Archive for the ‘国際関係と歴史’ Category.

「社会はなぜ左と右にわかれるのか」→遺伝子だそうです

 

買って比較的すぐに読んで、ブログで書こうと思っていたが、そのまま放置していた本をやっと救済。なぜだか画像のみにならなかったので、アマゾンへのリンクが微妙ですが・・・まぁ、気にしない方向で。

さて、本編について。一言でぶっちゃけると「・・・結局どういうこと?」である。色々と細かい事例が(おそらく順を追って)説明されているんだが、どうも結論がわからない。というか結論はわかったんだが、ひとつひとつの説明の意義というか意味というか関連性がわからないというか、とにかく、いちいち「で?何が言いたいんだ?」と感じてしまう。アマゾンのレビューを見るに、「わかりやすい」とあるので、おそらく私と相性が悪いんだろう。人の政治的指向性が環境よりも遺伝子で決まるとか、ほら、いかにも相性悪そうでしょ。

んで、肝心の結論?だが、人間の道徳基盤である「ケア」「自由」「公正」「忠誠」「権威」「神聖」の6つのうち、保守主義者のほうが他者に対してアピールする項目が多い(リベラルは「忠誠」とか「権威」、「神聖」を全面に政治的アピールをしない)、ゆえに保守主義は有利ということ。また、人間はその歴史を通じて「自集団に資する正義を指向するよう設計されて」いて、他者や物事に対する態度も直感的に決まるため、他の集団に対する理解が非常に難しい・・・と。

・・・恐ろしいことに、ここまで書いて5分ほどこの後何を書けば良いのか、悩んでしまった。つまりそういう本である。まぁまぁ興味深いが、だからと言ってどういうこともない、本当にそういう本なのだ。説明も中途半端に感じる。「なぜ道徳基盤がこの6個なのか」など、肝心な部分の説明が抜けている。遺伝子云々についても同様。保守とリベラルの間に異なる遺伝子があることはまぁ置いておくにしても、その遺伝子の違いが6つの道徳基盤上での行動についてどう影響しているのかははっきり説明されていない。個々のエピソードは読んでいてそれなりに楽しいが、それが集合体になった瞬間に、相互関係が迷子になってしまい、本全体として非常に印象が薄くなってしまうのだ。

救済するというより、蜘蛛の糸をブチっとハサミで切ったような内容ですみません。でもどうしても「遺伝子で人の考えの指向が決まる」とか受け付けないのよね、生理的に。

 

 

もうそろそろこの季節

https://www.youtube.com/watch?v=zpATGf-1tA0

中国海軍の進出について

中国海軍の進出が目覚しい。ここ数年であっという間だ。南シナ海あたりの領海権の主張はだいぶ強引ではあるが、さて、彼らは海に出てきて何を目指しているのだろうか?

まず、中国がランドパワー国家であることは間違いなかろう。万里の長城が示すごとく、歴史を通じて漢民族の敵は、大体北方から攻めてきていた。中国の北方、すなわち陸続き。中国が歴史的にランドパワーとして存在しているのは当然だ。とはいえ、中国が海へ進出しなかったかといえば、もちろんそういうわけではない。明時代にはアフリカまで遠征している。しかしなぜ、今、太平洋とインド洋をがっちり抑えている米海軍、日本帝国海軍の伝統を墨守する海上自衛隊、その他台湾やインドといった海軍に対抗するように拡大しているのだろう?

リアリストの立場に立つと、「他国は皆敵」である。国は世界で生き残るために、行動する。そして生き残るためには、他国を圧倒するパワーが必要なのだ。では、国のパワーとは?端的に言えば軍事力とそれを支える経済力、人口、国土の特徴等の潜在的力ということになる。で、この両方のパワーのうち、海上でのものがいわゆる「シーパワー」と呼ばれるわけですね。

ところで、海上輸送は航空輸送(飛行機)や陸上輸送(鉄道やトラック)に比べて、一度に大量にそして安価に運ぶにはもってこいな方法である。が、海ならどこでもお船で行ける、というわけにもいかない。先祖代々人類が利用している主要航路があり、それがシーレーンと呼ばれるわけです。シーレーンをどれだけ利用できるかという、海洋輸送能力はシーパワーの一部となす、これはまぁ自明でしょう。

他にもシーパワーの要素はあって、例えば海洋資源。天然ガスとかレアメタルとか、さらには領海内のお魚さんたちも、国民の健康状態の一要因とすれば立派なシーパワーです。ものすごく簡単に言えば、利用できる海洋資源=領海が大きければ大きいほど国力が増す、こういう見事な比例式が成り立っているのだ。

