Archive for the ‘留学生活’ Category.

第13交響曲誕生

たった今、歴史のテストを受け終わったところなんですが、「ベンダルの戦い(Bendalと私は綴った)」じゃなくって「ベルダン(Verdun)の戦い」だった上に、イギリス対ドイツでイギリスが大負けしたのはそもそも「ソンムの戦い」だった事に大ショック。「マルヌの戦い」は綴れたんだけど、塹壕戦は寧ろその後からだしな・・・頑張ってシュリーフェン、ファルケンハイン、ルーデンドルフ、ハイデンブルグ(みんなドイツの指揮官)の綴りを覚えたのに、戦いそのものの名前を出されるとは予想外。他が出来たと思うから、まぁいいのですが。それから、別の問題では「この大戦において活躍した(新)兵器を5つ、その意義も含めて挙げなさい」ってあったんですが、危うく潜水艦を忘れるところだった・・・あんなに卒論で潜水艦について文献を読んだのにね。他の四つは「機関銃、戦車、毒ガス、飛行機」ですね。なぁんとなく、「毒ガス(poison gas)」じゃなくって、単に「ガス(gas)」って書いちゃった気がしなくもないないんだけど・・・どうだろう?ちなみにこれ、第一次世界大戦の話です。詳しくはwiki第一次大戦を参考にどうぞ。

そして、前回の記事の冒頭で「精神汚染の被害に遭っている」と書きましたが、あの段落、読むとどうも私が差別されて困っているように取れなくもないようですね。むしろ逆でして、私の言動が差別的と取られる可能性が大なのです。まぁ、完全無視ですから何にも言ってませんが・・・

んで本題。今学期は音楽の歴史をもともと取る予定だったんですが、卒業のために美術の授業に変更しまして、でも教科書買っちゃって悔しいし、時間はあるから、のんびり読んでいるんですね。もう、テストも何も無いし、音楽の理論よりは作曲家の人生とかを中心に・・・そして一昨日読んだなかに、なかなか面白い事が書いてあったので紹介。アントン・ブルックナーについて、彼が崇拝するワーグナーに会った時の話より。

“While still holding his hand,” Bruckner later recalled, “I knelt down, pressed his precious hand to my lips, and kissed it, saying ‘O master, I worship you!!!’ The master responded, ‘Calm down, Bruckner, good night!!!’ These are the Master’s last words to me. On the following day he sat behind me at the Parsifal performance and scolded me for applauding too loudly.”

「彼の手を取って」ブルックナーは後に語った、「私は跪き、彼の有り難い手に唇を押し付け、「おぉ、マスター(ワーグナー)、崇拝しております」と言いながらキスをしました。マスターは「落ち着きなさい、ブルックナー、いい夜を!」と返事をしてくださいました。これが最後にマスターから頂いた言葉です。次の日、マスターはパルジファルの公演で私の後ろに座られたのですが、私は拍手がうるさいと怒られてしまいました。」

ブルックナーってこんな顔。強面のくせになんだかお茶目でいいですね。そんなブルックナーは交響曲が有名だと思うのですが、教科書によると教会音楽でも有名で、付属のCDには交響曲が一曲たりとも入っておりませんでした。こういう具合に、お気に入りの作曲家のお気に入りの作品が教科書で取り上げられていないとムッとしちゃいますよね。この教科書、ブラームスでは交響曲の4番じゃなくって3番を取り上げていたり、どうも私の嗜好とは違う方向へ向かっているようです。チャイコフスキーで交響曲第6番が取り上げられなかったらどうしよう?ショスタコーヴィチが飛ばされてたら、どーしよー?因みに最近はベートーベンやらマーラーら辺も好きです。「巨人」とかね、いいよね。後、その時代に生まれていたら私は多分リストの大ファンだっただろうな、と思います。(的に・・・)そしてどうでもいいけど、昔ピアノを習っていた頃に「オクターブは手をめいいっぱい伸ばして(弾いて)ごらん」と先生だったか友達だったかにに言われて、「どりゃっ」と指を伸ばしたら(親指がドを押さえていたとすると)レとミの中間まで届いてしまったというのはいい思い出。そんな大きな手も、最近ではつかみ取り大会にくらいしか出番が無く、つくづくもう少し有効利用すれば良かったと思います。暇になったらピアノをもう一度始めようかしら。

手伝って会戦

復活宣言しながらなかなか更新しませんでしたね、私。有言不実行ばかりです。近況はと言えば、非常にアメリカらしいけれども、出来れば経験したくない経験をしています。人権侵害だとか差別問題だとか、アレだとかコレだとかで大変なので、ここでは詳しく書けないのですが(ヒント:シングルベッドは一人用)、結構精神汚染が激しいですね。必殺「完全無視」を決め込んでいますから、今のところは大丈夫。

そう言えば11月頃に寮の部屋の暖房が壊れて、その当時のルームメートと凍え死にそうだった時期があったのですが、そのときに

私「私がこのまま、凍え死んだら日本のテレビで流れるだろうな〜」
ル「じゃあ、私も出るかなぁ?」
私「いや〜、人種問題に発展させたいだろうから、ないだろうな」
ル「といいますと?」
私「だって、白人で金髪で青い目の子も一緒に死んじゃったら、日本人だから差別された!っていえないじゃん」
ル「むむっ!確かに・・・まぁ、私が日本に行って同じ目に遭ったら、やっぱりアメリカのテレビもそうするかも知れない」
私「それより、あんた、唇がハローウィンのメイク並みに青いぞ!死ぬな!」
とか話してたのですよね。結局「ルームメートが真っ青なんですけど」と脅してすぐに直してもらえましたが。まぁ、この程度の話だと日本国内においてのみ「アメリカにおける人種差別」が問題視されるんでしょうけど、100年ほど前はもっとすごかったんだぞ!と言う訳で今回の本題、「ウィルソン大統領に関するリサーチ:途中経過報告篇」に移りたいと思います。

