Archive for the ‘国際関係と歴史’ Category.

ルトワック「日本4.0」

日本が戦略上手って褒められちゃった!わーいわーい!

って、素直に喜べた?私は喜べなかった。だってルトワックに「今後の日本の取るべき方針のひとつが脱少子化」って言われたら、30半ば独身で、もちろん子供もいない身としては、肩身が狭いどころではない。いやぁ、わかってるんですよ、それは。産めよ増やせよ、国のためを考えるならば大事です。でも、子供に先立つステップに手間取ってまして・・・ははは・・・ハハハ・・・

さて、真面目に話をすると、本書はエドワード・ルトワック&奥山真司ペアによる文春新書シリーズの最新刊で、主に日本の取るべき戦略を話題にしている。9章あるうちの第5章までは直接日本に関わる事で、第6章、第7章がルトワックの言う「ポスト・ヒロイック・ウォー」の話、残りの2章が「地経学」の話になっている。後半4章については、昔の論文を核に、1章解説章を付け足した体裁になっており、ぶっちゃけ論文の章は読みにくい。 [1]単に私の脳みそが追いついていないだけ、とも言える。

日本についての章では、北朝鮮の非核化についても触れられているのだが、一番感じたのが「ルトワック、あなた、本当に韓国のことが嫌いなのね・・・」ということ。前にも講演で「自分が提案した案を韓国は無視して、未だ北朝鮮に対して脆弱性を晒している」と言っていたが、今回は「韓国は無視しろ」ときた。自分の意見を無視された恨みだけで、ここまでけちょんけちょんに言うはずもないだろうから、世界的な戦略家に韓国の動きはよっぽど眼に余るのだろう。いや、まぁ、ずっと根に持ってそうな気もするが・・・朝鮮半島問題に関して言えば、北朝鮮が中国のコントロール下になれば、それはすなわち、韓国も同様になるだろうということで、ルトワック的には、北朝鮮の方が半島の独立を担保していることになる。同じ文脈で米軍は北朝鮮の非核化を達成しても半島から在韓米軍を撤退させることはないと言う。それは、対中国へのアメリカのポジションだ、とのことだが、本当に中国だけだろうか?日本はかつて朝鮮半島を足がかりに、大陸の方へ足を伸ばしたが、そもそもあの半島は中国やロシアが海の方へ広がるためにも重要である。アメリカはあの地を楔としてみているのではないか?あそこにアメリカの楔がある限り、日本も中国もロシアも動けない。

さて、とりあえずそんな半島情勢に対して日本のあるべき姿として、日本は「作戦実行」のメンタリティを持つべきだというのがルトワックの意見。それはつまり「先制攻撃」であるが、「脅してくる国に対して、脅しの道具(ミサイルとか)を先に潰すのはむしろ防御だろう」とのこと。この辺は、ルトワックは日本人の内在的論理を掴みきれていないのかもしれない。原理はそうであっても感情が許さないことが多いのだ・・・とは言え、国土防衛のやる気とその能力を保持することには異存はない。演習論についても全面同意。人間、超えてきた修羅場の数でだいぶ違う。本当に違う。ビジネスの世界でも全然違う!!最近身をもってそのことを知った。修羅場をくぐり抜けてきた人の方が確実に次の修羅場をくぐり抜ける知恵がある。と言うわけで、なんかめっちゃ偉い人たちは嫌がりそうだけど、一回自衛隊はルトワックの提言通り、しっちゃかめっちゃかな演習をやってみればいいと思う。もし、最初から人員と装備を使うのにためらいがあるのであれば、シミュレーションでもいいからさ。そんな自衛隊にお手本としてオススメなのがイスラエルらしい。アメリカとは違って、特殊部隊がちゃんと特殊部隊をしているとのこと。イスラエル、前にもどこかでオススメされてたな・・・大々的には難しいだろうが、こっそり勉強しに行くにはいいかもね。

前半についてはだいたいこんな感じです。後半については、もうちょっと頭の整理が必要なのでまた次の機会に。

References

References
1 単に私の脳みそが追いついていないだけ、とも言える。

エアシーバトルvsオフショアコントロール

3週間ほど前の勉強会のために、資料を読み色々考えたのに、その後まとめもせず卵を温めてしまった。温めすぎで雛が孵りそうなので、覚悟を決めて纏めます。

さて、勉強会のテーマはタイトルの通りで「対中国アプローチはどちらが望ましいか?」と敢えて、この2つの立場に絞って議論した。私の考えは以下の通り。それぞれ定義とか、メジャーな議論はほっぽり投げて、あくまで私の意見を羅列しただけなので、悪しからず。

 

