性をなんとか保っているからこその今回の広島訪問であり、謝罪があろうとなかろうとその意義が薄れることはない。これは人類が70年近く理性を保ち続ける事ができた事に対する記念なのだ。

オバマが任期ギリギリで広島に来たのは、もちろんアメリカ国内の事情もあるでしょう。大統領として政策を立案し、実行する時間があるタイミングで訪問する方がより誠実だったのかもしれない。いずれにしても彼は来た。今まで原爆を落としたのが彼の国だけであり、原爆を落とされたのが日本だけだから、来た。今後もアメリカ大統領が過去原爆を使ったことについて、広島と長崎だけを訪れることになるよう、祈りたいものですね。

というわけで、もう少し現実的にドロドロした話をすると、日本は「こういう意義があるから来ただけですよ。過去の正当性とか謝罪とかの話じゃなくって。単に「原爆を落とし、落とされた」の関係が、日米のみで終わるよう、核廃絶と平和構築を祈っての話です。」と(多少国民感情に配慮しながら)世界にアピールし、次回以降アメリカ大統領が広島や長崎を訪れるハードルを下げればよいんである。未来志向の平和構築を非難するのは至難の技で、もし非難すれば自らの国際的信用や立場を危うくする。特に核保有国の場合はね。しかも、もし日本が謝罪抜きでアメリカとこの関係を続けるのであれば、「日本は未来の平和のため、被害者としての過去に囚われない。」という嫌味にもなる。まぁ、嫌味の効く相手だとも思えませんが・・・

ところで、なぜ今回は広島のみで長崎への訪問がないかといえば、長崎までは足を延ばせないといった日程的なこともあるだろうけれど、個人的には外務大臣の岸田さんが広島出身(広島1区)だからだと睨んでいる。そりゃ国務長官だけではなく、アメリカ大統領まで連れてくりゃ、地元じゃ強いですよ・・・あれはまだ小学校の頃、その頃私が住んでいた家の側に小さな事務所を構えて、立候補していたのをよく覚えている。平成の世28年のなかで一番在職期間の長い外務大臣になるとは、当時の私は想像もしてなかった。(むしろ、選挙に負けそう・・・と心配してた。)そしてこれは完全に余談だが、オバマ大統領が折ったという折り鶴、ケネディ大使に手伝ってもらったらしい(某外務省筋から聞いた)。折る方も折る方だが、手伝う方も手伝う方である。手先が器用なんだろうな。

 

徒然日記:世代のせいですか?&スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

■世代のせいですか?

 脱ゆとり宣言に、ゆとり世代が怒りの声「私たちは失敗作ですか」

「自分はゆとり世代だから失敗作なのか?」と不貞腐れるということは、自分でも自身が失敗作という自覚があるのだろうか?ゆとり世代だったとしても、優秀であれば「自分はゆとり世代だが、誰が何と言おうと関係ない。自分は優秀だ。」と胸張って言うだろう。特定の時代に生まれた幸運・不運はあるだろうが、戦後日本のゆとり世代か否かの違いなど、十分努力で乗り越えられるものではないだろうか?どうせ時代のせいにするならば、1942年のスターリングラードに生まれた、とかそういうレベルで、ものをおっしゃい。

 

■スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

  

「チェルノブイリの祈り」を読んだときは特に何も思わなかったが、「戦争は女の顔をしていない」を読んで、ハタと気がついた。ははぁ〜、今回のノーベル文学賞はスウェーデン・アカデミーなりの、プーチンへの嫌味だな?ノンフィクションでノーベル文学賞というのも珍しいし。念のため、調べてみたが案の定、アンチ・プーチンでいらっしゃった。ほら、やっぱり。

 「プーチン氏悪い方に変化」 ノーベル文学賞作家が批判

ノーベル賞作家がロシア批判 ウクライナ介入「侵略だ」

とはいえ、アンチ・プーチンだろうが、プロ・プーチンだろうが、本の内容には関係ない。我々のよく知らない戦争のよく知らない一面を描き出している。女性兵といえば、自衛隊にもいるし、アメリカ軍にもロシア軍にも、今時どの国にもいるだろう。でも、70年近く前ではソ連ほど多くの女性が前線に立って、看護兵や通信兵はもちろん、高射砲兵や戦車兵、飛行士だった国はない。これも共産主義・社会主義国家の為せるワザかもしれない。が、やはり当時は当時でしかなく、前線から戻ってきたら「とてもじゃないが嫁にしたいと思えない」娘となる。男女の戦争観の違いは、戦争そのものにはないのかもしれない。