前回も書きましたが、毎週3日合計12時間、ひたすらウィルソン大統領に関する資料集(手紙のコレクションとか、記者会見の記録とか)から日本に関するものを抜き出し、リスト化するという趣味のような仕事のような事をしています。ウィルソンが大統領になってからすぐに出てきた日米関係の大問題が「日系移民排斥問題」でして、丁度カリフォルニア州で「排日土地法」が可決されるかされないかということで、珍田在米大使がかなりウィルソンと頑張っておりました。簡単に書くと以下の通り。

珍田大使「この法律案は日本人に対する人種差別だ!」
ウィルソン「ち、違う!第一、合衆国憲法により連邦政府は州の立法には口出せないんだよ。私にはどうしようもないんです!」
珍田大使「でも、日本国民はみんなカンカンだぞ!しかも日米間の条約違反じゃん!(どの条約についてかは、いまだ不明。1911年のか?)さらには、この法律案、日本人だけがターゲットじゃないか!やっぱり人種差別だ!」
ウィルソン「差別じゃなくって、土地法は純粋に経済の問題なんです!差別じゃない!」
珍田大使「言ってる事は判るよ?そっちの国内状況も理解してるさ。でもやっぱり、差別ー!差別ー!」
ウィルソン「じゃあ、連邦政府が希望者には経済的損失の保証も出来るようにする(議会に案を提出する)し、アメリカにとっては日本は大事なお友達なんだから!差別なんてしてない!」
珍田大使「差別ー!差別ー!」
この後も、日米間で新しい条約を作ろうとかしているんですが、やっぱり「差別ー!差別ー!」「差別じゃないもん!」の繰り返し。延々と繰り返し。これだけやられりゃ、ベルサイユ講和会議で日本の提出した「人種的差別撤廃提案」をかなり強引に無しにして、逆に山東半島を日本にくれてやったウィルソンの気持ちがわからんでもない、よね。

因みに資料を見る限り、アメリカ海軍は結構本気で日本との戦争を考えてたようです。曰く「フィリピンとハワイが危ない!」だそうで、だから「中国に駐留している艦隊をフィリピンに移動させよう!」と計画したところまでは良かったんですが、ウィルソンや国務長官ブライアンが「今、下手に艦隊を動かすと、逆に(すでにカンカンの)日本人を爆発させちゃうから駄目」と、至極リーズナブルな理由によって却下したために、何とか1940年代までは直接対決せずに済みました。というか、ここで海軍の言い分が通った場合は1913年にして日米開戦しちゃうわけで(まぁ、日本がどれだけ本気かは判らないので、確率の問題ですけど)、1914年から始まる第一次世界大戦とかどうなったのだろうとか考えずにはいられません。イギリスがどう動くのかによりけりでしょうけど(一応、日英同盟を日本側と結んでいるし、逆にアメリカとも関係良好だし。)、「歴史にもしもはない」といえど、世界大戦の始まりが日本とアメリカの「差別ー!」「差別じゃないー!」だったかもしれないと考えればなかなか感慨深いですな。

んで、超マイナーどころを攻めまくる歴史の授業ではこの人の本、「赤い恋(英題名:love of worker bees)(本当にこれであっているのか不安。一応英語バージョンでは”love of worker bees”という本に”Vasilisa Malygina”、”Three generation”、”Sisters”の3つの小説が入っていました。)」を読んだのですが、クラスでは主人公の優柔不断っぷりに非難轟々でした。「いい加減気付けよ!と思った」とか「私なら一回目の疑惑で別れるわ!」とか。私も、勿論そう思ったんだけど。この話、一言で言うなら「ちょっと見かけが貧弱な女共産党員が、アメリカ帰りでブルジョア志向ヘタレ浮気性の旦那をすったもんだの挙げ句やっとこさ捨てて、シングルマザーとして生きると決めた話」でしょうか・・・この話のどの辺に戦前の日本女性は共感したんだろうかね?

後、映画「大いなる幻影(フランス映画の方)」や「戦艦ポチョムキン」を観たとか、色々書きたい事はあるのですが、今からポチョムキンの映画クイズを作らなくてはいけないので、この辺で。そういや「modern Japan」のクラスの先生が「戦前昭和で重要な人物は北一輝と山本五十六だ!」と言っていたけど、どうなのこれ?山本五十六は兎も角、北一輝って・・・知っているけどさ。確かに、二・二六事件とかその後の思想に大きな影響があったけどさ、なんか微妙な選択だと思うのは気のせいでしょうか?しかも「日本人はだれでも知っている!」と豪語。いや、多分アメリカ人がウィルソンを知っている確率より低いから、それ!とか思ったんですけど、TA (Teaching Assistantの意。しかし最近はTeacher’s Assistant:雑用係といった様相です。)として一応「軍人、軍事について教える事こそ、軍国主義に繋がると戦後の偉い人は考えているので、北一輝だなんて思想の大元だからこそ、まず教えませんよ。」とコメントしてみた。

永遠のネットの中で

お久しぶりです、こんばんは。ブログの更新が止まった最大の理由は「学業が忙しい」からでもなく、「ブログに飽きた」からでもなく、単に別に日記(新潮文庫のマイ・ブック)を今年から付けてみようとしたため、モノの見事に「二兎追うものは一兎も得ず」状態に陥ったからだと判明したのが昨日の寝る前。内容的には全く被ってないんですけどねー、無理なもんは無理だ。今後はブログ一筋で頑張ります。結構、日常と関係ない事書いているけど、それなりに読み返すと思い出すものがありますしね、多分元々どっちでも良かったんでしょう。はい。