■エアシーバトル

  • 問題点としては、海空(空海?)での戦いがメインとなるため、お金が掛かるということ。
  • また一度、米軍がグアムあたりまで後退する可能性もあるため、日本(の米軍基地とおそらく自衛隊駐屯地、基地)は間違いなく巻き込まれる。
  • そもそも海軍(海自)、空軍(空自)、(陸軍、陸自)、政府間で統合作戦を行う能力があるのか?これはアメリカ軍でも、日本の自衛隊でも同じ。本当に出来るのか??
  • ミサイル基地および通信基地を叩くという、本土攻撃込みのため、全面戦争になる。
  • 相手方のミサイルを脅威がないレベルまで破壊できたとの担保は、いかに行えるのか?
  • 核と通常兵器の線引きをどうするのか?(攻撃対象としても、攻撃手法としても)

 

■オフショアコントロール

  • 問題点は時間がかかる。効果が出る前に、反撃にあう可能性が高い。反撃にあった時、こちらも更に反撃するのであれば、それは結局エアシーバトルになるのでは?
  • 本国が離れているアメリカならいざ知らず、日本は近い。インド洋など、中国から離れた地点で紛争が発生したとしても、米国の同盟国日本は、残念ながら中国本土から近く、その距離は決して変えられない。
  • 経済的に中国を封じ込めたとしても、その影響は中国だけで済むのか?現在、どれだけの製品がmade in Chinaなのか。
  • 多国間同盟が前提になるだろうが、その場合どれくらい強度な同盟を維持できるのか?中国に影響が出るまで、時間がかかる中で、全ての同盟国がぐらつかず、足並みを揃えられるだろうか?

 

結局、この2つの立場って「vs」にはならないんですよね。エアシーバトルは中国が先に手出しをする前提、逆にオフショアコントロールはこちらが先の前提。 [1] … Continue readingそういう意味では、こちらの「お前は一線を超えた。許さん」という意志を、ミサイルぶっ込むよりは穏便なオフショアコントロールというやり方で、見せた方がマシなのかもしれない。ただし、そういう風に経済的に締め付けられて、ハワイに奇襲攻撃をかけた国もあるので、戦争の抑止にはなるまい。

 

■その他

  • ソフトパワーはアメリカの得意とするところ。youtubeなどを通して、民主主義や親アメリカ、親日本の価値を、中国国民に植え付けることが出来れば、少なくとも戦争する気は下がるのではないか?
  • とはいえ、中国の拡大政策は、共産党政権の正統性に利用されているとは言え、厳密には「党のイデオロギー」とは関係なく、中国の国としての経済的、愛国心的要求である。なので、民主主義を植え付けたところで、変わらない可能性もある。(多少鈍化はするでしょうけど。)
  • 共産党政府高官子息、上流階級 [2]共産主義国家のはずなのに、上流階級とは笑える。子女の多くが、アメリカやカナダに留学や在住している。彼らに対して工作できないか?
  • ロシアを外交的に味方につけられないか?インドとともに、中国の視点を内(陸)に向けさせるために。どちらも国境線は長く、紛争の経験もある。ただし、ロシアのウクライナへの態度を承認してはマズイ。中国への「併合オッケー!」という間違ったメッセージになる可能性が高いため。

 

ここで考えたいのが、ルトワックの言う「中国は他国を理解できていない」ということ。「できていない」のか「しようとしていない」のか。なぜ、中国は国際法や通例を無視できるのか?地理的にも歴史的にも、領有権を主張しようがない島嶼について、自分たちのものだと一体どうして言えるのだろう?国際法を守っている国を蔑ろにして、その国が怒り、反中国と化すとは思わないのだろうか?

もちろん中国が我々を理解できないのと同じように、我々も中国を理解できていない。中国がここまで海洋政策にアグレッシブで、軍事的能力を高めようとしているのは何ゆえか?単純に領土への欲求か?水不足だから綺麗な水の流れる日本を手に入れよう!とか?そんな併合、いまの世界で許されるのだろうか、と言いたいが、残念ながらロシアが実証済み。貿易、経済的な要求は間違いなくあるだろう。シーレーンや海底資源を軍事力で守る、奪うのが動機というのは想像しやすい。とは言え、やり過ぎると近隣諸国にまとめて包囲網を作られる可能性もあるわけで、これはどちらかと言えば、どこまで軍事力を拡大しても許されるか、今は試している状態なのかもしれない。また、共産党中国では、国内の不満を他国との紛争で誤魔化すというのもありがちなパターンと言える。誰だって、外に悪者がいれば、自分の身内には甘くなるものなのだ。ついでに、中国の唱える「超限戦」とは、端的に言えば、無差別の総力戦であり、西洋も日本も二度の大戦で懲り懲りだと思っているのに [3]正直アメリカは別だと思っている。あの国は別に懲りていない。、中国自身も無傷ではなかったのに、これを明言できるのは、なぜだろう?この「なりふり構わなさ」の源泉はどこにあるのだろう?歴史なのか国民性なのか、それとも「敢えて」なのか。一体何が中国の望みなのか、想像の世界ではなく、はっきりとこちらも認識しなければ、落とし所もわかるまい。

