Archive for the ‘今の部屋’ Category.

ジジェクのパンデミック論

 

ジジェクの本には全く歯が立たず、修行気分でとりあえず読みきった過去があるので、戦々恐々しながら読み始めたのだが、一部「?」はあったもののなんとかいけた。薄かった上に、時事問題だったのが勝因?なのか…とはいえ、時事問題ゆえか、それとも私がやっぱりジジェクの主張を理解できていないのか、文章としてまとめることができないので箇条書きで気になった点を挙げておきます。

  • 中国政府は人民を信用せず、人民も政府を信用していない。他の国においてもソーシャルメディアによる陰謀論、フェイクニュースなどの影響で、国民が政府を信用していない。これでは感染は止められないだろう。
  • 新自由主義では個人の内に階級がある。つまり、自分で自分を搾取している状態。ただし、同時にパンデミック下においては「1)西側先進国での自己搾取の労働」「2)第三世界の疲弊させる労働(製造業など)」「3)介護職やウェイターなど人をケアする労働」の3つの労働があり、2、3は昔ながらの「階級」でもある。
  • ヨーロッパを襲う3つの嵐は「1)コロナウィルスによる身体的影響(感染、隔離、死など)」「2)コロナウィルス拡大による経済的影響」「3)シリアで起きている暴力の嵐」であり、ロシアとトルコは石油だけではなく、難民の流れもコントロールしてヨーロッパに外圧を加えられるだろう。
  • 今現在は難民はコロナウィルスと結びついて迫害を受けていないが、万が一それらが結びついたら「科学的医療的な理由」で難民排斥を正当化できてしまう。
  • コロナ後の通常はコロナ前の通常とは違うだろう。ハグや握手をする余裕があるのは自己隔離できる特権階級のみで、一般庶民は「仕事に戻り」、ウィルスと生きていくことになる。
  • 「個人の責任」を重視するあまり、経済や社会制度をどう変えるべきかを見えにくくするならば、それはイデオロギーとして機能している。
  • マスクや人工呼吸器、ワクチンなどの分配、隔離施設の確保、失業者への手当てなどは市場メカニズムから離れて行う必要がある。これがジジェクのいう「共産主義」の出番。

個人的に面白かったのが「新自由主義では自分の中で階層闘争はじまっちゃってる人もいる」という部分。言われてみれば確かにね、と思う。それから「難民とコロナが結びついたら〜」部分に関しては、当初のアジア人への暴力事件など考えると既に危ない兆候があるのかもしれない。まぁ、アジア人に対しては、「コロナをうつされるかもしれない恐怖」から「コロナを発生させたこと(結果自分たちの生活が変わってしまったこと)に対する苛立ち」に暴力の理由が移行しているかもしれないが。

何れにしても、コロナで人的交流は減っているし、その分フェイクニュースなどに晒されやすくなるし、経済的影響はデカイし、新しい生活習慣は馴染めないし…でダークサイドに落ちやすい状況ではあることは間違いないでしょう。そうならないために、なにかわかりやすい処方があればいいのだけど、そんなものはないのがまた辛いところですね。

赤子と私

リモートワークというのは家でなくてもネットとPCがあり、ちゃんとした環境であればどこでも仕事出来るということだ、と気がついたのはお盆の時だった。要は実家で仕事すればいいじゃん、ということである。その応用で「妹宅で仕事すればいいじゃん」と言われたので、0歳児の赤子のいる、しかも運悪く旦那さんが出張中でワンオペ(しかもしかも、あろうことか引っ越し翌日)の妹のうちへヘルプしに行ってきた。もちろん自分の仕事もしつつ、である。当たり前だが妹の家は私の家ではない。窓の外の車の音や天窓に打ち付ける雨の音以外はほぼ無音に近い環境で日々過ごしているところに、自分以外の人間が2人もいる、テレビもついている、風呂の温度は赤子仕様でぬるめだし [1]というより、私が熱めが好きなんだと思う。、気ままに本読めないし、てか、本1冊しか持ってきてないからないし、夜泣きで起きるし、ノートパソコンのモニターは小さいし…まぁそういう細かいのが積み重なって疲れてしまった。実家も似たようなものなのに、こうはならないんだから、やっぱり実家は実家であって、妹の家は「他人の家」なんだろうな。まぁ、仕事はきっちりやったし、段ボールはほぼ片付けたし、赤子の面倒もみたのだから、及第点はもらえたはず。大体私は赤子に好かれるタチなのだ。姉妹だから声が似ているといった理由もあるだろうが、単に私が子供っぽいだけなのかもしれない。家族には「薄汚れた大人にはわからない魅力があるのよ!」と強がってみたが。