以上2つ(シーレーンと領海)は潜在的なパワーと言えるが、もちろん海上においても軍事力は重要だ。平時に於いてはシーレーンの保護、戦時においては自国のシーレーンの保護はもちろん、敵のシーレーン破壊、もしくは封鎖(バリケード)も海軍のお仕事となる。かのマハン曰くバリケードは「the most shocking characteristic of sea power」らしいし。まぁ、これは余談。

話を中国に戻すと、「中国のお国柄」というのも「なぜ、今?」という問いにおいて、考えるべきポイントだったりする。マハン先生も国民性は重要と言っていることですし。で、問題の中国にお国柄。そもそもランドパワーな国は陸続きに絶えず敵に脅かされた歴史から専制的で軍事志向が強いと言われている。ドイツ・・・はうまく変わったのか、それとも変われていないのかよくわからないところだが、ロシアなんていい例だ。せっかく共産党政府が崩壊したのに、プーチンが出現している。中国なんぞ、いまだに共産党一党独裁状態である。そもそも、かの「中華思想」。漢民族国家を中心とし、その四方の国々は朝貢すべし、一度朝貢したら中華圏内というあれは、大戦前のドイツやらソ連、日本でも言われた「生存圏」の概念として受け継がれているのではないか?さらに、中国の軍隊は国軍ではなく「党の軍隊」である。つまり政軍の完全一致であり、それは中央軍事委員会が人民解放軍をがっつり抑えている組織図からも見て取れる。(ついでに言えば、中国海軍の英語名はPeople’s Liberation Army Navyである。アーミーなんだか、ネイビーなんだか。)

もう少し時代に沿って中国海軍の状況を眺めてみると、毛沢東時代は、ぶっちゃけ不遇の時代と片付けて良い。最初の海軍トップは海軍の経歴が一切ない革命戦士だったし、台湾奪還のためにも海軍を!と叫ばれはしたものの、お船もお粗末、乗る人もお粗末といった具合。あげくに朝鮮戦争だとか文革だとか核兵器重視だとかで、金もなければ訓練された人もいないという時代だった。

そんな不遇の時代もマオの死によって状況が変わる。経済発展により、予算が回ってくるようになったことはもちろん、その頃敵対していたソ連が海洋上で南下政策を取っていたこともあり、それに対抗すべく海軍の増強が図られた。その上、経済発展により人民が豊かになるにつれ、共産主義のイデオロギーだけでは国民を制御できなくなっている。そこで出てくるのが例の中華思想。民族主義的な側面で国民を満足させ、政府(共産党)に文句を言わせない方針が見て取れるのがここ数十年の流れである。

「でも、海軍の進出と国民の満足度はどう関係するの?」と思われるかもしれない。しかし、これは以外と単純。

  • 国民を満足させる=経済発展のためにはシーレーンの防衛が必要である。
  • シーレーンの防衛は、自国の海岸線だけではなく、島による飛び領海があると、より安泰である。(島があれば基地が作れる。港でなくとも航空機による援護が期待できるかもしれない。何より領海面積が増えれば増えるほど、他国の海軍はそう簡単に入ってこれない。)
  • 領海面積が増えると利用できる海洋資源量が増える。(ついでにシーレーンで運ばれる一番大事な「石油」、これに変わるエネルギー源も採掘できるかもしれない。つまり、シーレーンに頼る必要が減る。)
  • 海洋資源量が増えると経済発展に弾みがつく。

このように「シーレーン」「海洋資源」「領海」が三角形を作って、お互いに影響し合って、満足度向上につながっているのだ。ならば海軍はそれらをエイヤッと丸取りするのが賢い。それゆえに、南シナ海とか東シナ海がキナ臭くなっている。

ところで、先ほどロシアが民主化して、結局どうなった?プーチンが出てきただけではないか?と言った。プーチンの政策は強きロシアの復活であり、まぁ非難も多いが、純粋に目的達成度だけみれば、うまい具合にやっていると言える。であれば、同じランドパワーのお隣同士、中国が民主化しても全く同じ道を歩む可能性が高い。過去からの伝統的思想、経済成長、国民を満足させるための政策、これらは共産主義とは一切関係がない。つまり、中国が民主主義国家になっても、中国海軍の進出は止まらないだろう

幸い、中国海軍の進出を快く思わない国々が中国の周りに沢山いる。どれも共通のシーレーンを利用し、中国と領海がかぶっていたり海洋資源を取り合っている国々である。日本としては、自身に対抗する強国を作りたくないアメリカをはじめとして、こういった国々と手を取り合って中国に対していくしか道はない。また、いくら中国が海洋に進出しても、あの国がランドパワー国家であることを忘れてはいけないし、何よりも、もう一つの大国、ロシアとの関係を注視する必要があるだろう。

 