 

徒然日記:目がよく合うの&水素水

■目がよく合うの

赤ちゃんと・・・の話だが。あっちこっちで血の繋がりがあろうと無かろうと、ガン見されるので、てっきり「私ってずっと眺めていたい人相なのかしら?無垢な赤ん坊はよくわかっている、うんうん・・・」と勝手に解釈していたが、どうもそうでも無いらしいですね。逆に目を合わせ無い方が自閉症等の疑いがあってマズイとかどうとか。(気になってググってみたのだ。)まぁ、私の人相はともかく、「赤ん坊と目があったら顔芸をしなくてはなない」とこれまた勝手に決めているので、親御さんからしてみればさぞかし気持ち悪いだろう。当の赤ん坊は大体が喜んでくれるので何よりですが。

 

■水素水

水素水が流行っているらしい。意外とミーハーな性格なのだが、食指が動かない場合はテコでも動かず、リアカーに乗せていく・・・位の頑固さなので、全ての流行に対して飛びついているわけでは無い。 [1]化粧品関連は(お値段によりけりだけど)比較的飛びつく可能性が高いが、本は吟味しないと絶対に買わない。んで、水素水。いまいち体に良いと崇められている理由がわからないのでグーグル先生に聞いてみた。

 「水素水は体に良い」は本当か?効果の真偽を徹底検証

上位に出てきたなかで比較的まともそうなDIAMONDの記事を読んでみたが、これがさーっぱりわからない。要は水素イオンが体内の活性酸素を結びついて、抗酸化作用がある・・・と。それに、色々つくり方があるのね。ふーん。ついでに、「水素水バンザーイ」なサイトも確認。薬事法的に大丈夫なのかしら、このサイト?という突っ込みもしたいが、何より笑えるのが活性酸素が如何に体に悪いかというくだりである。

 ストレスや不規則な生活、喫煙、暴飲暴食といった生活環境に加えて、加齢や紫外線もお肌に与える影響は大きいと言えます。その裏には、やはり活性酸素という存在が無視出来ないようですね。
強力な抗酸化物質と言われる水素が、やはりここでも大活躍。水素の効果が、美容という分野でも期待できそうですね。

これを読んだときに私は爆笑してしまった。美容に対する効果らしいが、そんなら水素水買うより「ストレスや不規則な生活、喫煙、暴飲暴食」やめたら?そちらの方がずっとお財布に優しいし、お肌にも優しいよ。つまり順番が逆なのだ。大体、加齢のどこが悪いのだろう?生物として生きている限り歳をとるのは当たり前である。それを否定するのは生きていることを否定しているのではないか?これは池田晶子女史の受け売り。とは言え、体をボロボロにして生きたいとも思わないし、無理のない自然な範囲で「私」が入っているこの体、大事にしようと思います。話がずれたけど、とにかく水素水、ハマるのは勝手だけれども、私に薦めないでね。水素水のお世話にならないとまともな人生全うできないほど、酷い生活はしてないから。

 

そんな私の今週末のミッションは風呂掃除である。これから劇落ちキング片手に風呂場の鏡の水垢除去作業です。あと、今回から徒然日記のタイトルに内容も記載することにしました。いつ書いたものか、自分で過去記事を探せないという弊害がでてきたので。

 

References

References
1 化粧品関連は(お値段によりけりだけど)比較的飛びつく可能性が高いが、本は吟味しないと絶対に買わない。

マインドフルネスと言うけれど

六本木で坊主に囲まれて聞いた話

こちらのイベントで、マインドフルネス専門家が講師としていらっしゃっていて、私個人的には(お坊さまの美声にうつらうつらしていたこともあるし)禅の世界の捉え方について興味が向いていたため、あまり意識しないままにその単語を流していた。んで、先週末に会社の社内報というか仕事の参考になりそうなニュースや記事を集めたメールを眺めていてたら、またもや「マインドフルネス」という単語を発見。ここに至り、私はようやく去年の秋口に本屋で見かけたGoogle関連本に「マインドフルネス」という単語が使われていたっけと思い出したのでした。