で、肝心の赤子。小さい子を見ると「この子は自分を自分として認識しているのだろうか?私を他人として認識しているのだろうか?」と考えてしまう。「私を他人として認識する」というのはすなわち、「私を自分でないと認識する」ことだから、結局は「自分(とそれ以外)という認識がある」かないか、なのだが。鏡にうつったモノが自分と認識しているかどうかという動物実験の結果をたまに見かけるが、鏡にうつるのはあくまで己の肉体で、その肉体の中(?)に潜む(?)精神、意識、魂。そう呼ばれるものがいつ認識される(わかってもらえる)のだろう?間違いなくそれらはその子の中にすでにあるはずなのだが。もしかして、これは年齢に関係なく、子供でもわかってるならわかっているし、わからないまま死ぬ大人もいるということなのかしら?他者との関わりを通じて徐々に・・・なら、現在の一般的なケースでは生まれた瞬間から他者まみれだし、まさか学校みたいに年齢で決まるもんでもあるまい。せめて自分の場合はどうだったかを思い出そうとするのだが、全く思い出せないのはもどかしい限り。

ついでに。前にも書いたが、こうやって小さい子の面倒を見ると「私には母親は無理だな」と思う。「産めば意識が変わるよ!」という人がいるが、高々「持ち込んだ本は書き込みながら読みたい。書き込みながら読む場合は風呂で読めない。故に風呂の中で読む本がない。(風呂本は重いからって持ってこなかっただけ。)」ってことで、うーうー言う人間が365日人の面倒をみれると思いますか?自分の人生の面倒見るのにもこの調子なのに、人ひとり、育てる勇気なんぞ持てません…

 

 

久しぶりに池田晶子読んで、「これこれ!これーーー!」ってなったのでこんなことをつらつら書いてみた。やっぱりたまには読まないと、腐るわ。色々と。

References

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1 というより、私が熱めが好きなんだと思う。

徒然日記

茶人たちの日本文化史」を毎晩、前日の寝落ち寸前〜当日読んだ分をノートにまとめる作業をやってみた。これはこれで楽しい。ただ、「どのようにまとめればスッキリするか?」を試行錯誤しているので、なんとも取り留めのない状態になってしまい反省。ノートの2ページ目に突入した時は、余白が多めになりました…こうすれば次回似たような話題を読んだ時に追加で(色でも変えて)書き込みできるはず!

なんだが、次に読んだ本がなんとこれ↓。

 

本の余白に書く「マルジナリア」についての本。ちゃんと沢山書き込めるように、余白多めに製本されているし、内容が滅法面白い。夏目漱石は「マルジナリア狂人」らしいが、流石ツッコミも冴えていて「馬鹿ヲ云エ」「ナンダコノ愚論ハ」「コンナ長イ独言ヲ言フ者ガアル者カ」「ソーデスカ」などなど、容赦がない。私も本に書き込みはするタイプで、松岡正剛リスペクトのパイロットVコーンを本と持ち歩くようにしている。(なお、Vコーンは肝心の松岡正剛の「千夜千冊エディション(文庫)」だと滲むのだが、なんとかなりませんかね。角川ソフィア文庫様。)とは言え、線を引くことは多いが、余白に文字を書き込むことはあまりないので、まずは「ソーデスカ」レベルのツッコミからマスターしていきたい。…って、あれ?これノートいらなくね。まぁ、母上や図書館で借りる本を読むことも多いから、いいか…因みにこの本を読んで、「世の中にはグレーのマーカーがある」ということを知った。明日買ってみよ。