って、ここまで書いて、時間と根気のある方はお気づきになったと思います。そうです、これ、2007年末に書いた私の卒論(全文このブログに載せてます)の抜粋なのです。情報は古く、英語は拙い・・・ですが、骨子としてはなかなかイイ線いってるし、まぁ、8年後の今でも通用するなと思いまして、初の日本語訳にしてみました。卒論の方では海上自衛隊とか台湾やアメリカ、インドの海軍や海洋政策についてもツラツラ書いてるんですが、本筋には関係ないので割愛。ついでにネタバレ。この論文自体はミアシャイマー博士の理論を単に海(海軍)に当てはめただけなのです。よくまぁここまで膨らませて書いたものだわ。

 

 

「中国4.0」の話

 

さて、昨日予告したので、今日はこの本について。Twitterにも書きましたが、この本は「気持ち良く読める人にはものすごく気持ち良く、許せない人には絶対に許せない本」だと思われます。要は中国に対してどのような印象があるかなんですね、評価の前提は。「ウンウン、そうだよね!そーだよねっ!」と今まで自分が持っていた薄らぼんやりとした頭の中の思いを、「あれが1.0、これが2.0、で今が3.0!」とカテゴライズしてくれて、ついでに中国の行動パターンについて「逆説的論理」とか「大国は小国に勝てない」とか、やっぱりカテゴライズして説明されると、まぁ、そりゃスッキリ爽快でしょうよ。逆に反対の見方をしている人には、ルトワック氏の論理が明確でシンプルだからこそ、論理的に反論しにくく、とりあえず怒るしかできないかと・・・え?私?基本スッキリ読めた派ですが、なんせ根性がひん曲がっている(ポジティブに表現するならば「大学時代にクリティカル・シンキングについて叩き込まれた」)ので、色々心の中で突っ込みましたよ。

じゃ、まずこの本の成り立ちについて。

ルトワック著『中国4.0』の制作秘話:地政学を英国で学んだ

訳者の奥山真司氏のブログによると、ちょっと長いですが引用すると

いよいよ来日して次の日にルトワック本人と一時間ほど滞在先の都内のホテルのロビーで話をするということになったわけですが、久しぶりに会って開口一番何をいうかというと、

本にするいいアイディアが浮かんだ。お前が翻訳して本にしてくれないか?

突然のムチャ振り。しかもその数日後には伊豆の伊東の温泉にいくので、そこでインタビューを行って本を完成させようなどと、かなり無理なスケジュールを言ってきたのです。

一瞬たじろいだのですが、ここは私の数少ない編集者つながりから文春の編集者に話をつなぎ、おそらく数回のインタビューだけでは単行本にはならないので短めの新書にしよう、という話になり、なんとか企画も通って実行決定ということになったのです。

その翌週に、私は彼とは別行程(私は修善寺からわざわざレンタカー、彼は三島からレンタカー)で現地集合して、一泊二日で伊東の温泉に泊まることになりました。

現地の温泉宿は「日本の温泉評論家」との異名をとるルトワックによるチョイスだったのですが、無名ながらもかなりのマニア度の高い、離れ部屋だらけのかけ流しの温泉旅館。私は彼のすぐ隣の小さ目の部屋を予約して、準備万端。

現地には1600頃ついて、さっそくルトワックだけ温泉につかり、私が風呂の外でICレコーダーを2台使ってインタビューを開始。すでに話す内容は決まっていたようで、『中国1.0』の第一章のほとんどは、お湯につかりながら収録した1時間ほどで修正なしでほぼ採用ということになりました。

 

個人的に奥山さんを知っていることもあるが、もうこれを読んだだけで、(離れに露天風呂という)伊豆のどう考えてもカップル向けのお宿の小洒落た小さめの湯船に浸かる、真っ裸のルトワックの横に傅いてICレコーダーを差し出す奥山さんのイメージが頭を離れないわけです。男二人、わびしくならなかったのかしら・・・?しかも、帯を見てもらえればお分かりの通り、ルトワック氏、腕超太い!ゴツいのです。そんな状況で「祇園精舎の鐘の声〜」ですよ・・・笑うしかないでしょ。この世にこんな方法で生まれた国際関係(しかもバリバリのリアリスト)本があろうか・・・英訳を出すときは、絶対に成り立ちを入れて欲しいわ。

んで、もう少し真面目に中身を見ていきますと、まぁ、最初に書いた通り、2000年以降の中国の対外的な行動を

  • 中国1.0=うまく「私危なくないです」アピールができたため、台頭しつつも周りの国の反応を抑えられた時期
  • 中国2.0=アメリカが経済的にコケたので、「(経済的にも軍事的にも)意外とイケる?」と強気になっちゃって、そしたら周りの国が「中国けしからん!」と反応し、結果野望果たせず・・・の時期
  • 中国3.0=というわけで反省して、出すとこ出して、ひっこめるところは引っ込めてみたが、やっぱり勘違いしてて失敗じゃない?という時期