それでは心機一転ということで早速本題のほうへ。

本題その1)今週1週間の天気がヤバい
今日、雪が降る予定で降らなかったのはいい。そして、木曜日に雪が降るのもいいでしょう。むしろ授業が休講になる可能性を考えれば、歓迎するべき事です。因みに来週の火曜日も雪らしいですけど、どうじゃこうじゃいって1月ですからね、自然です。ただし日曜日があり得ない。天気自体は晴れ。素晴らしい。最低気温がマイナス11度。う〜ん、結構寒いが1月だもの(最近、最低気温マイナス3度とかだし)、しょうがない。最高気温がマイナス6度。・・・あれっ?

もう、絶対に部屋から出てやるものか・・・

本題その2)ウィルソン関係の仕事
昨日(月曜日)が仕事始めで、毎週月水金の朝9時からお昼の1時まで働く予定なのですが、この仕事について微妙にテンションが上がっております。というのもですね、あの時代(1910〜20年代)からの生資料に触れるからなんですよ。昨日は「おぉ、ウィルソンから(国務長官)ランシング宛の手紙ではないかっ!そしてこれは直筆サインだっ!!」とか「おーおー、タイプライターで打ち間違いしてら」とか変なところで興奮してました。ヴェルサイユ会議に出席した牧野伸顕が「バロン・マキノ」と呼ばれていたりね、なんか興奮どころが多かったです。ただし、なんせ古い紙を直に触るので手が荒れるのと、かなり慎重に扱わなくてはならないのが大変といえば大変。来週からは本のリサーチになるので、この興奮も今週限りですが・・・

因みに、仕事と言うのは半分趣味のようなものでして「ウィルソン大統領と日本の関係についての資料をリストにしつつ、なんか面白い事を発見したらその時にゃ1本書くか?」というモノです。半分以上趣味だな、これは・・・兎も角、この仕事内容で3単位くれる大学に感謝。今の所の発見はウィルソンはあんまり山東問題で日本と対立したくないっぽいってことですね。ランシングも結構嫌そうだった。「アメリカが(対日本の)言い出しっぺになるんじゃなくって、イギリスとフランスも巻き込むぞ」とか「条約(これはまだしっかり調べていないので良くわかりませんが)についてのメモランダムを出版する時はアメリカの出版社じゃなくってイギリスの会社にさせよう」とか、なんか色々セコいと思いました。まぁ、なんか面白い事を見つければ真っ先にここに書くと思うので待っててください。

本題その3)今学期の授業
普通の授業として取っているのは美術(入門レベル、実技じゃないです)と歴史(1900ー1945のヨーロッパというコアな内容)だけで、後はTAだったり、インターン(仕事)だったり、卒論セミナー(卒論自体は使い回しです)だったりするので、その分本を沢山読もうと計画中ですが、何気に美術が大変かもしれません。というのも、私は絵を見ても「・・・絵だね」としか感想を持てない人間でして、精々「何となく・・・好きかな」とか「居間に置いたら邪魔そうだな」とかしか考えないんですよね。頑張って「この色好き」ですよ。だから「この直線はアーティストの革命に対する思いが〜」とか「この光はドイツ統一を暗に表していて〜」とか言われても、「・・・で?」と思うだけ。こんなので美術のクラスをパス出来るのだろうか・・・心配です。しかし、このクラスを取らないと卒業出来ないからなぁ。絵を描くのは好きなんですけどね。絵の解釈は苦手と言うより嫌いです。どうしてこんなに感受性の無い人に育ってしまったのだろうか・・・

本題その4)物理
日本を出る直前にリサ・ランドールと宇宙飛行士の若田光一の対談集を読んで、再び物理熱が出てきました。自分には宇宙の謎を解き明かすだけの脳みそと計算力がないのは自覚しているので(注1)、今更その辺について突っ込む気にもなれないし、あくまで人が考えたのを読んでふんふんと理解した気になっているだけなのですが、5次元の世界とか興奮しますよねっ!宇宙の端っことか考えただけで妄想が膨らみます。個人的には死んだら宇宙葬にしてもらって、宇宙の端へ向けて(銀河の中心方向と逆側へ)、永遠と旅をしたいと思っていますが、最長でも銀河系の中で、運が悪ければ木星辺りで星の重力圏に捕まるんでしょうね。まぁ、木星は木星で捕まり甲斐がありますが・・・

注1:これをカッコいい言い方で表現すると「私にはこの宇宙は広過ぎた」となります。

(゚∀゚)ラヴィ!!

