仕事に必要なのは想像力と応用力ではないか?

タイトルそのままなのだが、最近良くそう思う。想像力については「相手の持っていない情報はなんだろうか?」「相手がそのあと作業を進めるにあたって必要なことはなんだろうか?」あと、いささか情けない内容だが「これ、相手に言ったらキレるだろうな〜」など。相手の立場を想像して、そこから「じゃあこうすればスムーズね」というのを考えることができない人が多いなと思う。応用力についても、「普段やっているAという作業とBという作業、それを組み合わせるとCという作業ができる」という、その飛躍というか、止揚といったら言い過ぎか?兎に角、作業の応用・発展ができないのだ。

応用力の方について、根本原因の当たりはついている。恐らく「その業務の意味合い」がわかっていないからなのだ。この工程はこういう目的でやっています。このシステムはこういうロジックで動いています。そこを理解していないから、やっている作業が単なる手癖な状態になっており、そこに一切の思考が存在しない。つまり、業務の意味合いを教えれば自分で考えて次に進めるはずなのだが、ここでまたもや想像力が立ちはだかる。「AとBを組み合わせたらCになるのではないか?」という仮説が作れない、すなわち想像できない。そして、私は「想像できないというのを想像できない」でいるのだ。あぁ、ドン詰まり。

美輪明宏が確か「乙女の教室」で書いていたと思うが、想像力には詩をよむが有効らしい。短い言葉で情景・心情を捉えるには想像力が必要だから、と。個人的には、センター試験の国語も有効では?と思うがどうだろう。とはいえ、いきなり赤本を渡してやれといっても、相手がキレるだろうというくらいの想像力は、私にもある。仕事における想像力そのものの育成の仕方が全くわからないが、しょうがない。想像力と応用力がないとわからない(はずの)業務上の練習問題を昨日5題作り上げた。うまくいくと良いのだけどね…


佐藤優の本は読み終わった。期待していたヒトラーとダーウィニズムについてはメインな話題とは言い難く、大学生への勉強の仕方や考え方、就活な話などがそこそこあったのは、ちょっと肩透かしではあったが、元々大学での講義録なのだから、やむなしですね。「ヒトラーの秘密図書館」という面白そうな本に知り合えただけラッキーです。

そういう意味では科学と宗教の棲み分けをしましょうという方法にはひじょうに問題があると言える。科学が発展していく中で、活動領域が狭まった宗教がいかがわしいことに手を染めてしまう危険性が高まる。

「悪」の進化論 P376

新年早々飛ばし過ぎ。色々と。

北朝鮮は弾道ミサイル(らしきもの)を飛ばすし、陽性者数も跳ね上がるし、カザフスタンも現在進行形で大炎上(アルマトゥの市庁舎?がマジで炎上)している。そういえば去年もアメリカでの議会乱入事件に驚いて、新年早々なんなの!?ってなった記憶が…正月ってのはね、おこたにはいってお餅やみかんを食べながら、たまにウトウトしつつ、本読んでのんびりするのが正解であって、どっかの建物を燃やしたり、ミサイル打ち上げたりするもんじゃないんです。世界は正しい正月の過ごし方を身につけるように。

と、偉そうに言ったものの、私も仕事に追われた1日であった。そして、昨日薄々感じて、今日確信に変わったのだが、やはりブログを続ける最大の敵は、仕事だ!仕事さえなければ本も読めるし、色々と考えが進むのに、8時間の労働が日常に組み込まれた瞬間に脳みそが働かなくなる。学生時代のブログを読むと「ほんと暇だったんだな〜」と思うのだが、時間があると言うことに加えて、ブログに使える頭の容量も十分残っていたに違いない。今だってリモート勤務なんだから、時間はなくはないのだ。が、思い付かない。書く気がしない。これはもう、仕事で損耗しているせいだね!