と分けているんですね。まぁ、毛沢東時代はどうだったのよ?え?あれも中国だろうよ?と意地悪い考えも浮かびますが、あの時代はどちらかといえば、国内にしか目が向いてなかったんで、考慮外ということなのでしょう。で、中国が抱いている3つの勘違いが「1)お金ばら撒けば外国はいうこと聞くはず 2)アメリカは衰退し続けるし、中国は発展し続けるはず 3)二国間の関係を通じて思い通りの立ち位置をゲットできるはず」。あぁ、どれも悲しき勘違い。お金をばらまいても誇りを売らない国は出てくるわ、アメリカは持ち直して、むしろ自分ところの経済が曇り空になるわ、一番大事なアメリカとの二国間関係は構築失敗するし、東アジアの小国どもは結託するし・・・踏んだりけったりな訳です。この勘違いの元凶は、「人(国)は見たいものしか見ない」ということ。70年前の日本は物量差を見ないふりして精神論でイケると思った。2003年のアメリカも本当はないサダム・フセインとビン・ラディンの間の線を幻視してしまった。人の認識論が国にも当てはまることは、哲学的観点から大いに興味深いですが、ま、それは別の話。

とにかく、中国も「見たくないものはなかったことにして、見たいものを脳内で作っちゃった」というのが、失敗の原因なのです。しかも、国内の政治体制の仕組み上、民主主義国家にくらべて、国のトップに対して「それ妄想だから」という声も上がりにくい。習近平が国内で汚職撲滅活動を繰り広げているからこそ、暗殺の危機が・・・というルトワック氏の主張はちょっと納得できないというか、判断の基準を持ち得ていないけれども、もし氏のいう「パラメータ」が、中国ん千年の歴史に基づくのであれば、易姓革命なんてのも起こりうるわけで、さてそれは軍部からだろうか?それとも、怒れる民衆からだろうか?

んで、そんな中国に対する日本へのアドバイスは「ちっさい島程度じゃ、アメリカ動かないし、頼る前に自分で柔軟に対応できるようにしな!」というもの。これまた正論すぎて、「でもその正論を実行に移すまでに、自衛隊関連の法整備やら、外務省の柔軟性やら、お先真っ暗なんです!」という言葉を飲み込んじゃうレベルですね。この辺、あんまり説明されていないのです。それがまた「自分でなんとかしな!」ってスタンスを貫いていて、身にしみる・・・ほんとにどうしよう・・・

 

最後に、本書の一番の「逆説(パラドックス)」。

 あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「私は中国の本について読んでいると思ったら、いつのまにかルトワック氏のロシア論を読みたくなった」

な… 何を言っているのか わからねーと思うが

私も 何をされたのか わからなかった…

頭がどうにかなりそうだった… 催眠術だとか宣伝だとか

そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…

多分プーチンの魔力だ。きっとそうだ。しかもルトワック氏、ロシアについてまとまった本がないのよね〜「ロシアは戦略を除いてすべてダメだが、中国は戦略以外はすべてうまい」とまで言われちゃ、その立派なロシアの戦略について、読みたくなるのが人の道理じゃありませんか。是非ともお願いしたいです。ほんとに!まじで!真剣に!

 

西のテロ、東の国家間対立

■ベルギー連続テロについて

今回の件、つい最近ベルギー内で去年のフランスでのテロの容疑者が逮捕された事に対する報復なのだろうか?何れにしても、中東・アフリカから難民がヨーロッパに流入しており、それに対する反応、さらにその反応に対する反応・・・と、どこかでなんとかしない限り、暴力とそのもととなる悪感情は終わらない。

しかし、なぜヨーロッパなのだろう?近いから?すでにそれなりのコミュニティーがあり、潜伏しやすいから?イラクやアフガンでアメリカを支えた国だから?ものすごく乱暴に考えると、やっぱり植民地時代の遺恨なのだろうかという答えが頭をよぎる。もしそうならば、一体どこに解決の糸口があるのか・・・アメリカがアフガンやイラクに手を出した10年前から「テロを封じ込めるには?」をテーマにいくつものガイドラインや論文が出回っていたが、未だに効果なし、むしろもっと状況は悪くなってきている。

かつて地球は広かったので、違う文明・文化はそんなにぶつからずに済んだ。歴史が下るにつれて、どんどんぶつかる面は広がっていって、その面を挟んで戦争があったりもしたが、基本的には西欧文明が他の地域を飲み込む形で秩序が作られてしまった。冷戦も2つのブロックが他の地域を頭ごなしに抑え込んでいたという点では植民地時代とそう変わらない。冷戦の終結とともに、というか冷戦の間に、西欧が中途半端に手を引く。非西欧の地域は、自分たちの土地が浸食されてた(文化的には「浸食されている」)と気がつき、自身の権利と誇りのために戦いを挑んだ。ついでに抑え込まれていたので目立たなかった部族や民族同士の争いも大規模化・・・とこういう視点で歴史を眺めるのであれば、先行きはあまり明るくないと言えそうです。多分、人間が増えすぎたんでしょう。ある国か文化が今一度地球のほとんどをその影響下に収めるか、多少のいざこざは前提として、どの文化も他の文化につべこべ口出しされずにそれなりの影響圏を確保して棲み分けるか、なんらかの方法で人口を減らして歴史の針を戻すか・・・さてどれに落ち着くのか。おそらく私が死ぬまでには答えは出ないでしょうね。