マインドフルネスとはなんぞ?と調べてみたところ、要は「今この瞬間に集中しろ」とのこと。なんか集中力向上やらストレス軽減やらに効くらしい。と言われても、いまこの文章を書くために手も動かしている上に、座っているからお尻には椅子の感触があるし、音楽聴いているし、「集中って言われても、五感すべてが働いているんだから、そのうちのどれかに集中したら【この瞬間】への集中ではなくなるし、【この瞬間】を意識するのであれば、それは私の世界全体への意識になるからひとつのことに集中しようがない」と思うんです。ひとつのことに集中したら、世界がそれに収縮する感じというか。あ、つまりひとつのことに集中して、世界を小さくしちゃえということなのか?この考え、ひねくれてますかね?

そもそも単語からして意味がわからない。マインドがフルになっている状態。しかしマインドとは何か?私の考えや意識?であれば、最初からこの世界は私の考えや意識でしかないのだから、最初からマインドフルネス状態なのだ。今更気にすることでもないでしょ。てか、ここまで書いて思った。マインドフルネスはうつ病にも効くらしいが、こんな捩れきった思考回路を持つ私は、うつ病にはならないだろう。他人は所詮他人だし、この世界は私が見る世界でしかないのだ。一言でいうと「気は持ちよう」。適当に思うがままに、自分が正しいと思う道を行けば良いのである。

 

徒然日記

■「自分はできない」という自覚

昔いた部署の上司が「仕事ができない奴ほど自己評価が高い」と言っていたが、然りと思う今日このごろ。いや、「自己評価が高い」というより、「自分がいかにできないかわかっていない」というほうが正確か。何れにしても、常々思うのは「残念なオツムなんだったら、細かくひとつひとつの事象や手順やエラーの原因を覚えようとせずに、根底ある仕組みや理屈を覚えればいいのに」ということ。お脳が残念なんだから、記憶力だって大したことないのだ。だからこそ、覚えることを一つでも減らしたほうが良いのに・・・と思うんですが、本人にとっては「覚えるのではなく、考える」だなんて、東京タワーからスカイツリーまで命綱なしで綱渡りするよりも度胸の必要なことのように思えるのかしら?全然考えようとしない。こうなると「今まで考えたことがないのかもしれない・・・」と疑うしかないですよね。ほんと、思考回路を覗いてみたいです。

 

■パナマ文章

パナマ文章で暴露されちゃった人たちのリストがなかなか面白い。こういうのに、意外とアメリカや日本って出てこないんだよな〜アメリカの場合はちょっと別枠なので置いておくとして、日本人が出てこないのは

  • タックスヘイブンだなんて知りませんでした!
  • タックスヘイブンは知ってますが、そんなことしませんっ!サイテー!!
  • ククク・・・ほんとのプロは、たとえ使っていても関係各所に根回しして、バレずにやり過ごすものさ。
  • タックスヘイブンだなんてバレるやり方はしないさ。もっといい方法がある。

のどれだろう?あ、「日本人なんてどーでもいい」ということで、リストに入れてもらえていない可能性もあるのか?でも、例えば、安倍首相がリストにいたら間違いなく公表されるだろうしねぇ。いずれにしても、すでに辞任した人も出てきたし、今後の成り行きが見ものです。特に汚職撲滅を頑張っていた習近平の弟君がリストに入っていた件について。ところで、アラブの国王とかタックスヘイブン使う意味あるのだろうか?いまいち仕組みを理解していないので、使う必要のなさそうな人も使っていて、そういう意味でも興味津々。後で調べてみよう。

 

■心の内側の繋がり先について

無心でポパーの「歴史主義の貧困」を読んで、心持ち無心でエーコの「永遠のファシズム」を読んだので、骨休めに中世哲学(神学)について、読んでます。

わたしたちは他人には隠された心の中の世界を、自分の内側のみの独立した事柄だと考えがちである。しかしヨーロッパの中世の観念では、心の内側の力は、むしろ目に見えない上位の世界につながっていると考えられていた。つまり、わたしたちの理性は、抽象のはたらきを通して、じつは目に見えない上位の世界の何かを見ている。それは下位の世界を作り出している何かであり、それを理性は抽象を通して「見ている」と考えられたのである。(P48)