本の方はまぁサクサクと。半分くらい読み進めているんですが、気がついたら共産主義とかソ連の話になっている。ナチと進化論はどこへ行ったのだ?まぁ、最後の方でまた進化論的なところに戻りそうなので、粛々と読み進めようと思います。紹介されていた「ヒトラーの秘密図書館」が面白そうなのだが、Amazonでは新品は売っておらず、図書館で借りるか、いっそ英語で読んでしまうか。 [1]とりあえず借りることにしました。

↓民主主義は楽じゃない、という話。

 人間にはイメージ、幻想を作る能力がある。実際には自分たちの利益を損なうような人物であっても、「我々の夢を叶えてくれる」というイメージさえ打ち立てることができれば、選挙に勝つことがきでる。そして選挙に勝ってしまえば、あとは何でも自由なことができるということだ。有権者たちは「終わることのない恐ろしい状態が続いているよりも、たとえ恐ろしい結果になろうとも今の状況が終わってくれたほうがいい」と思うものだということをマルクスは語っている。今の日本もそうだけれども、民主主義というのは、決定までに恐ろしく時間がかかる制度なんだ。議会で果てしない議論の応酬がなされて、いつまでも結論が出ない。そうすると有権者は「もうそんな議論はいいから、誰でもいいのでさっさと今の状況を終わりにしてくれ」という心理に陥る。そこに独裁者が現れる余地があるというわけだ。

「悪」の進化論 P256

References

References
1 とりあえず借りることにしました。

手帳難民

今朝は電車が空いていたので「あれ、もしかして世間ではまだまだお休みですかね?」とショックを受けながら出社した。佐藤優の本は180ページくらいまで進んだが、マイブーム的に「お!」というところにはまだ来ていない。「自壊する帝国」をロシア旅行のガイドに使った身としては、イリインのエピソードとかなんだか懐かしい感じがする。大学での講義をできる限り臨場感を残した本にする編集方針らしく、話し言葉そのままなのがあんまり好きになれないが、まぁ、こりゃ私の趣味の問題ですね。このブログだって、文体がとっちらかっていますし。

で、手帳の話。このブログで日記を書くならば、薄いマンスリースケジュール帳があれば十分ではないか?旅行や外出時にも持ち歩きしやすいし、という考えから、手に入れようとしていたのがコクヨの野帳。Amazonでまずはハードカバーの縦型の購入ボタンを押したが、これが待てども届きそうにない。なのでしょうがない。キャンセルして、在庫8個だったハードカバーの横型を購入し直した。本日までに届く予定だったのだが…なんと、これまた届かないではないか!Amazonがダメなら、リアル店舗で買うしかない!と、仕事の合間にコクヨのサイトから取扱店を調べて、都内のめぼしいお店に電話しまくったが、どこも完売だった。

野帳のスケッチブックの方を買ってお手製スケジュール帳を作ることも考えたのだが、線をまっすぐ引いたり、可愛く仕上げたり出来る自信が全くなかったので、諦めてモレスキンを仕事帰りに購入。モレスキンは以前片面ウィークリーの標準サイズのを愛用していたのだが、今回は「軽くて小さい」ことが重要なので、一番小さいマンスリーにしてみた。日本の祝日が入っていないため、このために一緒に買ったマイルド蛍光黄緑 [1]正しくはゼブラの「マイルドシトラスグリーン」色のマーカーで色をつけてやっと満足!早速3月の歯科検診の予定など書き入れ、来年というか、今年は販売されたらすぐに野帳のスケジュール帳を買おうと決意したのでした…

手帳というのは例え日記や記録が途中までであっても、残しておくと意外と面白い。10年前のモレスキンには、当時泊まった箱根富士屋ホテルのディナーのメニューが挟まっていた。読んだ本のメモやら書き抜きやら。ご丁寧に雑誌の切り抜きまで貼ってある。年々手帳の扱いは雑になっているが、それでもいつか自分の人生を振り返る時に役に立つだろう。映画館の半券などは、今のモレスキンでも貼り付けるスペースがあるので、これは変わらず続けたいところ。