だめだ・・・「きみのためなら死ねる」のメロディーが頭から離れません。卒論は既に最終段階に突入しました。それについては後ほど書くとして、まず近況など。

Thanksgivingのお休み(5日間)は近所でホームステイをしていたのですが、「キミは歴史系(の特に戦争系)が好きだったよね?」と硫黄島映画ボックスセットを某知人に貸してもらいまして、昨日の昼から夜のかけて黙々と観ていました。流石に「星条旗(父親達の星条旗)」は2回も観たので「手紙(硫黄島からの手紙)」と特典映像、それから「硫黄島の英雄」というドキュメンタリーだけ。イーストウッドの双子映画(「星条旗」と「手紙」)ではやっぱり「星条旗」の方が好きですね。「手紙」の方もいいんだけど、なんかチラホラと「あ〜やっぱりね」ってオチが読める部分が多かったので。まぁ、「星条旗」のほうは原作になっている本を読まないと場面が飛び過ぎて何が何だか良くわからんらしいので、どっこいどっこいといったところでしょうか。グロさも同じくらいかな?まぁ、監督がアメリカ人の割には意外と中立的視点な映画だと思いましたが・・・「パールハーバー」の製作陣は見習うように。(勿論、共和党のイーストウッドと日本大っ嫌いなディズニーの作った映画を比べる方が無謀ということは、気が付かないフリ。)そういうわけで、ドキュメンタリーのほうをより興味深く観たんですけど、あれですね。興味深いけど、決して楽しめた訳でないですね。なんせ映画の中の死体はお人形ですけど、こっちの方はホンモノですもの・・・しかも映画よりグロくは無いんだけど(なんていうのか淡々としているから)、お医者さんにならない限り拝見する事の無い様なアレやコレやまでばっちり映っておりまして、かなり落ち込んでしまいました。テンションを上げるため、「プラダを着た悪魔」をその後に観たんですが、確かにファッショナブルでかわいい映画ではあるけれども、そこまで楽しくないと思ったのは、硫黄島の影響でしょうかねぇ・・・そうそう、ドキュメンタリーのほうは戦場での記録映像がカラーでして、それが個人的に衝撃でした。映画の中では比較的重くて青い色彩で統一されてましたが、実際はかなりのお天気でなんかベトナム戦争辺りの映像を観ている感じ。火炎放射とか夜間艦砲とかむしろ綺麗なほど・・・そう考えると、思っているほどWWⅡは遠い昔の事ではないのかも。後、1945年に作られた政府による広報映画(アカデミー候補にもなったらしい)では「ジャップが!ジャップが!」と言いまくってました。

こんな風に暗い映画やドキュメンタリーを観て良く落ち込んでます。観なきゃいいのにね。後、銀英伝(アニメ)を知っててニコニコ動画の会員の方へ。以下の動画がかなり笑えます。

【ニコニコ動画】銀英伝でファンタ

【ニコニコ動画】[MAD]銀河英雄伝説  檄!帝国華撃団

因みに下のNHKのを観た訳じゃないですよ。実際に観たドキュメンタリーはこちら。両方ともリージョン1なので、ご注意ください。(”Shore of Iwo Jima”ってのが多分海軍で作ったやつ。自信は無い。本家のタイトルは”To the Shores of Iwo Jima”です。)

2012年4月9日追記:ニコニコ動画とドキュメンタリーの情報についてリンク切れしています。

来学期もライティングばかりかもね。

来学期は卒業前の最後の学期ですから楽しようと思っていたんですが、インターン先で(学期中に普通のクラスと平行して、インターンする予定)、これまた論文を書く事になりそうで、積極的意思と消極的思考とが頭の中でせめぎあっています。しかも、この論文用の宿題として早速「インターネットでウッドロウ・ウィルソンと日本についての関係を軽くリサーチしてこい」という指令がでたので「woodrow wilson japan versailles」と検索した時の、あの衝撃!Googleで一番最初に出るのがPDFファイルのもので、次がアマゾン、3番目がなんとまぁ私のサイトでした。「googleでこんなメジャーな検索をして、トップ3に入るなんて!」と感動する前に、「私のサイトが3番目じゃ、残りは期待出来ない・・・」という考えの方が大きかったです。まぁ、ここはブログだから、検索に引っ掛かり易いんですけどね。うん。ざっと眺めた限りでは、本のほうが良いのが多そうです。因みに私の把握している「googleでうちのブログが上位になる検索ワード」は「よろしい、本懐である。」「かわいくてついやってしまった」「悲しいときはいつも」「昭和軽薄体」「深田匠」「ガチョウ足行進」などです。・・・なにこの微妙なラインアップ。

これから卒論がラストスパートなので更新頻度が下がると思います。(←今回の記事の本題でした。)

紙の辞書の偉大さ

今回はちぃと真面目な話。でもその前に昨日発見した事(私なりにはかなりの大発見だった)。銀英伝に出てくる戦艦ブリュンヒルトは真っ正面からみると烏賊(イカ)である。ただこれだけなんですけどね、最初気が付いたときに吹き出してしまいました。

さて、タイトル通り「紙の辞書の偉大さ」について語ってみようと思います。まず今の私の状況なんですけど、簡単に言えば

1)アメリカ滞在中
2)留学生(大学生)
3)卒論もあるし、かなりの量の英語の本を一度に読む
4)愛用の英和辞書は「リーダーズ英和辞典」、和英はスペースアルク

と言ったところでしょうか。んで、さらに私の英語の学習に対するスタンスというのは

1)あくまで今回の留学は「国際関係」を学ぶ為である
2)よって英語そのもの自体のレベルをあげようと特別な努力をしようとは思っていない(語彙力とか)
3)でも大学院のためにGRE(まぁ、TOEFLと日本の大学入試センターとのあいのこの様なもの)が待っている

という具合に、「日々の勉強の中で英語のレベルも上がるとラッキー」というのが基本にあるものの、試験の為に語彙力を増やさなくてはならんという状況です。そもそも大学受験生とビジネスマン、大量の英語を一気に捌かなくてはいけない留学生と趣味で小説を原文を読んでいる退職後の人なんて、辞書を引く目的も重要性も全く違っていたりするんで、あくまでこれは私の話。もっと簡単に言えば「単語力をつけたいけど、全ての未知の単語を調べることが出来るほど暇じゃない人向け」ってことでしょうか。

でね、紙の辞書は時代遅れ、今は電子辞書だという記事に

結論から言えば”紙の辞書ではダメ”です。

というのも紙の辞書は電子辞書に比べてあまりに劣るからです。昔の電子辞書は内容が浅く、値段も高かったのですが、現在では内容は紙の辞書と同等、もしくはそれ以上。値段もかなり下がってきました。今後も電子辞書の技術が進むことを考えると、紙の辞書のほうが優れている点を見つけるのは非常に困難です。せいぜい”電池切れしない”程度のものではないでしょうか?