では、逆に我々は中国に何を望んでいるのか?今の中国の何が気に食わないのか?非共産化というのは安易な考えで、ソ連からロシアに変わった、かの国をみる限り、あまり有り難みのない状態と言える。海洋進出の阻止というのは、間違いなく我々の望むことのひとつだろう。その中でも、海洋資源(石油、ガス、レアメタルだけではなく、魚やサンゴなども)の独占、乱獲については、明確に線引きできるのではないか。ただ、なんせ国と国とが近いので、お互いの権益が重なり合う地域も多い。そういう場合に中国に望むのが、国際法の遵守である。国際法でなくとも、他国と取り交わした約束は守る。その態度があれば、話し合いで解決する余地があるわけだ。その他、環境保全だとかも望むところだし、戦争になって中国からの難民が押し寄せるというパターンは日本も、国境を接するロシアやインドも御免被りたいだろうから、それもこちらの望みと言える。結局「礼儀正しい大国であれば良い」というのが本当のところではなかろうか?歴史上の恨みつらみは簡単に消えるものではないし、消えていいものでもない。だが、それを乗り越えて一緒に国際秩序を守れれば良いのだ。

とはいえ、中国の真意がわからない上に軍事的拡大が続いている状態での、宥和政策はよろしくない。それでは単にミュンヘン会議の二の舞になってしまう。というわけで、軍事的な手法に頼る前に、まずは「これ以上は許さない。法を守れ」と意志を明確に、間違えたり別の解釈をしないように、中国に伝えることが一番最初にやることで、その上で現在の中国の戦力をきちんと分析し、いざとなった時(中国と戦うという決意をしたのならばの話だが)戦える準備をしておけば良いのではないか。「遺憾の意」ではなく、「今度小笠原のサンゴをとったら、ゴジラけしかけるぞ」くらい言えばいいのだ。

最後に夢も希望もない話になるが、結局ある集団がおとなしくなるのは、疲れ切った時なのだ。国際社会では、戦争で疲れ切った国はしばらく平和を求める。ただ、これを素直に中国に当てはめるのは、隣国としてありがたくないシナリオである。元気(でルールを守る)中国が一番なのかもしれない。


■追記■

大事なことを忘れていた。対中国について考えるとき、参考になるのはキューバ危機だと思う。あれも、最初は空爆(&侵攻)か海上封鎖かの議論だったし、大国間の意志や目的の読み間違い、と同時に意志を見せる重要性に学ぶところが多いのではないか。

軍事行動を支持する者からすると、海上封鎖は軍事作戦を遂行する過程で当然実施されるはずだと考えられたのである。このため、本当の選択肢は以下の二つであった。ほかの軍事行動を控えた上で海上封鎖を行なってフルシチョフに撤退に応じる機会を与えるか、事前通告なしで攻撃を行うかである。(P111 「キューバ危機 ミラー・イメージングの罠」ドン・マントン デイヴィット・A・ウェルチ)

References

References
1 特に「オフショアコントロールはこちらが先」と定義されているわけでもなさそうだが、常識的に考えて、中国からミサイルが飛んできていたり、サイバー攻撃されてる中で呑気にバリケードもあるまい。またエアシーバトルでこちらが先に仕掛けるというのは、こちらが奇襲攻撃をかけることになり、国際社会上、それは出来ないと思われる。
2 共産主義国家のはずなのに、上流階級とは笑える。
3 正直アメリカは別だと思っている。あの国は別に懲りていない。

「ヒトラー 権力の本質」

ヒトラー絡みの本はこれにて一旦終了。 [1] … Continue reading今回、映画から始まった一連の流れの最後にふさわしい本だった、と我ながら思う。

内容としては書名そのままなんだが、大事なポイントとして、ヒトラーの権力は「カリスマ支配」によるものであるということ。つまり、

  • 諸々の政府機関がヒトラーにしか向いておらず、その意義をなくしていった。本来あるべき(ヒトラーを通さない)横のつながりがなくなってしまった。
  • カリスマ性を担保するために、次から次へと博打を打たざるを得なかった自己破壊的な権力であった。

という2点に集約出来て、この点にこそ問題があった、と。ふむふむ、なるほど。となると、次に興味深いのは「国家(官僚、役所)というものはそんなに簡単に骨抜きになるものか?」ということで、確か佐藤優の「国家論」によると「国家には自己保存の力が働く」はず。ならば、なぜナチスはここまで国家の仕組みを破壊できたのだ?実際、日本やイタリアでもここまでには至っていない。ヒトラーが国家にとって外敵であるうちに潰しにかかることや、一旦内に取り込んだとしても「異物」として吐き出すことも出来ただろうに、それはされなかった。国家に意思を持たせるようで趣味じゃないんだけれども、「なぜ国家がヒトラーを受け入れたか」という点は、それはそれで興味深い。この「なぜ」に答えられない限り、また世界のどこかで同じことが起こるだろう。それを防ぐには、やっぱり国民一人ひとりが深く考えなければならず、自分の将来に対する期待を安易に人に託してはいけないのだ。