最後に。モレスキンのマチに入っていた説明の紙を読むとブルース・チャトウィンのお気に入りだったとある。去年だったか一昨年だったか、伝記を読んだ時の感想としては「面倒な男だな」しかないのだが、確かにチャトウィンはモレスキンを使っていそうだな…

References

References
1 正しくはゼブラの「マイルドシトラスグリーン」色

餌に釣られず考えることは難しい

朝、洗濯物を干して、3キロ弱走ってやっと年が明けた気分になれた。昨日までは去年の延長で疲れ切っていたので、汗とともになんだか悪いものを流した気がしてとても気分が良い。しかも、1日から取り組んでいた「ヒトラーを支持したドイツ国民」も無事読み終わったぞ!

この本を読んでつくづく考えたのが、考えることを放棄してはならないということと、考えることを放棄しないことの難しさについて。過去何度か同じ話をしているが、私は銀英伝が大好きなのだ。もちろん、推しがいるというのもある [1]しかも数年前に推しより年上になっちゃった。が、地味に一番共感しているのが、「民衆がルドルフを選んだのは、楽をしたかったから」という会話のくだり。銀英伝そのものは、最悪の民主主義制と最良の独裁制との戦いであって、話の終わり方としては、独裁制の中に民主主義の種を植える・・・という感じなのだが、最悪の民主主義も最良の独裁制も結局、民衆の思考放棄が原因なんだよなぁ。

じゃあ、お前はちゃんと考えて日々生活をしているのか?と言われると、そんなことは全くなく、ちょっと前に話題になったあの市に住んでて、あの話題が出た時に「ひえー」と驚いたレベルのダメダメさ。ちゃんと考えて投票したつもりでこれなんだから、至らないにも程がある。

 スターリンと違ってヒトラーは、幅広い社会階層と対決して自分の意志に屈服させようとは、けっしていなかった。 (中略)ヒトラーは、民衆に支持された権威主義的な指導者統率制度を目指した。そして彼の政権は偏執狂と思しいくらい、世論と、あらゆる公式措置に対する市民の反応に深い関心を払った。

 世論を味方につけているのだから、ナチは政権の基礎固めのために、国民にたいして全面的テロを行使する必要は全くなかったのだ。(中略)多くのドイツ人が追従したが、彼らが魂のないロボットだったからではない。彼らは、ヒトラーがもたらす利益と新独裁制の「肯定的」側面について、自分たち自身が納得したからだった。

P308

秤にかけてみると、ほとんどの人びとは、犯罪のない街路、繁栄への復帰、それに自分たちがよりよいと思う政府を求め、その代償に進んで監視社会という考えを受け入れ、普通は自由民主主義と不可分とみなされる自由を放棄したのだ。

P307

餌に釣られずに見極めること。そのなんと難しいことよ!


ところで、ちょっと時事ネタについて書いておくと、今日3ヶ月ぶりに都内の感染者数が100人を超えたとのこと。オミクロン株は症状はひどくないらしいけれども、後遺症はどうなのだろう?そちらもあまりひどくないと良いのだが…

References

References
1 しかも数年前に推しより年上になっちゃった。

ゴジラと迎える新年

昨日は日記初日ということで、勢い余って午前中に書き上げてしまったため、1日にやったことについて何ひとつ触れていない。まぁ、今日と大して変わらないので問題ないでしょう。

実家に帰っていれば甥っ子姪っ子の相手に忙しく、そんなこともないのだが、一人でいるとテレビもないし本当に何にもすることがないんである。本を読むには読むが、合間に金田一耕助シリーズを読んだしてみているが、1日中読み耽るには集中力が続かない。というわけでTwitterを見たり、ネットサーフィンしたり、グダグダしている。今年はアマゾンプライムでゴジラKOMが観れるじゃないですか〜ということで、お気に入りシーンだけを飛ばし飛ばし観てた。そういえば去年だか一昨年も同じようなノリでシン・ゴジラ観てたぞ、私は。来年も実家に帰らなければ、きっとゴジラVSコングあたりを観てるだろう。