あと、その前に読んだ「へんちくりん江戸挿絵本」って本の「おわりに」が中々考えさせられるので引用しておきます。長い引用ですみません。

この時代には、出版と書物が普及したことによって、身分、職分よりいも知識や教養の程度による、ある意味で新たな階層的再編成が起こりはじめ、学芸、文芸その他の文化的活動とのかかわりの程度が出自で決まってしまうような状況ではなくなりつつあったのです。

P233

この時期に新たに書籍に触れるようになった読者たちは、こういうふざけた作品にも、娯楽だけではなく役に立つ知識や情報、ためになる教訓や教養を求めたようです。そんな読者たちを前に、それまでにあった自由な発想のうえに教訓が添えられる様をみてきました。(中略)

それでも、その大衆化の時代において、既存の知の形式を基盤としてそれと戯れるような読み物を求める層の裾野が広がったことの意義は見逃せないでしょう。当時の大衆的読者の需要を単純化していえば「おもしろくてためになる」ということになりますが、そのおもしろさを構成する多様な要素のうちに、既存の知識、知の形式を土台とした戯れが含まれたことで、その読者たちの知や学問への憧憬と意欲が喚起される面もあったことでしょう。

P234-235

自由な発想でさまざまな知識やその形式に戯れかかることがさかんに行われてきたにもかかわらず、十九世紀を迎える頃には、自国の神話や歴史という自分たちのアイデンティティにかかわる記述が大衆化のなかで絶対化されていく傾向を確認しました。いっぽうその外側の世界については、真偽を問わず怪しげな情報が積極的に再生産され、受容される状況が生まれたのもみてきました。(中略)

こと自国の歴史の問題になると、遊びが遊びでなくなり、笑いとして理解されなくなるということがすでに江戸時代に起こっていたということを指摘しておきましょう。

P236

…ううむ、どっかで聞いたことのある話だな!途中から教訓が追加されるのは大津絵の流れでもあったし。

全ッッッ然覚えられないの!

昔の私はエラかった…と遠い目をしてしまうほどに、最近の私は物覚えが悪い。多分、本はよく読んでいる方である。分野はバラバラとは言え、長いスパンで考えるならばマイブームは何度か周回しているし、1分野1冊みたいな読み方もしていないので、「覚えられないのは何かがおかしい」と薄々感じている。例えば、すんごい集中して読んだ二・二六事件の青年将校たちについて(影が薄いのは除いて)ぼんやり覚えている。…が、これが「統制派vs皇道派、そして昭和史における影響」ってなると、あ〜うぅ〜〜と頭を抱えて「永田、東條、荒木、真崎…ん?石原の立ち位置ってなんだっけ?統制派が強くなって…なって…で?具体的にどの出来事につながっていくんだ?」となる。ついでに言えば、バーデン・バーデンって単語は語呂が良いので覚えているが、そこにいた残り2名がさっぱり出てこないのだ。昭和史については20冊は余裕で読んでいるはずなのにっ!!と、歯軋りしても、どうやっても岡村寧次と小畑敏四郎の名前は出てこない。 [1]今、調べた。相沢三郎が永田鉄山を斬殺した状況は(無駄に)しっかり覚えているのに…

とまあぁこんな感じで、いかに自分の頭の中身がイケていないか?は自覚済みなので、いい加減次のステップに進まなければ、人としてダメだろう。なぜイケていないのか?そこを突き詰めるに「(だいぶ怪しいが)点では覚えているのだから、線と面をつなげればいい」ということに思い至った。と言うより、読むスピードがそこそこ早い分、目についた点を線や面にしないまま、垂れ流して次に進むから身につかないのだ。となると、点を拾って線にしていく他あるまい。幸い、いまだ大絶賛リモートワーク中なので定時後の時間は空いている。そこで前日寝落ち直前〜当日読んだ本の内容をメモしていけば、少しは頭に残るのではないか?