 

■反対に東アジアでは

やれ北朝鮮がミサイルを発射した、やれインドネシアと中国が違法漁船で体当たりしたりされたり・・・西欧でのトレンドは非対称戦というに、見事に国と国とのパワーポリティクスが生き残っているのが、我らが東アジアなんである。テロの現実と解決の困難さと比べると、かなりシンプルなので、かえって安心感というか安全感というか、妙な気持ちになるのは私だけでしょうか?

もちろん、テロがないわけではない。が、安全保障の面では「国」対「国」を意識している国の方が圧倒的だろう。これまたなぜ?地球の半分以上はテロとか内戦とか、そういうことに頭を抱えているのに、なぜ東アジアだけ20世紀のままなのだろうか?これは私の想像ですが、やっぱり歩んできた歴史の問題なのかもしれない。日本がヨーロッパの植民地化を免れて、また中国も屈辱は受けたものの完全なる植民地にはなっていない状態であったこと、それゆえに十分な力が国に残ったからではないか・・・?

 

しかし本当に妙な感じなのです。ヨーロッパでは街角のテロに怯え、私たちは空からミサイルが降ってくることを懸念して、とうとう都民に配る防災指導本にもミサイルや核から身を守る方法が載る始末。なぜ、西と東でこうも違うのか?今、テロというとイスラム過激派によるテロと同義だが、本来「テロ」という言葉に地域性や宗教性はないはずなのだ。実際、日本のオウム真理教の事件も世界的には「化学テロ(しかも世界初の!)」である。なのになぜ、テロはイスラム過激派の専売特許のようになってしまったのか?なぜ、イスラムのテロは西だけに向いているのか?(文化的侵略に対するというのであれば、トヨタのランクルに対してもテロを起こしても良いはず。ランクルもマクドナルドも同じくらいの恩恵だろうに・・・)テロが少ないから東アジアは安心して国家間対立にかまけることができるのか?それともテロが東を向かないのに、東の国々が持つ特別な理由があるのか?ならばそれはなんなのか?謎はつきませんね。

アブナイ奴は摘まみ出せ!

高校生を監視し政府に批判的な言動をすると教師に密告させるスパイ計画が発覚:GIGAZINE

要は、アメリカにおいて「政府に反抗しそうなアブナイ子供の兆候を捉え、信頼できる機関に報告し、普通の生徒を守れ!」という趣旨のガイドラインが出たと。それに対しての反対意見、懸念は以下の通り。

Preventing Violent Extremism in Schoolsというガイドラインは2016年1月に施行されたもの。「子どもを守るため」という名目で、政治的に危険な発言をしていたり社会経済的に孤立している子どもも対象にしていますが、「ムスリム・コミュニティを監視するものとして機能する」として懸念が寄せられています。

 

FBIのガイドラインは一見すると一般的な「危険」を高校生に対して警告したもので、ムスリムの学生をターゲットにしたものには見えません。しかし、注意深く見ていくと、FBIは常にイスラムの脅威を名前として挙げており、文化と宗教の違いを「未来の過激派」の因子として繰り返しつづっていることがわかります。

 

American Civil Liberties Union(アメリカ自由人権協会)のHugh Handeysideさんは、「暴力的な過激派の定義に『宗教上の理由に基づく暴力』を含めることは、FBIがコミュニティの監視に力を入れていることに他なりません。『懸念される行為』を示したことは、FBIが生徒の考えを監視し、これらの考えによって引き起こされる未来を予測しようとしているということを表しています」と語りました。

 

・・・え?そこ?というのが、私の正直な感想。「宗教的差別はしていない建前だが、実はムスリムがターゲット」という点について、みんな批判しているが、そもそも「学校という場で、アブナイ子供の報告させる」というのはいいの?