逆に電子辞書のほうが優れている点は山ほどあります。

1、引くのにかかる時間がはるかに短い
2、スペルチェック機能
3、複数の辞書を収録
4、複数の辞書間を移動できるジャンプ機能
5、文庫本程度の持ち運びやすさ
などなど…

とありまして、紙辞書ユーザーとしては反論せずにはいられない訳ですよ。この電子辞書の利点1から5は私も全て正しいと思います。かつて一度だけ電子辞書を持っていた事があるので、その軽さや複数の辞書間でのジャンプ機能には平伏したくなるくらいです。でも紙の辞書にしかない、私にとってはたったそれだけの為に紙を使っているという重大な長所を見過ごしているね。

紙の辞書には書き込めます。

私はコレだけの為に、紙辞書を使っています。中学生に上がった時はジーニアスでしたがあの時から変わらず、同じようなルールで紙の辞書を毎日汚しています。勿論、メモを書き込むとかそんな大袈裟なものではないです。ただ単に調べた回数に応じて、蛍光ペン(と赤ペン)でどんどんその単語の部分が目立つようになっていくだけです。でも、これが意外と視覚効果的に効くんですよ。最初はオレンジの蛍光ペン一本。2度目に調べたら赤ペンでその単語の部分(見出しだけじゃなくって内容も全て)を赤ペンで囲む。三回目の単語は赤ペンの上を蛍光オレンジでなぞる。四回目に調べた単語は、その中(赤&オレンジ蛍光ペンで囲まれた部分)を塗りつぶす。五回目の単語はpost-it。六回目はpost-itに丸印。7回も調べた単語はとうとうブラックリストと呼ばれる(というか私が勝手にそう呼んでいる。最近はデスノートともいわれている。)小さなノートに書き込まれます。それ以上の回数調べた場合は、辞書と同じ手順でどんどん派手になっていく訳です。コレが本当に効く。ブラックリストに載っている派手に囲まれた単語なんてもう、忘れませんよ。(私の場合、一応記憶がアヤフヤな場合も(つまり、「たしか、こういう意味だったよねぇ?」みたいな単語)も調べて、回数にいれているので、結構10回越えの大御所的単語があります。いまのところembraceの14回が最高。もう、さすがに覚えました。)

これは電子辞書にはできない芸当でしょう?5回調べたら画面がピカピカ光って教えてくれるなんて電子辞書は聞いた事が無い。兎も角、こうやって「何度調べたか?」が判ると、こう、自分の中で「いい加減に覚えないとマズいよな〜」みたいな気持ちがふつふつと湧いてくるわけです。多分それが単語力アップに大きく貢献しているんだと思うんですけど、私的に。

さらに、留学中というのは本当に未知の単語との遭遇な毎日でして、社会学、比較政治学、中国海軍、それら全ての知らない単語を調べるだなんて、多分電子辞書でも無謀です。だから私の場合は、何度も出てきた単語や「あぁ、この単語、前に調べたんだけど、意味忘れた!」ってな単語、あとは文脈上どうしても気になる単語だけ調べて残りは放っておきます。「よく見た単語」ってのは結局「重要な単語」だからよく見るのであって、例えば「anomic suicide」なんて知ってても知らんでも、国際関係専攻の私には結構どうでもいいんです。

ま、結局は引用元の人が「電子辞書バンザーイ」って言っているから、こっちも負けずに「紙の辞書バンザーイ」って言っておこうかな、と思っただけなんですけど。私は「単語も覚えつつ・・・」というスタンスだからこそ紙の辞書がいいんであって、単語なんぞ覚える気はない、意味さえ判りゃ良いって人は電子辞書の方が良いのかもしれません。でもさ、結局単語を沢山知ってた方が辞書自体引く回数が減っていいと思うんだ・・・

それから、最後に。紙の辞書は踏んでも壊れないぞ。コレも長所に加えとけ!

卒論

例によってどうでも良い話から書いてしまいますが、ガオガイガーのMADにソルダートJが出てこないと、何となくションボリしてしまうのは何でなんでしょう?確かに「サイボーグ002に似ている」という理由だけで気にいっていたキャラではあったのですが、どう考えても凱の方がイイ男なのだよ。でもソルダートJももっと出してやってください。

それから、最近アメリカの政治コメディーにハマっています。やっぱりコメディーだけに英語も早くて時々聞き取れないんですが、まぁ、英語の上達にもなるし、面白いしで繰り返し観ています。(i-tuneで16話10ドルで買える。The Daily ShowとかThe Colbert Reportとか)そんなかで、ちょっと古いんですが、Saturday Night Liveのオープニングコントで、イラク戦争について国防次官に扮したコメディアン曰く、

The fact is, the military conflict was not our first option. It was simply the only one we considered.(実際のところ、軍事的紛争(イラクに対する軍事的な介入)は一番の選択肢じゃないんですよ。単に、それが単に唯一我々の考えた事なんです。)

だとか。なんだか判りませんが、ツボでした。他に最近ツボったのはComparative Politicsの教科書のイギリスのところで

Fear of losing the next election keeps most prime ministers (but not Thatcher) cautious.(次の選挙に負けるかもしれないという恐怖は殆どの首相(サッチャーは除く)を慎重にする。)