で、肝心の読書の方だが、「ヒトラーを支持したドイツ国民」は半分まで読み進めた。ナチが政権を握ったことは勿論だが、その中でも開戦が大きな転換点になったこと、情報は国民に必ずしも隠されていなかったこと [1]もちろん、世論を都合の良い方向に導くように書かれてはいたが。等、目に鱗!というほどではないが「やはりそうか」という感じ。それよりも最近の自分の興味に従って、ナチスによる生物学的表現の方が気になる。「寄生虫」「破壊的細胞」「政治共同体の健全」「あらゆる病の仕組み」「予防的警察使命」「有機的統一体」などなど。この点については、コロナ禍の中で今一度考え直さないといけないと思う。2020年6月や、2021年5月にも似たようなことを考えているけれども、もう少しこのマイブーム続きそうです。やはり次に佐藤優の本を読んでみるか… [2]この本、Amazonのレビューだと随分評判悪いようだが。

 

ついでに言うと、欧米のマスク論争。言い分をちゃんと聞いたわけじゃないので勝手な想像だが、過去、公衆衛生の建前で行われたことの記憶が残っているのもあるんじゃないか?とも思える。どうだろうね。ま、ここ数日で感染者数は案の定増加してきているし、私自身は考えることを止めずに、大人しくしておこうと思ってます。

References

References
1 もちろん、世論を都合の良い方向に導くように書かれてはいたが。
2 この本、Amazonのレビューだと随分評判悪いようだが。

日記始めます

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

スケジュール管理(月間スケジュール)&日記(日1ページ)という2つの目的を同時に果たすべく利用している「ほぼ日手帳」の持ち歩きが重い&嵩張ってツラい、と去年の中頃から思い始めた。スケジュール管理の方は月間のみの軽いやつに切り替えればいいが、さて日記の方はどうしたものか。そもそも、ほぼ日だとVコーンがすぐ乾かないので左利きにはツラいし、1日1ページだと量としても微妙だし、他のノートに手書きで長く書くのもダルいし…そこで柿内正午の「プルーストを読む生活」を読んで、このブログを日記に使おうと、人生3度目くらいに思い立った。去年も1月に「そうだドイツ語をやろう」と思い立って以降、地道にほぼ毎日勉強してるし、ラジオドイツ語講座はひとつたりとも聞き逃していないし [1]ただし、1日に3講座分聞いたり、GWなどは2週間同じ講座が続くのでのんびり聞いたりしてた。、私はちゃんとやれば、ちゃんとできる人間なのではないか?多分。

 

ただ、「プルーストを読む生活」の最初にも書いてある通り、ルールを決めないと多分すぐにやらなくなる。なので、今日はそのルールを以下の通り公表したいと思う。


家にいる時は毎日書く。つまり、家にいないときは書かない!予約投稿などもしない。私が家にいないのは大抵旅行とか、実家に帰っている時で、そのために事前に書きためたら、それはもう日記ではないし、イレギュラーは全力でイレギュラーを楽しむことにする。

毎日500〜1000字くらいは書く。ただし、仕事がバタバタで気力がない場合は言い訳OK.でも1行でも書く。

出来れば読んでいる本に触れる。これは、「私生活」出し過ぎを防ぐ観点からも推奨。同様に後から読んで面白いように、その日のニュースで気になるものがあればそれにも触れる。


やれTwitterへの連携はどうしようかとか、日記とは別に1本書きたいときはどうしようかとか、タイトルにルールは?、持っている本に購入日、読了日、感想(あれば)を最近入れているが、それとの兼ね合いは?など、まだ決めることもあるが、そもそもこのブログ、カテゴリーの振り分けも適当だしな…その辺は追々考えていくことにします。

昨日まで仕事がフルだったので、今日は朝からお雑煮を作ってます。お昼になったら、買っておいた好物のホタテの刺身に、賀茂鶴ゴールドをチビチビやりながら、2段組だから手持ちのカバーかけられず、外では読みにくい「ヒトラーを支持したドイツ国民」に手をつける予定。