まぁ、とにかくヤバいやつというのはいるでしょう。コロンバイン事件から学校は幾たびも乱射事件の舞台となってきましたから。明らかにヤバい奴、これは学校や地域の安全のために、補導だったりなにかしらのアクションが必要というのはわかる。例えば、全身黒ずくめで、Facebookに銃を持っている写真をアップしていて、さらに動物虐待の写真まで・・・みたいな生徒は監視が必要、これはわかります。若気の至り、黒歴史、若者とは暴力的なものである、この辺も胸に手を置いて、ちょっと10年20年前に想いを馳せれば、ものすごーく恥ずかしい感情とともに、「まぁ、理解できるわね・・・」と納得もできる。「あのころの私、今思えばだいぶ恥ずかしいけれど、まぁ、キーキーと偉そうなこと言ってたわね。先生も大真面目に取らないでほしかったわ・・・」こんな感じでしょう。あー恥ずかしい。

が、よくよく考えると、私のこの心情、これこそが絶対的によろしくない。それは「アブナイ奴は報告されて当たり前」というこの社会のあり方を疑っていない故に、です。もちろん、社会全体への害を考えるならば、このやり方は正しい。アブナイ奴は社会から摘まみ出すに限ります。しかし、本当にそれで良いのだろうか?報告した後に更生という道ももちろん準備されているのでしょうが、そういう問題じゃない。「アブナイ奴を報告するのは当たり前」として疑いもしない、むしろ、それが大前提の上で「誰がターゲットか?」で論争しているこの状態は本当に正しい状態なのだろうか?

今回の記事、最初は「ムスリムだけではなく、そもそも学校でこういうことをすること自体が教育としてどうなのだろうか?」という引っかかりで興味を持ったのだった。が、考えてみると、学校という場だけではなく、こういう行為を推奨することをだれも問題視しない、その点にこそ問題があることがわかってしまった。しかし、生身の人間としては、アブナイ奴は怖い。近くに居て欲しくない。さて、私は一体どうすべきなのか?

 

ドナルド・トランプ、時代の男

先日、余談として書いたが、英語のリスニング力の維持のために、CNNのAnderson Cooperのpodcastを流し聞きすることにした。今の時期のアメリカのメディアが報道することはただ一つ、ドナルド・トランプの選挙戦についてである。ドナルド・トランプ本人よろしく、CNNの中でもキャストがお互いの主張を被せての大論争をしている。(流石に罵り合いはしてない。)攻撃的な物言いというのは、このように話題の中で伝染するのか・・・と興味深い。

で、ドナルド・トランプについて。昔に比べるとアメリカの政治に対する熱量を失っているため、イマイチ選挙戦の状況について理解できていないのだが、ドナルド・トランプが新しいタイプであることは間違いなさそうだ。まず、これは多くの人が指摘しているが、彼は過去のキャリアで政治に関わったことがない。よく比べれれるのはレーガンのようだが、レーガンは大統領になる前に、州知事をしている。ちゃんと調べたわけではないが、基本的に州知事や上院議員経由で大統領を目指し、大統領になる人が多い中で、純粋なビジネス畑からの立候補。経済政策は良いにしても、外交とか大丈夫なのだろうか?しかし、ここで「いやいや、大丈夫じゃないから、声高に過激な発言をして、本当の外交から大衆の目を逸らさせているのではないか?」と意地悪い考えも浮かんでしまう。いざ大統領になったならば大人しくなるという意見もあるが、個人的には是非プーチンとトランプとの対決を見てみたい。あのトランプの猛攻に耐え、勝ち越すのはこの世界でプーチンくらいしかいないだろう・・・サーカスの猛獣ショーをみたい、と同じノリですね。

まぁ、冗談はさておき(プーチンとの対決をみたいのは、わりかし本気だが)、なぜ今トランプがこんなにアメリカでウケているのだろう?間違いなく、世界中で彼の言動に眉をひそめている人がいる。「トランプがアメリカ大統領になったら、世界秩序はおしまいだ・・・」ってレベルで悲観しちゃう人がいる。私もその気持ち、よくわかります。大統領になって大人しくなるならばよいが、もし今演説している内容そのままに、それこそ、ビジネスのCEOのごとく独断的に(?)外交を捌いてしまうならば、おそらく世界の半数以上の国家元首は頭を抱えてしまうだろう。「アメリカ国民は良識をなくしたのかっ!」と罵りたい気持ち、わかります。でも、あいつら、日本が中国と陸続きだと思ってたりしますからね・・・その辺は前からと言えなくもない・・・かも?

しかし、同時にもう少し世界に視野を向けてみると、アメリカにおけるトランプ旋風と同じような理屈が他の国でもまかり通っているようにも思えるのです。日本で言えばレイシストやらしばき隊の問題、ヨーロッパにおける移民反対の暴動やらなんやら、中東におけるIS・・・どれも、自己中心的モノの見方が強まった結果なのではないだろうか?あら、これぞつい最近読んだメアリー・カルドーの「自集団中心主義」じゃありませんか!つまり、ドナルド・トランプは、世界における民主主義の旗手、アメリカ合衆国にさえ、あからさまに「自集団中心主義」が蔓延り始めた象徴である!と言えるのかもしれない。わぁ、意外と本気で時の人だったんですね!