思えば大学時代の学習も、「予習でテキストを読む→授業でノートにまとめる→試験勉強のために読む→試験で記述する」という「読む→書く」のサイクルだった。だから多分、「第一次世界大戦と第二次世界大戦は一つの戦争とみなすべきかどうか?」とか「テロを実行するならば、大量破壊兵器のどれが一番効率的か?」とかそういう試験の内容をいまだにちゃんと覚えているのだ。このデジタルのご時世に手書きもなんだかなとは思うのだが、小学校5年生(つまり25年近く前)に手書き丸写ししたnewtonのイオ・トーラスについてはガッツリ覚えているのだから、私には手書きが向いている。あと、囲ったり線を引いたりするのはデジタルだとやりにくい。

…と言うことで、読書メモやってみます!という宣言でした。6年前になんか偉そうなこと言ってたけど↓、これもう無理。だって、覚えられないんだもん。 [2] … Continue reading

References

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1 今、調べた。相沢三郎が永田鉄山を斬殺した状況は(無駄に)しっかり覚えているのに…
2 とは言え、多分「THEマインドマップ」みたいなものにはならないと思う。そこまでの根性はない。しっかし、本当に偉そうだな。マインドマップに親でも殺されたのか、私は。

高山宏の「トランスレーティッド」と格闘中

今頃は実家で甥っ子と一緒に将棋を指して、ボロクソに負けているはずだった…のだが、お互い外出自粛で家から出れない。しょうがないので、ZOOM飲みしている父を羨ましく思った母に付き合ってLINE飲みしたり [1]どうもZOOMに対して未だ一抹の不安が抜けないため、LINEである。大して変わらない気もするけど。、エアコミケにあやかっていろんな人の絵を見たり、突然courseraでロシア史の授業にエントリーしてみたり、英単語を勉強したり、本を読んだり、月曜断食を始めたり、これらの合間合間にイヤイヤ仕方なくしょうがなくやむを得ず仕事したり、要は結構フリーダムに自粛生活を過ごしている。元々思いっきり温泉旅行とか海外旅行といった非日常的な遠出は好きだが、ちょっと新宿で買い物…みたいな外出はしないタイプである。つまりは今のところ「温泉行きたいー」という思いにさえ目を瞑れば、結構楽しく過ごせるはずで、その「結構楽しく」を実践した結果が上記の通り、節操のない状態なのだろう。因みに家に溜まってる教科書も読み込もうとしている。忙しくって自分が3人くらい欲しい!

さて、今読んでいる本は高山宏の「トランスレーティッド」である。916ページにわたり、高山節としか言えない言葉の奔流でパラドックスだとか道化だとかマニエリスムだとかが語られる、語られる。今まで英文学にノータッチだった我が人生、自分の知識では太刀打ちできない…けれど、解題集なので似たようなことが繰り返し出てくるからこれも勉強とフムフム読んでいる。出てきた名前を繋げていったらさぞかし面白いと思うが、すでに300ページ弱読んでしまったので、これからやり直すのはちときつい…いや、勉強ならばやるべきか…

 

それはともかく、何点か「おっ」と思ったことがあったので、ここにメモしておく。まず、この本の中で語られる世界というのは、実はこのブログで目指している世界に近いのではないか?ということ。まぁこれはちょいちょい文中に出てくる「驚異部屋(Wunderkammer)」からの連想というだけなんだが、(癖はあるものの)高山宏氏の学魔っぷりには実際憧れる。私の「驚異部屋」の発端は荒俣宏だが、まぁW宏は繋がっているので、無問題。プラス松岡正剛(と、佐藤優。毛色がだいぶ違うが最近は安田峰俊、山下泰平両氏も勝手に応援中)を加えた3学魔については、以前講演会の様子をアップしているのでそちらを参照ください。

高山宏単体については「超人 高山宏のつくりかた」を読んでの感想を以下の記事にまとめている。因みに「超人 高山宏のつくりかた」は今回「トランスレーティッド」を読み進めて、「今買わねば、いつ買うの!?」って気分になったんで買いました。(前回は図書館で借りてた。)10万円貰えるというのはなんと気を大きくすることか…

あと今まで読んできた中で一番「それーーーっ!!」ってなった箇所を引用しておきます。この「合わせ鏡の彼方にある語り得ぬもの」って、私の世界の見方と一緒ではないか!いやはや、全く同じ表現をする人がいるとはね…少し自信持てちゃうな。