References

References
1 ただし、1日に3講座分聞いたり、GWなどは2週間同じ講座が続くのでのんびり聞いたりしてた。

最近一気に買った本の進捗状況

4月に本代分の臨時収入があったので、一気に揃えた本のリストとその進捗状況を完全に自分向けメモとしてまとめてみた。★付きが読了、もしくは何かしら使っているもの。

この状況下ほとんどはe-hon経由で購入しているが、何冊か直接書店で(その臨時収入を充てて)購入しているものもある。その場合はこのリストに入ってないです。確かアガンベンの「私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック」とかウィンストン・ブラックの「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」、この辺。多分他にもちょこちょこと購入はしているはず。

因みに私なりに優先順位を定めて今回の購入本を選んでいて、まず金田一耕助シリーズはまるっと。その他は「本に書き込みをする可能性が高く、価格が高く、ここで買っておかないと入手困難になりそうで、図書館に置いていないもの」というルールで選んでいる。

個人的には思ってたよりは読んでたな、という印象。金田一シリーズはガシガシ読めるので、ガシガシ読もう。


  1. アリストテレス生物学の創造 上 
  2. アリストテレス生物学の創造 下 
  3. 資本主義問題 
  4. アメリカを作った思想 五〇〇年の歴史 
  5. 自然のしくみがわかる地理学入門 ★
  6. 甘さと権力 砂糖が語る近代史
  7. アメリカ様 ★
  8. 三つ首塔 ★
  9. 七つの仮面 ★
  10. 人面瘡 ★
  11. 迷路荘の惨劇 ★
  12. 首 ★
  13. 病院坂の首縊りの家 上
  14. 病院坂の首縊りの家 下
  15. 悪魔の寵児 ★
  16. 白と黒 ★
  17. 幽霊男 ★
  18. 英文解釈教室
  19. 新ラテン文法
  20. 教養の書 ★
  21. 書き取りシステム1800・1900
  22. カエルのバレエ入門 絵本 ★
  23. 悪魔の手毬唄 ★
  24. 仮面舞踏会 ★
  25. 悪霊島 下
  26. 悪霊島 上
  27. 本陣殺人事件 ★
  28. 悪魔の降誕祭 ★
  29. 犬神家の一族 ★
  30. 悪魔の百唇譜 ★
  31. 夜歩く ★
  32. 独検過去問題集〈5級・4級・3級〉 2020年版 ★
  33. 歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア ★
  34. 全体主義の起原 2
  35. 全体主義の起原 3
  36. かくれた次元
  37. 人種主義の歴史 新装版
  38. 新全体主義の思想史 コロンビア大学現代中国講義
  39. キャッチ=22 上 ★
  40. キャッチ=22 下 ★
  41. コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった ★
  42. 独検過去問題集5級4級3級2級準1級1級 2021年版 ★
  43. 善の研究
  44. 西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 ★
  45. 神の仮面 西洋神話の構造 下
  46. 神の仮面 西洋神話の構造 上
  47. 〈弱者〉の帝国 ヨーロッパ拡大の実態と新世界秩序の創造 ★
  48. 戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ 新装版
  49. 荒巻の新世界史の見取り図 大学受験世界史 下 ★
  50. 荒巻の新世界史の見取り図 大学受験世界史 上 ★
  51. 荒巻の新世界史の見取り図 大学受験世界史 中 ★
  52. 仏教の源流 ★
  53. WHAT IS LIFE? 生命とは何か ★
  54. 漢字の体系 ★
  55. 中世のなかに生まれた近世 ★
  56. 近代とホロコースト ★
  57. 独裁の政治思想
  58. ウンベルト・エーコの世界文明講義 ★
  59. 情報の歴史21 ★
  60. エセー 7
  61. エセー 4
  62. エセー 6
  63. エセー 5
  64. 東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊 新装復刊 ★
  65. 敗北者たち 第一次世界大戦はなぜ終わり損ねたのか1917-1923 ★