さて、わたしたちは心の中の世界を本当に内側にあると考えているのだろうか?この引用の前の部分で、日本人の考え方として触れられていたのでこの「わたしたち」は現代日本人ということなのだろう。しかし、本当に?「この考えは私の心の中にあるのだろうか?」と考えた瞬間に、それは心の中(ってどこ?)にとどまらないと思うのだが・・・まぁ、これは些細なツッコミですね。多分、東洋・西洋、時代に関わらず、突き詰めて考えた先の風景は同じなんだろうと思います。

 

■その他諸々紹介

【無修正】美人モデルが自身の “無修正画像” を公開 → 事務所がブチギレ削除警告 → 契約解除を迫られる事態に→私の予想では、世の中の8割の女性が「無修正でも美人じゃん!!」っと突っ込んだと思う。美人だね、うん。

指の関節を「ポキポキ」鳴らすと、どうなるの?→指のポキポキ音が大嫌いなので、この記事は鳥肌立てながら読みました。今この瞬間にもゾワゾワする。

「うちの若いヤツに食べさせて」 上司の一筆で食事半額→私はもう若くないので、一筆もらっても半額にはならなさそうです。

個人的には「両論併記はもうやめませんか。 」にもちょっとアンテナが引っかかりましたが、まぁ、これはいいや。

 

テレビは要らない!

我が家にはテレビがない。理由としては

  • 引越しの時にお金がなかった。 [1]同じ理由で電子レンジも未だない
  • テレビコンセントの位置が絶妙で、間取り的に置きにくい。というか、コンセントを塞ぐようにソファーを置いている。
  • 見たい番組がない。

だいたいこの辺だろうか・・・今の家に引越ししてから、つまりテレビ無しの生活が始まってすでに4年半。全然不自由していないので、これからも買うことはないだろうなぁ。

実際なんとかなっちゃうものなのだ。ニュースはネットでも見れるし、フィード管理して興味があるものをザクザク斜め読みしている。それに出勤前も出勤後もiTunesのポッドキャストでNHKのニュースを聞いている。(ご丁寧に、暇な時は列島ニュースまで聴いている。)ポッドキャストで十分なのであまり活用はしていないが、NHKラジオのアプリも携帯に入っている。新聞は取ってないが、これまたネットでなんとかなるし、電車で週刊誌の中吊り広告を眺めていれば、なんとなく話題になっている事柄は把握できる。これで十分じゃありませんか。「新聞は一目でいろんな記事が飛び込んでくるからよい」という主張を読んだ記憶があるが、それだって新聞の編集者がキューレートしたものから、さらに自分でキューレートして読んでいくのだ。自分でするフィード管理と何が違いますかね?自分で読む記事を選ぶと恣意的になる?でも、どの新聞を取るか決める時点で恣意的に選ぶんですから、なにも変わりはしないでしょう。

なぜか話が新聞になってしまった。テレビに戻します。さて、私がテレビを要らないというその最大の理由は、「見たい番組がない」、これに尽きる。というより、見たい番組はすべてネットでなんとかなる。ニュースは先述の通り、ラジオやポッドキャストで十分だし、他に見たい番組といえばNHKの特集(「映像の世紀」とか科学系の番組)だが、それもオンデマンドで1番組ずつ購入できる。何もかもネットで済むし、その上で見たい番組には(恐らく割高の)お金を払って見ているのだ。なんか文句あるか。

まぁ、それでも個人的にNHKは許せるのだ、なんとなく。一番嫌いなのは民放、しかもバラエティ番組で、実家やら人のうちで他の人が見ていたらついつい一緒になって見てしまうものの、やっぱりあれらは私の人生には必要ない。笑えはするが、何も勉強にならない。つまり、一言で言えばつまらない。見ると後から後悔が襲ってくるのだ・・・なお、実家が厳しかったかと言えば、やっぱりそこそこ厳しかったように思うが [2]子供のころは1週間に3番組しか見てはいけなかった。NHKは枠外。、しかし妹は大のテレビ好きだった。父も母もそこまでバラエティは好きではないので、私にはその辺の気質が遺伝したが妹にはしなかったのかもしれない。また、一人暮らしというのも問題なのかもしれない。バラエティ番組を見ながら、その笑いをその場で人と共有できるのであれば、きっと楽しいのだろう。でも一人でテレビ見て、一人で笑って、そんなの寂しいじゃありませんか。なぜ、自分の傷を抉るようなことを自分でしなくてはならないのか?