サッチャーはどんだけ自由にやったんだ?名指しで例外扱いされたサッチャー・・・丁度サッチャーの退陣頃から、私の記憶がはっきりしているので(ベルリンの壁崩壊は覚えていないけど、湾岸戦争、ソ連崩壊は覚えている)、彼女のことはあんまり知らないんですよね。今度、伝記本でも読んでみようとは思っているのですが、未だに毛沢東の本を読み終えていない上に、マクナマラの回想録も読みたいなと思っているので、一体いつの事になるのやら。それよりも、卒論が控えていますしね。

んで、卒論。前にもちょっぴりと書きましたが、結局は中国海軍の増強についてになりました。大体のアウトラインは

1)イントロ(中華思想、ランドパワー、シーパワーについて)
2)中国海軍の歴史
3)今現在の中国海軍の装備、活動
4)中国海軍増強の戦略的意図
5)台湾に対する影響
6)日本に対する影響
7)インドに対する影響
8)アメリカに対する影響

ってな感じです。長くなりそうだったら、歴史を削る予定。で、最近の事を扱う上に、どちらかと言うと政府関係の資料を多用しそうという事でCongressional Research Service Reports FASというサイトにお世話になっています。こちらは米国議会に提出された各省庁からのレポートを集めたサイトでして、検索するだけでザクザクヒットするという、なんだかこう、一日に一度は拝みたくなるようなサイトです。(特にアメリカ海軍の「中国海軍2007」という200ページのレポートは有り難かった。)後は、2006年頃からこの話題に対する本も出始めていまして、嬉しい限り。

まぁ、よく考えれば最近の中国海軍の増強は結構ホットな話題にゃ違いないのですから、本が出るのも当たり前っちゃ当たり前ですよね。問題はコレが50ページに収まるかどうかだ。参考文献も「10個は最低」との事なんですが、既に20〜30集まっていまして(しかも余裕でまだ増える。今現在は上のアウトラインでの2〜3の部分しか集めていないから)、なかなか大掛かりな論文になりそうです。学士論文ってこんなものなんだろうか?どう考えても中国海軍VSインド海軍だけでも10ページは書けそうなんだよね・・・ダブルメジャーなので、半分をAsian Studiesの卒論に回してしまおうかな。(今のところ、大体同じ論文を提出していいと言われているんですが・・・)実際に書き始めるのは来週からでして、一旦書き始めたらこのブログでもチョイチョイ話題にすると思います。最終的な論文もアップするかもしれない。(←満足度次第ですが)

という訳で、卒論はこんな感じです。結局、私の興味というのは「地政学の、特にsea power」なんだなと実感した次第です。

なんか地味に忙しいのかも知れない

今学期は6クラス取っていて、その内一つだけが卒論のセミナーというだけで後は全て100番台(一年生向け)にも関わらず地味ーに忙しい気がします。でも出来ればせめて週末ごとの更新はしていきたいですね。有言不実行の多いこのサイトですからどうなるかは判りませんが。取り敢えず8月末にMT4にアップグレードしたのですが、それ以降のエントリーがachieveに反映させていない事が判明しました。その内直したいと思いますが、サイトのタグをいじる時間があるときに他の部分も一緒に「せいやー!」とやってしまうのが好きなので、もう少しだけ落ち着くまで無理かも知れない。(まぁ、いままで「せいやー!」というほど大きな改装をした事はほぼ皆無なんですけどね。意外とマイナーチェンジしていますよ。特にaboutのページとか。今後は政治のページをどうにかするのが当面の目標です。)

・・・?って今確認したらachieve反映されてるぞ!?単に時間がかかっていただけなのか?うーん。まぁ、ちゃんと表示されているのなら良いや。

んで、予告通りに1)北朝鮮の核と日本の安全保障問題の話題について書きたいのですが、時間がありそで無さそだから2番目の話題について。

2)東京→アメリカ飛行機旅
8月24日:成田へ移動。ホテルに入る。本当は妹が見送りに来てくれて一緒に泊まる予定だったんだが、体調が悪いとの事で急遽一人になる。ツインでこれは結構寂しい。悔しいのでベッドを両方使う。(←アホ)んで、女一人寂しく夜ご飯を何処で食べるかということで、1階のバイキングにするか最上階の創作和食にするか同じく最上階の鉄板焼きにするか悩み、ハハに電話して「(今回)日本(で)最後(の食事)だし、良いものを食べなさい」と言われ、「確かにどうせ親の金ですから」と開き直り、最上階へ向かう。1万の大台を超えるコースのお値段にビビった私には鉄板焼きは選べませんでした。なんせ、一人だし。んで、創作和食を食べたんだが、ホテルの最上階のレストランっていうのは大抵「すまして」いるんですよね、全体的に。女一人にゃちょっと荷が重かった・・・でもご飯はおいしく、コースの料理の途切れ目に居心地の悪さを覚えつつも(なんせ一人だから無言の状態になるんですよ。「すまして」いるレストランだから本読めないし。)、メインが運ばれてきたぞ!今まで出てきた創作料理に比べるといまいち「創作度」は低めなのだが、好きな味付けなので結構メインを心待ちにしてた訳です、私は!!!