また冷静になって考えてみますと、あの散々言われた子ブッシュ時代でさえ、アメリカはなんとかその辺を耐えたのだ。それは、単にブッシュが新時代幕開けの主人公になるには役不足だったということもあるかもしれないが、コンドリーザ・ライスなど比較的良心的というか、頭のよいバックが付いていたからに他ならない。もし、トランプにまともな外交政策補佐役がいれば、いままでの発言は絶対になかっただろう。(ただ、とりあえずアメリカ国内の人気取りを優先する判断で言いたい放題言わせている可能性も多少ある。でも、その場合に、トランプ大統領の暴走を閣僚が抑えることができるのだろうか?)その辺も世界が頭をかかえる一因である。実際のところ、たとえ共和党の指名をトランプがとろうとも、反トランプの共和党支持者が民主党に流れ、トランプ大統領は誕生しないと思われるが、万が一、トランプ大統領が誕生してしまったら、最後の頼みはやっぱりプーチンしかいない・・・と思ってしまうのである。てかプーチンの場合、確実にトランプをいいように使うな・・・言っちゃ悪いがレベルが違ってよ。

 

ところで、シュワちゃんはどこに消えたんだろう?10年くらい前はてっきり大統領選に出てくるもんだと思ってたけど・・・

「チェルノブイリの祈り」

所用で1週間弱広島に帰っていた。帰る直前にちょうど、こうの史代の「この世界の片隅に」を久しぶりに読んだので、新幹線の中で「チェルノブイリの祈り 未来の物語」を読むことに決めて、今日読み終わった。そんなわけで読みながら思ったことを箇条書きで。

・この本に収められている話から一番感じるのは、「放射能怖い」「原発は怖い」とかではなく、非常に「ロシア的ななにか」。国(ソ連)に対する考え方だったり、大祖国戦争との比較だったり、何よりも自然に対する考え方だったり。

・所謂被爆者(その瞬間にこの世に存在していた人)だけではなく、その次の世代に対する、自ら考える&他者が持つ、恐れ。これはかつてのヒロシマで克服されたのだろうか?原爆からは3世代分時が経っている。だから多分、ほぼ克服されたと言えるだろう。家系的にガンが多い、とかはあるけれども、今時ガンで死ぬ人なんて、あちこちにいるのだし・・・チェルノブイリからは2世代弱?今、この瞬間にやはりそういう差別はあるのか?そして、福島の避難地域民に対するものは?私が知らないだけで、やっぱりあるのだろうか?

・チェルノブイリ事故が発生した当時、ソ連は崩壊直前で、各地で民族紛争と言えるものが発生しており、そこから逃れてきたロシア人がチェルノブイリ近辺に避難してきて、「目に見えない放射能よりも、人の方が怖い」という。原発も人の手によるものなのに・・・

・放射能を「見た」、水たまりが光っていた、という証言が多数収めされている。さて、セシウムは水色の水晶のように畑に転がっているものなのか?科学的にあり得るのか、それともそれは無知故の勘違いなのか?まぁ、光るというのはわかるけれども。

 

国家への挑戦は許されるのだろうか?

たまたま、今日1日で2つも国家への挑戦について読んだので簡単に。

 

■「新しい戦争」

人に借りてしばらく積ん読状態だったこの本、やっとこさ読み始めました。例のごとく最初の数十ページしか読んでいないのですが、序論で「新しい戦争」の定義があったので引用すると

「新しい戦争」は、国家の自立性が侵食されること、そして極端なケースでは国家が解体してしまうという文脈の中で発生しているのだ。(P6)

とのこと。別に「新しい戦争」そのものが、国家を解体してしまう直接の要因というわけではないけれども、「新しい戦争」を通じて、国家が弱体化されるとは言えそうです。つまり、もともとグローバリゼーションで国家の機能や権力が弱ってきているところに「新しい戦争」(まだちゃんと読んでいないので、推測ではあるけれども、「新しい戦争」自体そのものも、経済や人の流れ的にそれなりにグローバルな現象)が起こることで、国家の解体が加速してしまう・・・こういうことでしょう。

逆に言えば、恩恵を受けているにしろ、搾取される側になってしまったにしろ、グローバリゼーションから逃れている国というのはほぼないわけで、そういう意味では、「新しい戦争」の危機というか機会、それそのものは、ほぼ全ての国に均等に与えられていると言えそうです。ならば、なぜそれに耐え切れる(耐えている)国がある一方、耐えきれない国があるのか?それは元々の国力の違いと言い切れるのか?他に例えば地理的な要因(まぁ、それも地政学的には国力と言えるでしょうけど)等あるのか?