2021/10/17 読んだ本更新

2021/11/07 読んだ本、さらに更新

22/02/26 さらにさらに更新

昭和の新語

アメリカ様は、日本を未曾有の惨事へと導いた財閥を解体せしめ、悪法を廃止してくださった。いずれ財閥と同じく戦争への道を作った官僚もなんとかしてくださるだろう…という観点から、軽い文体で政府や出版人を揶揄しまくっているこの本で、一番面白かったのが「昭和時代に流行した新しい言葉」。明治大正時代にはなかったとのこと。意外な言葉が挙げられていたので、ここで書き出してみる。

この辺は納得感が強いもの。(納得感があるものは多いので全部じゃない。)

前線 共栄圏 統制経済 隣組 疎開 総動員方 玉砕 撃ちして止まん 防空服 闇市 進駐軍 外食券 千人針 

意外だと思ったもの。

産業戦士 交通整理 自爆 時差 横流し 栄養失調 協調 勤労奉仕

自爆は「使う機会は無かったかもだけど、言葉としてはありそうなのに」と思ったが、よくよく考えると、使う機会がない言葉は確かに存在しないのかもしれない。この辺深く考えていくと、唯名論、実在論の話になってしまうので、今日のところはパス。産業戦士や交通整理は、大正時代くらいならあってもおかしくなさそうだが、無かったんだなぁ。勤労奉仕とかは室町あたりからあってもおかしくない響きだが、それは「奉仕」部分であって「勤労」は確かに近代の概念なのかもしれない。栄養失調について、宮武外骨は別項を設けている。栄養不良という単語はあったらしいので、なぜ不良が失調になったのか、気になるところ。

一番びっくりしたのが「協調」。うーん、確かに言われてみると、なんとなく響きに昭和感はある。「協」は「共栄圏」「五族協和」の「キョウ」と聞こえ方が同じだし、「調」の方も栄養「不良」が栄養「失調」になったことを鑑みるに、昭和時代のお気に入りの漢字なのかもしれない。

こんなふうに、後から見ると「え、この言葉はこの時代に生まれたのか!」というのが、今の世でもそこそこあるんだろう。コロナ絡みだと「三密」とかは、100年後あたりには、今、我々が「疎開って昭和時代にできた言葉なんだ。まぁわかる」と言うのに似た扱いになっていそう。

守るべきソーシャル・ディスタンスはソーシャルのままでいいのか?

この1年ちょい、常々変だな、おかしいなと思っていたのが、「コロナ感染対策に【ソーシャル】・ディスタンスを!」と世間で言われている点。お互いの距離を取れという意味であれば、人と人とが物理的距離の話なのだから、【フィジカル】・ディスタンス、もしくは単にディスタンスで良いではないか?と。例えば、私が列に並ぶ。前の人と2メートル離れましょう。これは物理的な距離の話であって、別に前の人と社会的に近づいたり離れたりはしない。大概は「たまたま同じ行列に並ぶことになった」だけの知らん人である。「その人と社会的に離れろ」とは、何を意味するのか?同じ行列に並ぶのは、社会的には似たもの同士 [1] … Continue readingと言えなくもないだろうが、その人と社会的に距離を取れとはどうことか。私か前に並んでいる人のどっちかが社会的な何かを変えなきゃならんということか?うーん、妙。 [2]一応、WHOは「ソーシャル」じゃなくて「フィジカル」って言おうよ!って言ってるらしいけど、全く定着してない。「ソーシャル」なディスタンスって何?