んで、そのレストランはそう混んではいなかったのですが、隣の席には3人組が座っていたんですね。というか、窓側に座りたいが為に喫煙席を選んだんですよ、私。多分これが今回の旅で2番目に大きな失敗です。兎も角3人組。最初は「夫婦+ムスメ」だと思っていたんですがどうも会話からすると違うらしい。兎も角「フランスでの生活」だとか言っていてプチセレブっぽい感じ。でも、話の内容をもっと聞くと千葉県民らしい。(因みに別に聞き耳立てていた訳ではなく、よく聞こえてきただけです。結構静かなレストランでしたから。)まぁ兎も角、その3人組、最初キノコの話をしていたのは良いんだが、丁度私がメインの料理にありつこうとした時に何故か話題が「キノコの中の小さな白い虫〜魚の中の寄生虫」にチェンジ。しかも「存在するよね」「まぁやーね!」くらいなら良いとしても、「えー、いてどうするんですか?」「だからそのママ、グチュグチュにして料理しちゃんだって!」とか結構表現方法がヘビー。うぉい!!私、食べてたの、豚。もう少しで「豚の中の寄生虫」へ話が移行しそうだというところで、(多分)見かねたチーフウェイターが割って入ってた。これほど他人に対してGJ!と思った事は無い。こういうのがいるから、中身の伴わない「プチセレブ」とか見かけると後ろから跳び蹴りをかましたくなるんですよね。セレブっぽくなりたいなら、中身まで完全に!これは基本!!!(今思い出しても、腹が立つ。)

8月25日:空港へ早めに行き、早めにチェックインし、早めにセキュリティーを通る。因みにどうでも良いんですが、チェックイン時にはVISAやミリタリーIDを持っていう人用の列と持っていない人用の列があるので、持っていない人は持っている人用の列に入らないように。(勿論、誘導された時は別だけど。)飛行機は大学から最も近い国際空港までひとっ飛びで、今回の旅はそう言う意味では楽なはずでした。結局、日本最後の食事は石焼ビビンバだったのですが、前の晩の話がループしてきたのでキムチは食べなかったです。席はエコノミーだったのだけど、隣の人がかっこ良かったので全て良し。しかし、彼(アメリカ人)は12時間のフライトで一回も席を立たなかった。ある意味凄い。

国際空港にて。入国審査は意外とすんなりパス。毎回F1ビザのところにD/Sと書いてもらえるかどうか心配しちゃうんですが、今回も無事に書いてもらえました。これだから悪い成績は取れないんだよね。んで、税関で地獄のように並ぶ。あれはどう考えても「税関(申告書を提出する場所)〜荷物を再び預けるところ〜セキュリティーチェック」が一直線に並んでいる上に、お互いの距離が短いからだろうと、フランクフルトかららしいドイツ人(これまたかっこ良かったんだな!)を観察しつつ、考察してみた。その後、ゲートへ移動してみると、私の飛行機(夜10時)の一本前の同じ目的地への飛行機の搭乗手続き中とかで(その時点で大体4時くらい)、「交渉して飛び乗ろうかどうか」と悩むも、迎えにきてくれる人への連絡もあるしなぁ・・・と見送った。これが大失敗でした。乗っときゃ良かった。

地道に6時間、i-tuneで映画なんぞ観つつ待っていると、通路にもの凄い行列が。待ち合い席の向かいに座っていたおばさんと「なんでしょうねぇ?」と暢気に会話する。9時半過ぎ、天候の関係で深夜12時離陸に変更されたとアナウンス。慌てて、迎えにきてくれるはずの人に連絡して、家で待機してもらう。10時近くになって完全に飛行機はキャンセル。翌日の8時半に変更される。しょうがないのでチケットを変更してもらい、その後、念のためホテルのクーポンを貰って、「ところで、私このままここで明日の朝までいてもいいんでしょ?」って聞いてみたら(なんせ、もう心身共に疲れきっていて、あんまり動きたくなかった。)「コンコースBのほうが安全だと思うよ」と言われたので「〜のほうが安全ということは、絶対的評価ではなく相対的なものだから、多分あんまり安全じゃない。しかも、女一人、現金沢山(国際送金だと手数料がかかるから、自分で運んで自分で銀行へいれているんです。)、コンピューターもある、英語のネイティブじゃない、コンコースBにゃ人いないじゃん!!(←行ってみた)」と判断し、渋々ホテルの予約をして、もう、面倒なのでシャトルではなくタクシーでホテルへ向かう。(因みにクーポンっていうか紙切れを貰ってそれに載っている電話番号に電話して予約するっていう方法で、「これはある程度英語が話せないと大変だろうな」って思いました。)因みに他のアメリカ人はレンタルカーをシェアして帰っちゃうとかしていましたが、私の場合、目的地の空港は大学のある場所じゃないのでそこで降ろされても困るし、荷物の事もあったので止めておきました。免許があったら自分で大学まで帰ったんだろうけどなぁ。ま、しょうがない。

ホテルはヒルトンでしかもまたツインだったんですが、なんせスーツケースは預けっぱなしで化粧水やら着替えも無いし、日本じゃないから浴衣おいていないし、これまたかなり寂しく夜を過ごす。枕が5つあってもちっとも嬉しくない。お風呂に入れた事と、相場300ドル位するらしいホテルに80ドルで泊まれたのは良かったけど。しかし、12時過ぎには天気が大分良くなってた事には腹が立った。どうせなら、一晩中ドンガラガッシャーン!していて欲しかった。

8月26日:絶対に飛行機を逃してたまるか!と朝5時半に起き、6時にホテルをでる。朝食は飛行場で食べました。そしたら、なかなか飛行機が到着せず(しかも小さい飛行機だから、結構予定が狂う)、結局10時半過ぎに離陸。勿論飛行機の中では「こんな事だったら、7時までホテルで寝てりゃ良かった」と思っていました。

で、飛行場について無事に迎えの人とも会う。が、今度は2つあるスーツケースの1つが行方不明になっていること判明。まぁ、最後に見たのが最寄りの国際空港なので、何処にあるのかは判っている訳で、そこまで行方不明って訳でもないんだが、明日から授業だというのにそれは困るとカウンターに詰め寄ったら、「次の便で来るかも知れない」といっていたので、それまで昼食を食べつつ待つ事にする。話題は勿論、昨晩の事と荷物について。「第一、昨日キャンセルされた人の荷物と、今朝の便に本来乗る人の荷物を両方あの小さな機体が運べる訳ないか!」みたいな。んで、幸い荷物は回収出来て、やっと大学の寮に到着する。

こんな感じです。私の中で最悪の旅ですな、文句無しで。

MT4はまだか〜!