もしくは、今言ったように純粋に「グローバリゼーション」という現象の影響度だけではなく、やはりその「恩恵か搾取か」の差もあるのかもしれない。ただ、いわゆる途上国でも恩恵を受けている人は受けているし、先進国でも世界水準の低賃金と戦わなくてはならない貧民層もいるわけで、これまた一概に「こうだ!」という決め打ちにはならないのである。

そもそも「新しい戦争」によって、国家がなくなったという事例はあるのだろうか?柄谷行人やらカントを読めば、また何かがつかめるかもしれない・・・そういう内容の本だと考えてます、今のところ。

 

■お札に主張

1000円札に「廃止させよう!消費税」のスタンプ…紙幣使った政治主張に「迷惑」「やめてほしい」  痛いニュース

お金は天下の回りもの。だが、ではその価値を保証しているのは誰なのか?原価幾らかは忘れてしまったが、1000円札そのものに1000円の価値はないんである。金塊じゃないんだから。1000円札の価値は「それが1000円の価値があるという信用」によって、初めて生み出されるものなわけで、そしてその信用は「国家が通貨を管理しているという信用」により、裏打ちされているのだ。それでは、この行為はどう捉えれば良いのか?お店側では使えないと判断している。ので、これは確実に1000円札ではない。1000円として使えないのだから、1000円札の印字がされた紙切れに過ぎなくなるのである。

消費税について主義主張があるのはわかる。個人的には「8%だなんて中途半端な数にして・・・上げるなら、計算しやすいようにあげてくれ!」としょうもない感想しか持ってないですが、そんな私でも「明日から20%です」と言われれば、おサイフが一気に軽くなるのは想像できるから、嫌だ。しかし、だからと言って、人々の信用で成り立っているもの、しかも国家による天下の回りものを、価値なきものにしてよいのか?1枚2枚ならば見逃されるかもしれない。でももし何万枚もやられたら?国家は許すのだろうか?

先の「新しい戦争」にしても、仕掛けた側は兎も角、国家が参加しているのであれば、それは国家にとってその戦争は自身の存続に関わるからに他ならない。そこで勝たなければ、非国家集団に自らの地位と権力を奪われてしまう。 [1] … Continue readingもし、戦争によらずとも国家の信用を傷つけるならば、民主主義国家、専制国家等、国家体制によって許容範囲に差はあれど、必ず国家は鉄槌を下すだろうと思っています。

 

References

References
1 そもそも国家とはなんぞや?国家の主体はどこにあるのか?については、多分本書かないといけないトピックなので、ここでは見て見ぬ振りします。

中東情勢について単なる所感

サウジアラビアでシーア派イマームも処刑したニュースだけでは、実はそう驚かなかった。イランでサウジアラビアの大使館が燃えているニュースをみて「これはやばいかも」と思った。そして今、国交断絶に至って「本気でマズイのでは・・・」と考えています。

サウジアラビアとイランの関係については、

・スンニ派vsシーア派

・(上に絡んで)シリア内戦における立ち位置

・バックについてる国(アメリカvsロシア、中国)

等々、多重構造になっているから、ややこしい。しかもどの階層においても、そう簡単に合意できるものではないから更に、だ。宗派間の争いは何よりも根深いし、シリア内戦についても昨日今日の話ではない。バックについている国同士の対立も根が深いが、この階層において特段難しいのが、「アメリカはどちらを取るか?」という問題で、最近ちょっと仲良くなってきたイランか、それとも長年の同盟国のサウジか。核の問題(すなわちイスラエルの安全保障に直結する)やシリア内戦の沈静化=イランを取るかどうか?ボールはアメリカの手の中にある。サウジ国内政策についても、見て見ぬ振りをしてきたけれども、いい加減「(欧米の価値観に照らしわせて)これでよいのか?この国を支援し続けて良いのか?サウジアラビアのワッハーブ派は何よりも原理主義的ではないのか?」と声が上がってもおかしくないし。というか、アルカイダやISの(ある意味、悪い)おかげで、サウジアラビアの同盟国としての是非が今後揺らいでいくかもしれない。(でも経済的な理由により、揺らがないかもしれない。この辺も不安定要素ですね。)きっと今頃、オバマ大統領は「そんなボールはいらない」と頭を抱えているだろう。ただでさえ、外交下手くそって言われているのにね。

ちなみに、2カ国のみでもこんなに多重構造なのに、中東全域に視野を広げると

・IS問題(テロ活動を含む)

・宗派問題

・シリア内戦問題(シリアとイラクの今後の体制についての問題も含む)

・イスラエル、パレスチナ問題

といった、もう大御所レベルの問題がゴロゴロしている上に、実はアフリカにもイスラム過激派に伴う問題というのが長らくあるわけで、本当に解決の糸口ってあるんだろうか・・・と思わざるを得ませんね。私が生きている間にそれなりに平和になれば良いのだけど。

というわけで、あまり知識のない中東の歴史を勉強すべく「アラブ500年史」を地道に読んでます。