多分パラドックスのもつ意味は、即ちわれわれに<彼方>の存在を自覚させることである。語りに語り、自己を狂おしいばかりに合わせ鏡に重々交映させながら、その巧緻精妙な言語構造(”Figurationen”)はいやが上にも己が<限界>をきわ立たせ、<彼方>に「語り得ぬもの」の存在をきわ立たせなければならないのだ。

P73

ここまで300ページ読んでも、後600ページある。学魔に囚われたお姫様役に戻るとするか…

References

References
1 どうもZOOMに対して未だ一抹の不安が抜けないため、LINEである。大して変わらない気もするけど。

テレワークと体重

テレワークについて引き続きつらつら書きます。本当にこんな変化、自分の人生で滅多ないからね。今回はタイトルの通り、テレワーク中の体重管理について。

当たり前なのだけれど、テレワークということは通勤(移動)分、体を動かさない。オフィス内でもちょっと他部署の島まで確認に行くか…!って歩いていたり、ちょっとランチ、ちょっとトイレ、ちょっとコンビニにおやつでも…というのが全部ない。そりゃ家の中でもトイレやキッチンまで歩きはするが、悲しいことに我が家は、10歩歩くかどうかで部屋の端までいけるんである。よく言えばコンパクト、普通に言えば狭いんである。こんな家に閉じこもっていちゃ、1日の歩数が200歩程度になるのも納得である。今までは最寄り駅まで片道2000歩だったのに!

これはいけないと、通勤時間がなくなった分余裕のできた朝に〜5キロ程度走るようにしているが、これもまぁ毎日じゃない。となると、重要なのは食べるものである。このご時世アウトプットを増やすのに限度があるならば、インプットを減らせばよいだけである。というわけで、食事の見直しをしてみた。なお、大前提として、私は一人暮らしであり、しかも1週間同じものを食べ続けることができる、一汁三菜どころか(一汁なしの)一菜だけでも構わない [1]それを学者の楠木健は「それだけ定食」と名付けていた。という、普段から極めて情けない食生活をしていることはご承知願いたい。

まず、出勤していた頃の食事は以下の通り。

  • 朝:紅茶、野菜入りスクランブルエッグ、ヨーグルト
  • 昼:肉・きのこマリネ入りサラダ弁当や外食
  • お昼のおやつ:ローソンのブランドーナツなど
  • 夕方のおやつ:バナナ1本
  • 夜:春雨スープなど(食べない時もある)

昼がサラダ弁当の時はこのメニューだと、ほぼ確実に痩せる。きのこと豆腐のマリネを作ったり、葉っぱを洗ったり肉を茹でたり、ちょっと仕込みがめんどくさいが、美味しいしボリュームも抜群なので、本当に神のような弁当である。ただし、同僚とランチを食べに出ることもそこそこあるので、それで帳消し。夜は家に帰って食べると21時頃と遅くなるので極力食べないようにはしていた。飲み会はあんまり行かないタイプ。 [2]誘われない、というのもまた正しい。

テレワークを始めた当初から運動量が落ちるのは目に見えていたので、食べる量は減らしていた。そして、コンビニにもいけないような格好で仕事をしているので、「おやつを食べたい⇒コンビニに買いに行かなくては⇒着替えなくては…」というのがめんどくさくなって、結果おやつも減った。これはいいことなのか、単にダメ人間である証明なのか…何れにしても、食べる総量は確実に減ったと言えそうである。ただ、これだけではダメなのだ。「朝普段通りに食べる。昼食べる(少なめ)。夜食べる(少なめ)」では、夜ご飯の消化が間に合わないのである…

ということで、体重計とにらめっこした結果、インターミッテント・ファスティングを実践することにした。詳しい?情報は以下の通り。要は1日の中で食べない時間を伸ばしましょうということである。(1週間の間2日間断食というやり方もある。月曜断食とかはこっち。)

https://www.womenshealthmag.com/jp/diet/g50202/i-tried-intermittent-fasting-for-a-week-20180304/