 

References

References
1 同じくイアン・カーショーによるヒトラー伝の下巻については、1100ページもあるし、通勤中の読書には物理的に難しそうなので、GWに実家で読みます。

絶対悪とかそういうものについて(ヒトラー・ドイツから)

映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」をAmazonプライムで観てから、私の中で何度目かわからないナチス・ドイツに関する読書がマイブームになっている。映画自体は長いし、誰が誰だかわかりにくいので、一旦観て、原作を読んで、もう一回飛ばしながら興味深いところだけを見る必要があるが、よくまあ、あれだけのクオリティーで作ったな、というのが正直な感想。おかげさまで、国防軍の制服とSSの制服が見分けられるようになりました。今まで、区別つかなかったんです。後、一部SS将校や医師たちについて、好意的とも言えるキャラ付けをしているので、実際の地下壕での言動はともかく、それ以前の戦地等での行動を無視して「いい人じゃん」という認識を持つ人も多いのではないか? [1]モーンケなど特にその辺はドイツでも賛否両論あったらしいが、本当に要注意。

    

さて、今のところ読んだのは、映画の底本になった「ヒトラー 最期の12日間」「私はヒトラーの秘書だった」と、「ヒトラーの死を見とどけた男 地下壕最期の生き残りの証言」であり、この後はもう少し踏み込んでナチス・ドイツ史大家 [2]イアン・カーショーアントニー・ビーヴァーなど。どれも分厚くて二の足どころか十の足を踏むレベルなんですが・・・の本に手を出す予定。

で、なぜもこう私がヒトラーやナチス・ドイツ、更にはスターリンや毛沢東に興味があるかといえば、「人はどこまで悪しき存在になれるのか?」という点に尽きる。ヒトラーは「絶対悪」なのだろうか?ヒトラーは身近な人には親切だったという描写も読んだ本にはある。 [3]顕著なのは「私はヒトラーの秘書だった」だとしたら、その優しさや気遣いは絶対悪のなかのどこを占めるのだろう?ヒトラーでなくともナチス高官やSS将校達は?自身の家族に対する優しさと、戦場や強制収容所での行動の乖離は何故なのだろう?それがわからない限り、人がどこから悪しき存在になるのか、わからない。要は自分自身も何かのきっかけで、そっちに足を踏み入れるのではないか?という恐れがあるんだな、私は。陳腐な悪と日常を線引くものはどこにあるのか・・・ヒトラーやアイヒマンを我々は絶対の善の立場から断罪できるのか?では、抑圧された他者に無関心だったナチス・ドイツ国民については?もし「あの頃のドイツ国民も罪人だ」と言うならば、現在のシリアの状況を知りながら何もしない多くの人間も罪人だろう。実は知っているのに放置している、その自覚がないのは許されるのだろうか? [4]何に?こうなると、ハンナ・アーレントを本格的に読み込まないとダメだなーと思ってる。

ちなみに、これは完全に余談だけれども、個人的にはスターリンの方が人としての優しさ部分がより少なく感じる。もちろん、それは単にスターリンに関する資料や証言が秘匿されていたり、純粋に少ないせいなのかもしれない。ただ、ヒトラー関連の本や日本昭和史を読む限り、スターリンのやり手っぷりが半端ない。ロシアの気質なのかはわからないが、ルトワックのいう「ロシア人は戦略が得意」というのは、本当だと思う。

 

References

References
1 モーンケなど特に
2 イアン・カーショーアントニー・ビーヴァーなど。どれも分厚くて二の足どころか十の足を踏むレベルなんですが・・・
3 顕著なのは「私はヒトラーの秘書だった」
4 何に?

佐藤優おすすめ本よりずっと面白かった本

こちらの本、昨日読み終わったのですが、とっても面白かったです。基本的には筆者が陸大卒業後、お父上(おなじく軍人)や将軍たちから薫陶をうけた話、大本営参謀になり情報に関わり始めてから戦場で学んだこと、山下兵団の話、そして戦後の自衛隊勤務のときの話・・・と、ほぼ時系列に語られてるんですが、貫いている主張は一つ。「情報大事!」本当にこれ。もうひとつ言えば、戦場における高度の重要性。こちらは父親がもともと航空系だったのもあるかもしれない。その他印象に残った点は以下の通り。