木曜日:朝9時から夜12時(途中3時間の休憩有り)で15枚のペーパーを一気に書き上げる。夜12時から1時までは試験勉強。(エッセイ方式なのでアウトラインを作る。)

金曜日:朝8時から昼12時まで試験勉強。昼1時から2時半まで試験。その後、Fedexで箱を2つほど送り、ダウンタウンへ移動。銀行へ行ってみると、またもや「デビットカードは届いておりません」と言われ「んなアホな!」と今までの経過を説明して取り敢えず1ヶ月間だけ使えるATMカードを発行してもらう。その後、例の岩の落書きを探しにいったものの、水上タクシーが閉まっており、雷雨が近付きつつあった事もあり、断念して寮へ帰る。結局ニコニコ組曲のカラオケ練習しながら、徹夜。

土曜日:朝4時半にタクシーを呼んで空港へ。空港、劇混み。木曜日からのもの凄い肩こりに悩みつつ、国際線の方は隣が空席だったので足を伸ばして「MAO」を読む。空港で買ったAnderson Cooperの本を眺めてたら、「僕もその人好きです!」と客室乗務員に話しかけられる。確かAnderson Cooperってゲイだった気が・・・(違うかも知れないけど。)

気が付いたら日曜日:夕方帰国。そのまま新幹線で実家へ帰る。ウナギ弁当を食べようと思ったものの、あまりの売れ残りっぷりにビビって穴子弁当で妥協する。

月曜日:あまりの蒸し暑さに泣きそうになる。←今ここ!

と言う訳で、早速実家に帰ってきたのだから、かつて使っていた富士通のWinでMT4へアップグレードしようとしたら、コンピューターが劇重(多分、ウィルスバスターのせいだ)な事に加え、実はMacでもちゃんと良いFTPソフトがある事を発見し、挙げ句の果てにMT4のリリース延期という事で急に今朝の予定が狂ってしまいました。

今晩は本屋へ繰り出そうと思っています。下の漫画を買うつもり。

ある意味散々な一日

1ヶ月くらい前にデビットカードをなくしまして、直ぐにブロックしたのはいいのですが(しかも、ブロックした直後に見つかった。正直ブロックするんじゃなかったと思います・・・)、銀行受取にしたのがマズかったようです。確かにダウンタウン内の銀行を指定したはずなんだが、先週も今週も届いていないと言われる始末。後一週間で帰国するのですから、早いところ何とかしないといけません。電話しても回線混んでるし・・・もう。

それで、「無駄足だった・・・」とバスに乗り込んだら、料金を払わないで良いと言われて(アメリカでは乗り込むときに払います)、ラッキー!と思うよりも「これ、後でイチャモンつけられたりしたら、どーしよ?」とドキドキしてたんですね。んで、ドキドキしながら乗って3ブロック位進んだところで、停留所に止まる為に歩道に寄った直後「バキッ」という音が右後ろからする訳ですよ。おい、見事にバスが事故ったよ!幸い人身事故ではなく、バス停側に止まっていたトラック(まぁ、一般車ですが)のフロントを凹ませた位で済んだんですが、トラックの所有者であるカップルは何処からともなくデジカメを取り出し、パシャパシャと写真を撮るし、乗客は野次馬根性丸出しだし、運転手は凹むし・・・他の乗客が後続のバスに乗るのをみて、どうも立ち去っても良いらしいと思った私は、別のバスに乗って何とか帰ってきた次第です。よく考えれば「事故ったバスに乗ってた」と言えば運賃を払わなくても良かったんですが、最初のバスでも払っていないからちゃんと払っておきました。

余談ですが、アメリカのバスっておつりがまず出てきません。$1.60の運賃で$2いれても40¢は戻ってこないので、何となくそれが悔しい人は、最初から小銭を用意する事をオススメします。

んで、よくよく思い出してみると、今朝起きてまず発見した事が断水しているという事で、ロビーのトイレも全滅だったので、全く用がないのに(珍しく1時からの授業分の課題を昨日の夜に終わらせていた。普段は朝から図書館に籠って、直で授業に出ます)、朝8時から図書館まで行くはめになったんですよね・・・

という訳で、今日は「断水〜カード〜事故」とあんまりツイていない一日でした。今週末は超特急で15ページのペーパーを書かなきゃいけないし、それが終わると次の日の朝4時発で日本に帰る訳ですから、案外次の更新は日本からという事になるかもしれませんね。因みに今週末は4日連続で雷の予報なので、ちょっと楽しみです。(←雷好き)

PS カードの電話が通じました。どうも行方不明になっていたらしい。(つまり、私が間違った支店を受取先にしたという訳ではなく、あちら側のミスで届いていない状態だった。)「土曜の早朝にはもう日本に帰らなきゃいけないんですけど?」って言ったら、「水曜日までに必ず!」とのことでした。1ヶ月近く(しかもGREやTOEFLの際の移動代など支出の多い時期だった!)デビットカード無しはかなりキツいよ!現金を引き落とすのも一苦労だし。