それに、テレビは放映時間が決まっている。録画もできるが、高々テレビを見るために、他の予定を調整するのも癪だし、休日を録画消化に費やすのも悔しい。いずれにしても、我が人生においてテレビはまだまだ必要なさそうです。

 

References

References
1 同じ理由で電子レンジも未だない
2 子供のころは1週間に3番組しか見てはいけなかった。NHKは枠外。

プロビオヨーグルトの話

まず、昨日貶した以下の本、7章に入ったら突然面白くなってきた。おそらく、というか間違いなく、「情報戦争」という私の琴線に響く内容についてまとめられているからだ。いままでは私がアウェーすぎたのだ、多分。

例えば、「アライアンス・オブ・ユース・ムーブメント」という、若者向けっぽいけど参加者のなかに米国国務省、外交問題評議会、国土安全保障省、CNN、CBS、グーグル、フェイスブック等々も含まれている団体。この団体の趣旨は

若者たちが能力を磨く手助けをし、世界に対してより大きな影響を与えるためにある。(P572)

その上で

このムーブメントを運営している(中略)人たちは、皆、野心に溢れる権力志向の若者たちだ。参加する若者たちは、皆、人権や民主主義といったアメリカ的リベラリズムを掲げている。そして、その背後で資金を提供しているのが、その若者たちの本当の敵であるはずの権力者たちなのだ。(同上)

・・・これは、日本の何かを思い出させるね。色々あって先週末から再び?気焔をあげているあの集団をね。

 

さて、本題。冬の間は寒いのでお休みしていたが、私はもともとヨーグルトが大好きなんである。だいぶ暖かくなってきたし、ここらで再開!と週末にスーパーに行って買って来た。いままでは「自然そのままの味」がウリの500グラムのを買っていたのだが、それだと私の場合2日で消化してしまう。つまり、食べ過ぎ!というわけで、今回は最初から小分けにされているタイプを選ぶことにした。で、味付きは好きじゃない(自分でブルーベリージャムを入れて食べるのが好き)だし、どうせならちょっと前に(いまも?)流行っていた腸内フローラを気にしてみましょうか・・・と明治プロビオを買ってみたのです。

が、ここで問題は、何種類かあるプロビオの違いが全くわからんのである。とりあえず、青と赤と黄色があることは把握した。実家では、かつては青を、いまは赤を愛用しているらしいことも把握済み。配合されている乳酸菌も違うことはわかってる。でも、乳酸菌の違いが、どう私のからだに影響するの??パッケージを眺めても全くわからないので、「まぁ、プリン体はいいや」と赤と青をそれぞれ買って、昨日今日と食べてみた。味の違いはなさそうなんだが、やっぱり釈然としない。というわけで企業ページを調べることにした。

みなさん、お分かりになりました?私にはさっぱり!青はどうも胃の中で生き残る力が強くでお腹に優しい乳酸菌らしい。赤の乳酸菌は選び抜かれた強さ引き出す乳酸菌。黄はもう少し具体的でプリン体と戦ってくれる乳酸菌とのこと。「胃の中で生き残ってそれがどう私のからだに影響するのか?」「何の強さを引き出してくれるのか?」そういうことは一切ない。しょうがないのでもう少し調べる。

  • 青:対ピロリ菌
  • 赤:免疫力UP
  • 黄:対プリン体

シンプルに書くと、まぁ、こういう感じらしい。ここでさらに問題になるのが、私はピロリ菌やプリン体が何故からだに悪い(らしい)のか知らないのだ・・・!というわけでさらに調べる。

  • ピロリ菌は胃の病気との関連性が高い
  • プリン体は痛風のもと

・・・ふむ。日々のストレスや食習慣、生活習慣を鑑みるに、今の私にはどちらもそう心配する必要がなさそうである。というわけで、明治プロビオを買うならば、免疫力UPの赤いのを買うのが私にとってのベストのようです。問題はお値段がお財布に痛いということか。

しかし、赤プロビオの「世界の体調管理法ツアー」で紹介されている内容、ちょっと恣意的すぎやしないか。こういう線ならば日本だと風邪を引いたらネギを首に巻く、みたいなのを紹介しなきゃね。

 

■追記 2016/3/29 23:03

そういえば、日本には薬事法があるのだった。ホームページや製品のパッケージに効能を書けないわけです。