と思っていたら、同じ疑問を提示していたジョルジョ・アガンベンの「私たちはどこにいるのか?」を読んだのでご紹介。去年の〜7月までにイタリアで発表された文章なので、日本の状況とはそぐわないだろうし、翻訳者あとがきにも書いてある通り、表面だけ読むと「コロナはただの風邪」「ソーシャルディスタンンスは不要」と主張しているのかと勘違いされそうな本ではある。とは言え、その主張は中々膝を打つものだった。

 

私なりにまとめてみると、【今回のコロナ禍での政府の対応は既存の法やルールではなく「例外状態」であること、そしてそれを皆すんなり受け取っていること、医学が人々の「コロナ禍でのあるべき生き方」を決めているが、医学はこの状況に関して、かつて宗教が提示したような救いや贖罪など示しようがなく暫定的な治癒しか供給できないこと、健康「権」が健康「義務」になったこと、そして、その先には個々の人間が「機械(インターネットなど)を通した社会的距離」を保った、というより、断絶された人間の集合である全体主義に続くこと】こんな感じになるかしら。

医学的装置であったならば、それは「物理的距離確保」や「個人的距離確保」と呼ばれるほうが正常だったでしょうが、そうではなく「社会的距離確保」と言っている。これが新たな社会組織パラダイムだということ、つまり本質的に政治的な装置だということをこれ以上はっきり表現することはできないでしょう。

P144

政府の呼びかけである「お互いの距離を2メートル取りましょうね」、これは物理的距離確保の話だが、実際のところはコンサートやイベントの中止、大学の対面授業の中止 [3]アガンベンはこれも中世から続いた学生団体の終焉、と嘆いている。、親にも会いに行けないし旅行にも行けない、とはっきり言われていないけれども、本当の社会的距離もキッチリ遠くなっている。物理的な距離のことを社会的距離と呼び、真の社会的距離については何も言われないまま、当然のものとして遠ざかる。使うべき言葉の階層がずれているため、本来その言葉で表現し、きちんと考えなければならないものが宙ぶらりんになっているのではないか。

アガンベン本人も本書の中でたびたび示唆しているが、これはナチスへの道と同一なのではないか?この本の前に「近代とホロコースト」を読んだのだが、そちらでも以下の通り、科学や距離について触れていた。

 

科学はなによりもまず、驚くばかりの力をもった道具とみられ、それを手に入れたものには、現実を改良し、人間の計画と設計に沿って現実を再形成し、その自己完成に向けて科学を後押ししてゆくことが許される。

P142

あらゆる分業(たんなる命令系統の存在の結果としての分業も含め)は、共同作業による最終結果に貢献したほとんどの人と、結果それ自体のあいだに距離を作りだす。官僚的権限の鎖の最後の輪にある者が自らの作業を開始しようとするまでには、ほとんどの準備作業はそれを行ったという個人的実感のない、また時として、その認識さえない人間によってすでに終えられている。

P189

一応、ちゃんと主張しておくけれども、私は別に「科学が悪い!医療なんぞクソだ!くたばれ、分業!」と言いたいわけではない。科学や医療の恩恵はきっちり受けているし、最前線でコロナと戦っている医療関係者や保健所の方々や研究者に対しては彼らがいるからこそ、私はまだ元気に生きているのだと感謝しかない。(じゃないと、とっくに感染してるでしょうよ。)分業制だって、いまさら自分の生活を全部自分で支えろと言われても無理なのだ。そうではなく、「この流れはきちんと把握しておく必要がある」と言いたいだけ。バウマン曰く、ホロコーストは近代の官僚制と科学だけでは起こり得なかった。

近代国家の官僚制度の頂点に君臨する、非政治的な力(経済的・社会的・文化的な力)から解放されたグランド・デザインの提唱者。これこそジェノサイドの元凶だ。ジェノサイドはグランド・デザインが実行にうつされる過程の不可欠な一部である。グランド・デザインはそれに正当性を付与する。国家官僚機構はそれに媒体を与える。そして、社会的麻痺はそれに「ゴーサイン」を与える。

P215

つまり、ヒトラーその人。それが出てくると、あれよあれよとグランド・デザインに基づいた造園的「雑草」の除去が始まってしまう。そして今、幸いヒトラーはいないが、宗教化した科学と近代官僚制は変わらず存在し、人々の距離は【ソーシャル】・ディスタンスによって十分に保たれているので、なかなか危険度が高い状態なのではないか?まぁ、だからと言って科学や官僚制を捨てることもできないし、この状況下でノーマスク・ゼロ距離接触というのも難しい。我々は起こっていることを無関心に眺めるのではなく、一人ひとりがしっかり見つめて考えていくこと、その結果の多元主義こそが全体主義を防ぐことになるのでしょう。ある意味興味深い時代ではあるが、後世の人に「あの時は危なかったけど、踏ん張ったねー」と笑ってもらえるように頑張りたいところですね。