で、今の食事は以下の通り。

  • 朝:紅茶
  • 昼:サラダ弁当、肉野菜炒めなど。+餅2個
  • 夕:ヨーグルト
  • お口直し:梅干し、甘酒

朝は紅茶のみ。本当は紅茶もNGなんだろうが、「朝は紅茶」と私の中で決まっているので、紅茶は絶対に飲む。で、お昼の時間まで我慢して、お昼はメインのおかずというかサラダを一皿に、最初の外出自粛の時に勢い余って買ってしまったお餅を時間をあけて12時〜15時くらいに食べている。で、夕方17時くらいに、今まで朝食べていたヨーグルトを食べて、あとはひたすら我慢である。どうしても口寂しい…という時は、蜂蜜梅干しか甘酒を飲む。うーん、パーフェクト!って言いたいけれど、これだと朝食べていた卵の行方が無くなったのと、餅の炭水化物がよろしくないので、餅のストックが切れ次第、茹で卵に変更予定。

これで多少体重減るかな〜という感じ。餅がなくなればもうちょいイイ感じになるだろう。一応今更ながら説明しておくが、私は標準体重より重いので痩せても問題ないし、大体もうそろそろ代謝の悪くなるお年頃なのだ。痩せていて若い人たちは真似しないように。

最後に。最初に「アウトプットを増やせないなら、インプットを減らせばいいじゃない」と言ったが、増やす方法はちゃんとある。家の中で筋トレやら有酸素運動をすればいいのである。ただこれも「着替えるのが面倒」というダメ人間にはハードルが高い。やはり私は「走るぞ走るぞ〜!」とモチベーションを上げてから、バッと着替えて、ダッと走って、あとはダラけるのが性に合っているみたい。それでもスクワットくらいはしようかな…とは思っている。

References

References
1 それを学者の楠木健は「それだけ定食」と名付けていた。
2 誘われない、というのもまた正しい。

徒然日記

新型コロナウィルスである。というか、もう新コロしかないんである。苦手なマスクを付けたり、リモート環境のエクセルの扱いにイライラしたり [1]これは、家のPCがMacなため、マウスにスクロールがついてないとか些細な点に問題があるため、改善できそうではある。、通勤時間分本読めなくなると気がついてしまったり、テレワークの場合どのように定時を死守すれば?と悩んだり、そういう日々を過ごしております。あと、全然関係ないけど、実家との本の被りが激しいので、このブログを共有するかも悩み中…

と、今夜は不真面目でしかない悩みを抱えながら読んでいる本のご紹介。

Amazonで「死とは何か」で検索してもシェリー・ケーガンの本ばかりだが、 [2] … Continue readingこちらは歴史学の視点で、中世以降の死を扱っている。殉教者のイメージが消えて、聖人たちが平穏に死を迎えるにつれ、復活のイメージも変わってきたり、など。著者はフランス人アナール派に連なるお方。なんとなくそういう感じの文章である。デカい・重い・(お値段が)高いの三重苦本だが、人々が死をどう扱っていたかに興味ある人にはおすすめ。もちろん、西洋の話です。日本の死生観について、歴史的にまとまった本はないのかな。同じ時代で照らし合わせて読んでみたい。

こちらも別にそういうつもりじゃなかったけど、最近の状況にぴったりなタイトルの本。お風呂本として読んでます。ビジネススクールの教授だからだろう、最初の方に収録されている書評や解説にちょっとめげそうになるけれど、一介の会社員としては、たまに「おっ」ってなる部分がある。「一生懸命働くのではなく、賢く働く」「自尊心が強い「大きな私」は、常に飢えに苦しむ。」など。聞かせてやりたい、やつがいる。合間あいまに差し込まれる軽ーい調子の読書案内(?)読書スタイル案内(?)も結構面白い。

こういう時期だからこそ、本をバリバリ読んで行きたいな。で、落ち着いたらどこか電車にのって温泉に行き、やっぱりノンビリ本を読みたい。心置きなくそういうことができる日が早くきますように!