  • アメリカはどうも大正の頃から日本との戦争を視野に入れて、太平洋での戦いを研究、準備していた。 [1] … Continue reading
  • 日本は大陸での戦い方に慣れており、そこでの敵は精神論で勝てたが、アメリカの「鉄量」相手には同じようにいかないことを、特に戦場から離れた大本営が理解していなかった。
  • 日本は太平洋上で文字通り「点(島)」を抑えたが、それは攻者が圧倒的に有利になることを、理解していなかった。※攻める場所を選択できるため。
  • 同じ島内でも各陣地がジャングル等で「点」になっていた。
  • アメリカの戦法は「1制空権の確保。これは滑走路のある島を飛び飛びにおさえていった。2侵攻予定地の補給を断つ。(フィリピンの場合は台湾など)3侵略予定地近くの小島を占拠4艦砲射撃&航空爆撃による事前砲撃5上陸」という手順。これに対して日本軍は1制空権の重要性が最後までわかっていなかった。
  • 逆にアメリカ軍は山が苦手。なので、山にこもって持久戦を仕掛けた戦いは最終的に負けたとはいえ、長らく持ちこたえた。(硫黄島、ペリリューなど)
  • フィリピンは島の大きさ的にも艦砲射撃が島内部には届かず、木々も濃く、持久戦にもってこいの環境であったのに、台湾沖空戦の誤った戦果を鵜呑みにした大本営の指示で、レイテに戦力を割かざるを得なかった。
  • B29のコールサインを調査して防空に生かしていたが、そのなかでホノルル出発後ワシントン向けに長文電報を発信したり、新しいコールサイン(それ以前は飛ばされていた600番台)を利用していたり、日本近海まできてはテニアンに戻るといったことを繰り返したり・・・という部隊を捕捉したが、その部隊と、原爆を最後まで結びつけることができなかった。もし在米諜報網が健在していたら(=在米日本人が強制収容所に収容されていなかったら)、事前に判明できただろう。

結局、「より高い地点を握ったものが勝つ」という戦場の教えを日本軍は理解できておらず、アメリカ軍が高さも込みの3次元的空間の見方をしていたのに対し、日本軍は地図の平面上でしか考えられていなかった、そのため「高さを支配するのに必要な点」をアメリカ軍は選んで侵攻したが、日本軍は誇大戦果報告もあり、誤った選択をし続けた・・・と言うことでしょうか。

また、情報観点からすれば、複数筋の情報が交差したところからしか本当の情報は出て来ない、一つの出処だけから情報を判断するのは危険だ、というのも、この本からの教訓だと思います。Amazonの評価など見ていると、「内容に誤りあり。信用すべからず!」と詳細に指摘しているものもありますが、それこそ情報の扱いの大原則の繰り返しで、我々は「2線3線の情報筋(この場合は別の本)と比較考慮して、判断せねばならない」ということ。本書の意図がその大原則を伝えることを考えれば、内容の正誤は兎も角、一読の価値はあるかと。原則だからこそ、佐藤優勧めるCIAの本↓なんかより、ずっと役にたつと思います。

 

References

References
1 これは、私の留学時代、ウィルソン大統領の書簡で日本がらみの部分をほぼ全てさらったときにも「アメリカは意外と早くから対日戦争を考えていたな」と驚いた記憶があるので、間違いなさそう。

嫌になる程読みにくい本だった

ほっんとーーーーに、読みにくい本でした。なんで?なんでこんなに読みにくいの??「原著がそもそも読みにくい」「訳がイカン」「編集が仕事していない」さぁ、どれだ?きっと全部だ!!

とまぁ、とにかく読みにくかったんですが、内容は中国海軍の拡大に対して、マハンを軸にした主に軍事的側面についての考察です。しかし、章立て自体がわかりにくいんだよな。マハンから中国による海軍戦略の概要に進み、そこで歴史的先例としてドイツの話、で今後は中国による海軍戦術の話になって、そのままミサイル(戦略)、核(戦略?戦術?)、そして、ここでなぜか、いきなり中国が鄭和を最近持ち出してる話になってから同じ章のなかでインドの反応について、その後、対するアメリカで刊行された中国海軍に対する評価に対する評価、最後にまとめ。うーむ、わかりそうでわからない。特に最初の方の章では「それ、さっきも説明してたで」と突っ込みたいことが何回かあったので、原著はもともと論文をまとめたものなのかもしれません。だったら、アメリカの編集者も仕事しろ。

さて、前の記事で自分の書いた論文と比較してみる!と息巻いてたので、その結果をお伝えしますと、まぁ、ピックアップポイントは似てるかな・・・って感じです。中国の共産党政権は国民の経済的ニーズを満たすことで政権を保持しようとしている(共産党のイデオロギーはすでに求心的ではない)、そのためシーレーン防衛が必要と認識されている。その中で列島線が設定され、(当時は)第一列島線の突破さえ怪しい状態だが、外洋、特に燃料輸入やヨーロッパとの貿易に重要なインド洋への展開しつつある。中華思想(孫子や毛沢東の思想)や歴史(鄭和)も一定の役割を果たしている・・・ここまでは一緒。