 


 

ついでに、アガンベンの本から考えたこと。「科学(医療)は社会的な距離だけではなく、生と死の距離も広げているのではないか?」そして、ちょっと怖い一言。

人間が純然たる植物的状態で維持された場所はこれ以外かつて一つしかなく、それがナチの収容所

P92

References

References
1 並ぶ理由が同じ=同じ目的を持っている=社会的地位や収入が似ている…と、言える。例えば数量限定の高級チョコに並んでいるのであれば、高級チョコを買う余裕のある収入がある、並ぶだけの時間的余裕がある、など。もちろん、金に余裕はあるが、時間に余裕がない人が、金がないが時間がある人に並ばせるなどもあるだろうし、絶対的にそうとは言えない。
2 一応、WHOは「ソーシャル」じゃなくて「フィジカル」って言おうよ!って言ってるらしいけど、全く定着してない。
3 アガンベンはこれも中世から続いた学生団体の終焉、と嘆いている。

徒然日記

去年に続き、今年もGWは自宅でおとなしくしている。なにせ目に見えない上に放っておくと拡がるし、挙句どんどん変異するものが相手なだけに人間側の分が悪い気もするが、ながーーーい目で見ればいつか人類と今回の新型コロナウィルスは共存するのだと思う。そこまで人類が他の要因で滅びなければ、だが。そこまでは長いスパンじゃなくても、自分が死ぬ頃にはインフルエンザみたいに年1回の予防接種が一般的になっていて、あれも2種混合とか3種混合になったりするんじゃないかなと想像してみたり。まぁそれも先の話なので、まだまだワクチン接種の対象になりそうにない30代持病なしの身としては、日々の感染予防と免疫力UPを抜かりなく頑張るしかないのである。

というわけで、今回のGWも家にお篭り。お篭りですることといえば本を読むこと一択なのだが、今読んでいるのはErik Larsonの「the Splendid and the Vile」で、これがなかなか進まない。中身は面白い。チャーチルを中心に英独の戦いについて、やれ空襲下のロンドンのホテルの話やら、チャーチルの仕事の進め方やお風呂の習慣など小ネタが満載で、本当におもしろい。が!字が小さい上に本文だけで500ページあるのだ。英語の場合は日本語よりもやはり読むスピードは落ちるし、気合を入れても飽きがちになるので、なんというのか自分の精神力を高める訓練か何かかのように読んでいる。章立てが細かい分、そこでページが稼げるのが心の支え。

 

さて、なぜにこんなに焦って読んでいるかといえば、実は最近大量の図書カードをゲットして、本のバカ買いをしたというのがある。いま、目の前に積読が30冊ほど。まだ残金があるので、もう少し増える予定だ。これを片付けるとなると、洋書とはいえ1冊の本にそこまで時間をかけてはいられない。人生は短い、本は多い。困ったものです。

因みにドイツ語は粛々と勉強を進めている。ラジオや教科書付属のCDでスピーキングも始めたし。ただ問題はドイツ語検定を無事に受けられるかどうかという点。年2回実施なのだが、去年の夏のは中止になっているし、今年の夏も中止になった場合(もしくは密回避の都合、会場を確保できなかった場合)、冬以降に振替になってしまう。短期集中で5級もしくは4級合格を狙っていたのに、半年以上延びて自分のやる気が続くか心配。モチベーションがそもそも希薄だからなぁ…(英語以外の外国語を身につけたいだけ。)

とまぁ、こんな感じでグダグダ言いながら読書にドイツ語に頑張っております。え?仕事??あんなん人生のおまけよ、おまけ。