それではどこが違うかといえば、私の方は海洋資源とシーレーン貿易の経済的な部分にもう少しポイントを置いていたが、本書ではほぼ割愛されていた。これは翻訳者あとがきでも指摘されていた通り。逆に、私は潜水艦運用について触れていなかったが、本書ではミサイルとともに重点的に説明されていました。一応言い訳しておくと、潜水艦については書くつもりだったんだけど、論文の枚数オーバーで諦めたんです・・・ミサイルについては完全に思考外でしたな。

まぁ、あれです。ぶっちゃけ古い本ですし、あれから10年。すでに中国は海南島どころではなく、南シナ海を埋め立てて基地を作っちゃったりしてますし、こんな読みにくい本読むより、渡部悦和氏の「米中戦争」の方が同じ話題を同じように軍事的観点から説明してて、刊行も比較的最近ですし、日本語も読みやすく、しかも新書で薄いという点で強くお勧めします。購入したのに本の山の中に埋もれてしまって取り出す気もわかないので、数年前に読んだ記憶ベースですが、確か同じランド研究所のシナリオを扱っているので、内容的にも日本人が書いたか(日本視点か)、アメリカ人が書いたか(アメリカ視点か)くらいしか変わらないと思います。歯を食いしばって読みにくい本を読むよりは、「米中戦争」の方を私は圧倒的絶対的にお勧めします。てか、最後にもう一度愚痴らせて・・・「マハン大佐」を「マハン艦長」って、どうなの?まぁ、訳として間違ってはいない。どちらの意味もある。でも、あまりに誤訳というか意味不明すぎて、「ははーん、これはcaptainは海軍では大佐って知らなかったんだな・・・」とか勘ぐってしまったわよ。翻訳者が畑違いなのはまぁ、ビジネスの諸々もあるでしょうから許そう。編集者は仕事しろ。

 

徒然日記(核戦略に関する動きや最近の読書について)

アメリカが戦術核運用の見直し(強化)を発表して、諸々のリアクションがYahoo!トップに居座り続ける一方、アメリカ国防総省発表の「ロシアが大陸間核魚雷開発中」のニュースは一瞬で消えたり、かつて核戦略のクラスをとった身としては、興味深い状況になってます。昔のノートや課題図書を見直したくなったり。まぁ、こんな風にのんびりしたコメントを言うというのは当事者意識がないからで、それはそれで反省すべきことなんでしょうけど。

ちなみに、CNNによるロシアの核魚雷の報道を読む限り、「ロシアがやってんだから、アメリカもやってやるで」って感じで、CNNはトランプに嫌われていますが、それでもアメリカメディア。アメリカは悪くない!というのが行間からにじみ出ている。そもそも、トランプ政権はロシアとのつながりで追及されているわけで、そういうお金や政治の動きと、軍備の流れがどのようにつながっているのか、それはそれで興味深い。しかも、アメリカは北朝鮮でも中国でもなく、ロシアを名指ししている。自分だったら、このご時世、北朝鮮対策を全面に押し出すほうが無難だと思うんだけど、それでもロシアということは、水面下というか、単に我々の知らないところで相当ロシアが核兵器増強をしているんでしょう。ま、いざって時に北朝鮮で使う気があるのかもしれませんけど。

ちなみに核兵器が無くなることは、まずないと思います。それこそ、神様の魔法の杖一振りで、人類一人残らず核兵器の記憶をなくさない限り。人間は手に入れたパワーをそうそう手放さなそうとしないと思うんですよね。核に限らず、影響力とか地位とかお金とかそういうパワーも込みで。もうそれは人間の習性ではないか、と。さらに言えば、正直人類が核兵器を一切失っても、いつかまた作ると思うし、更に先まで進むと思う。人間はそう善きものではない。

と、思わず哲学的になってしまいましたが、こうやって考えていくと、やっぱり私は国際関係論(政治・軍備関連)が大好きなんだなぁ!というか、単に調べて、考えて、書くのが好きなだけかもしれませんが。昔から論文書くの大好きだったし・・・

で、最近読んでいる本は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「セカンドハンドの時代」。まぁ、分厚い本ですが・・・半分くらい読んでて、強く思うのは、「ロシア人(ソ連人)ってわからん」ということ。本当にわからない。その理由は単に私とインタビューされた人の時代の違いかもしれないし、育ったイデオロギーの違いかもしれないけれど、本当にわからない。まだプーチン時代パートに入っていないのも理由かも。まず、愛について語る人の多いこと!これはインタビュー側の訊いた内容が書かれていないので、実は「愛について語ってほしい」とお願いされていただけかもしれないけれどね。これはロシア人の特性か、それとも究極的状況で出現する人間の特性か。それから、あまりに多数の視点から、個々の体験と考えが披露されていることも、「わからない」の原因。一体ロシア人は共産主義やスターリンを懐かしんでいるのか、どうか・・・結局この本は、「ロシア人ってこんななの」という先入観を持つのを拒絶するように書かれているのでしょうね。

 

佐藤優がルトワックと同じこと言ってる!

  

明日、図書館に返したいと思い、必死に読んでて「おぉ!」と思った箇所。P241。

半藤「中東はなんとか収まらないものでしょうか。」

佐藤「お互いに疲れ切るまで殺し合いをしないと、どうにもならないかもしれません。(中略)ある程度殺し合って、もうこれ以上死者は出したくないと双方が心底思い、殺し合った当事者同士が交渉するしかないのではないでしょうか。それ以外の国際社会や関係のない人たちが介入すると、事態が一層複雑になる。」

この後、半藤一利も、日本が戦争を止めたのは昭和20年に入って、死者が増えてから(空襲や沖縄戦や原爆)、とこの論に理解を示しています。アメリカからしても、日本と死者数に関する許容量が違うこともあっただろうし、勝ち戦とはいえ、硫黄島、沖縄戦の流れで本土決戦はしたくなかったはず。やはり、第二次世界大戦は「戦い尽くして終わった」から、その後の占領や講和も、その良し悪しはおいておいて、それなりにスムーズに進んだのだと思います。

となると、問題は戦争を止めるラインがどこにあるのか見えない中で、いつまで周りが許容できるか?ということに。戦いの限りを尽くして、その後の安定を望むか、国際社会が関与して、細く長く流血の道を選ぶか、究極の二択になりそうです。

 

昭和は続くよ、どこまでも。

    

相変わらず昭和史(主に前半)を読みすすめております。記憶力がないので、未だに石原莞爾と武藤章の関係をスラスラ言えるほどではないけれど、読めば「そうそう」と言えることくらいには、わかってきた(つもり)。その流れで、数年間見て見ぬ振りしていたアントニー・ビーヴァーの第二次世界大戦(白水社の分厚いの3冊)に手を出すことも確定。新年早々、大物に手を出すことになり、打ち震えていたりします。 [1] … Continue reading余談ですが、白水社はどうして、ああも私の好みにドンピシャな(お値段高めの)歴史本ばかり出すんでしょうか?きっと私を破産させようとしているエージェントの回し者に違いない。そんな白水社のページはこちらから。

さて、白水社ではないけれども直近読んだ本の感想をパラパラと。まずは、対談本について。戦中の記憶ある半藤一利と、戦後生まれの宮部みゆきが、お互い10個ずつ昭和史上の事件をピックアップして、そのリストを元に語り合う・・・という内容なんですが、結構話がそれる。でもそれが面白かったりする、そんな本です。そんな中でなるほどなーと思ったのが、東京裁判のくだり。最初は色々な罪状があったけれども、裁判が進んで調べていくうちに、ドイツでの裁判のように「こいつが絶対的に悪い!」といえなくなってしまった。アメリカ人からすれば「???」かもしれないけれど、結局「その時の空気がそうだった」、だから「人が変わってもその流れで進んでしまった」という感じで、戦争に進んだんだと思います。個人というより集団、組織としての罪、というか。ある意味、陸軍悪玉説が一般的になって、組織として裁かれたとも言えなくはないけれども、再発防止はしにくい。いま、半藤一利と佐藤優の対談本を読んでいるところですが、戦前・戦中の陸海軍、官僚、政治家の悪いところは、現在にも引き継がれている気がします。戦争後も、戦中からの組織を引き継いでいるんだから、当たり前といえば当たり前だけど。でも、その空気をぶち壊すには、強烈な個人が必要なわけで、それはそれで問題・・・強烈な個性の先にヒトラーがいたわけですから。国でも、官僚でも、軍隊でも、会社の中でも、組織って一度生まれると、よっぽどのことがない限り、なぜか生き残ろうとする力が働くんですよね。人間ではないし、組織自体は概念でしかないのに、謎。

ちなみに、この本で「ゴジラ」が取り上げられていたので、初めて見てみたんですが、現代技術に毒されてしまった私は「声が聞き取りにくい」「白黒ではっきり見えない」「演技がちょっとわざとらしい」というのが気になって、当時の人が感じたような「怖さ」とかは正直よくわからなかった。むしろ、「ははぁ、シンゴジラのあのシーンはこれをオマージュしているんだな」とか「このシーンはむしろ平成ガメラのあのシーンだな」とか、オタクな見方しちゃってました。それでも、映画の中に「多分当時の人は戦争(原爆)を思い出すんだろうな」とか、感じたシーンが幾つかあったりして、まぁ、まだ時間があるので、後でもう一回見てみます。

そして、次の本。「陸軍良識派の研究」は、「そもそも良識派ってなんやねん」というところから出発しているし、読者から一番突っ込まれる部分だとは思うんですが、しつこく説明しつつ、保坂正康氏が考える良識派軍人を個別に取り上げた本です。知っている名前もあれば初耳な名前もあるんですが、一番興味深かったのが「堀栄三」の章。在日ドイツ駐在武官の示唆で情報に興味を持ち、最終的に飛び石作戦の戦略(まぁ、もう少し広い目で見れば、戦術かもしれない)も、フィリピンの山下奉文に提案した「米軍は山が嫌い」という戦術(作戦?)まで、なんと幅広く正しく物事を捉えていたのだろうか。幸い、著作があるので、早速取り寄せてみました。また読んだらここに書きます。

 

 

References

References
1 その前にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのユートピアシリーズ最後の本と、「太平洋の赤い星」という中国海軍の本もドドーンと待っている・・・読み終わるのか?これは。

やる気満々だったスターリン

633ページの単行本、しかもこの表紙。おそらく京極堂シリーズ同様「角で殴れば人を殺れる本」に認定して問題ないと思うのですが、以外とサクサクと読めました。注釈と参考資料と合間あいまに挟まれる命令書等の日本語訳を全部読み飛ばしたからね!!いや、知識というか理解のためには読んだ方がいいことはわかってる。実際読み進めようとした。でも、注釈はいいにしても、間に差し込まれるそのタイミングが本文の流れとなんだかちょっとだけズレていて、とても読みにくい。写真の挿入も1〜2ページくらいズレているような・・・ということで、飛ばして読んだら多分300〜400ページくらいしか実質なかったと思うの。

と、本に対する文句から始まったけれども、こちらの本も私の既存認識を覆す内容でなかなかおもしろかった。開戦までの話なので、大きく「不可侵条約締結まで」「ポーランド侵攻前後」「バルバロッサ作戦まで」の3つに分けられるんだけど、概要をざっと箇条書きにすると以下の通り。

  • 前提として、独ソはそれぞれ相手のイデオロギーを信用できていない。
  • ソ連は当初英仏に接近しようともしていたが、ソ連が英仏と手を結んだ場合、ドイツはポーランドを諦め、英仏との和解の道を選ぶかもしれない。それよりはむしろ、ドイツと手を結んで、ポーランド占領を成し遂げた上で、ドイツと英仏を長く戦争させ、その両方の陣営が疲弊させるほうが、ソ連としては利益が大きい。
  • ヒトラーとしてはソ連も同時にポーランド侵攻して欲しかったが、スターリンは、タイミングを少し遅らせた上にポーランド領内の白ロシア人とウクライナ人保護を名目にした。
  • ドイツが西方攻勢をかけるかどうか悩んでいる間に、スターリンはバルト諸国やフィンランドに手を伸ばした。(で、フィンランドではスターリンは恥をかくことになった。)
  • スターリンはその後、ドイツに打って出るつもりで、攻撃部隊の準備を進めていたが、結局ヒトラーが先手を打ったため、防御体制が整っていない(攻撃体制構築中の前線の)部隊は、ドイツに蹴散らされてしまった。

ざっとこんな感じかな。その他さらりと述べられていた点としては、ソ連は1940年には極東での戦争を企てていた可能性があることも。

この本を読んでつくづく感じたのが、いかに日露戦争の勝利が奇跡だったか、ということ。領土も資源もある大国を相手に、局地戦で勝ちきって、とっとと講和に持ち込んだ当時の日本のその潔さも天晴れだけど、その時のロシアにスターリンもプーチンもいなかったことはなんと幸運だったのだろう!スターリンいたら勝てなかったよ、ほんと。

そして、もう一つ。戦前日本(今も?)のダメなところとして、アメリカとの国力差など、見たくない現実を見ないふりしていた点があると思うのだけれども、現実を見ないのはドイツ軍も一緒でした。ソ連との物量差に目をつぶり、まだ平和の時に行われたソ連の軍事使節団にⅣ型戦車が最新だよ!と言っても信じてもらえない様子を見れば、ソ連はもっと良い戦車を保有していることに十分気がつけたはず。もちろん、「見たくない現実を見ないふり」しようとしたのはスターリンも同じ。「ドイツは42年にソ連に侵攻してこようとするはずだ」「であれば、ソ連は41年にドイツに侵攻して先手を取る」というアイデアに執着したために、ソ連はドイツに対して「防衛」の準備が間に合わなかった。でも、ドイツが先に仕掛けたおかげで、「大祖国戦争」という防衛戦争としての面目が国内外に保てたので、そのまま戦後うまい具合に戦勝国として、東ヨーロッパにおける影響力を保てた・・・と。

ほんとスターリンは怖い。国際社会上の規定なんぞ大して守る気もないのに [1]守ってたらシベリア抑留とかないぞ、国際社会上の規定を盾にして自分の言い分を通しているのだから。歴史上、ここまでやりたいことをやりきった人は他にいるんだろうか?少なくとも近代以降はいなさそう。ポスト・スターリンが出ないことを祈るばかりです。

References

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1 守ってたらシベリア抑留とかないぞ