References

References
1 これは、家のPCがMacなため、マウスにスクロールがついてないとか些細な点に問題があるため、改善できそうではある。
2 とは言え、検索1ページ目に池田晶子の本が出てくるのでよしとしよう。ちなみにイェール大を馬鹿にするわけではないが、私はどうもこの本は胡散臭いと思っている。

突発性難聴入院記まとめ

主に仕事がらみで考えたことです。noteからの転載。入院記へのリンクをひとまとめにしたのはこちらからどうぞ。

今回、耳がおかしいと思って速攻耳鼻科に行ったわけだが、実は私はそう診断されるまで「突発性難聴」という病気を知らなかった。有名人でも発症した人が多いので、多分単語として見かけたことはあったんだろうが、自分の頭の辞書には載せていなかった。それくらい自分には関係ないと思っていたのだろう。が、なってしまった。それ故、診断直後はかなり慌てたんだが、それでも考えていたのは「仕事は休めない・・・」である。今思えば極めておかしい思考回路だ。そんなこと考えているから、難聴になるんだよ!と過去の自分に言ってやりたい。とはいえ無駄に思い切りもいい方なので、母の勧めと「後悔がないように」という先生の言い方(入院も選択肢としてあり、という言い方)で吹っ切れて、8日間の入院を決めた。

結果としては、それが正解だったと思う。先生は内服薬よりは点滴の方が効くと言われていると言っていたし、実際入院後半で初めて知ったが、自分の聴力は90Dbレベル近くまで落ちていた重症で、しかも(治りにくいだか珍しだかちゃんと覚えていないが)高音域が聞こえないタイプ。挙句、毎朝点滴をしてから出社しても、点滴時間やら待ち時間やら考えると、結局会社で働けるのは15時以降で点滴治療中というのに残業しまくることになっただろう。出社しないにしても、一人暮らしなので家にいる買い物や調理など細々したことをしなくてはならないし、何より家にはPCがあって、それはつまり会社のPCにリモートで繋がってしまう。全てを振り切って安静にするには入院しかなかったのだ。

ただ、入院前日にそのことを報告した時は「入院するの!?」という反応が多かった。「突発性難聴になっちゃって〜」っていうと「自分も過去になった!」という人が結構多く、そんな人ばっかりいる会社もどうかと思うんだが、とにかく入院までする人はいなかったので、「大げさな・・・」という空気はあったように感じた。もちろん、それは突然入院する負い目からの被害意識かもしれないけれど。

繰り返しになるが、仕事をぶん投げて入院したのは正解だったと思う。先生に「入院するほどではない」と言われたわけでもなし、発病の原因とも言われる「ストレス・過労・睡眠不足」は全て仕事から来ていたのだし、何より普通に考えて、我が人生においての重要度は「耳が片方聞こえない数十年>仕事」なのだ。ストレスと過労と睡眠不足でヘロヘロの脳みそだとそれでも仕事が・・・とか思っちゃうんだけど、でもどう考えても「耳=自分の体>仕事」なのだ。実は、人の声は支障なく聞こえていたので、特段不便を感じたわけではないのだが、それでも体温計の音が聞こえないのは恐怖に感じた。電子音が聞こえにくいというのは、今後地震とか緊急時に問題があるのではないか?一人暮らしなのに!?と考えてしまったのだ。突発性難聴は入院すれば治るというものではないが、最善を尽くさず、後で後悔するのは嫌だし、絶対後悔するのが目に見えたので入院した。

結局仕事も(チームメンバーは大変だったろうが)つつがなく回っていたし、体調管理のやり方を大きく見直す良い機会になった。睡眠不足を防ぐには残業をしないのが重要だし、そんな風に働き方を変えなければならない。まだそれは改善中だが、とにかく自分の中で「あ、自分の人生において、仕事はそんなに大事じゃないな」って気付けたのが良かった。もちろん、食べていくには仕事をしなくてはならないが、片耳の聴力失うほど、しかもそれちゃんと治さないほど仕事するのもバカだな、と。

右耳の調子は未だ完璧に治ったとはいえない。もしかしたら、これくらいで満足しないといけないのかもしれない。でも入院して、毎日点滴して、安静にして、その結果なのだからこれ以上はどうしようもない。人生の優先度もわかったし、私は満足している。


noteに書かなかった入院がらみの小話を追記。

1)入院中、看護師さんと雑談してた時に「働き始めてから初めて、自分のために健康保険料払っててよかった!って思ってます。病院あんまり行かないので・・・いままでは祖母の薬代だと思って払ってました。」といったら爆笑された。入院預かり金として10万払ったが結局返金があったし、まさかの保険カバーで5千円/日支払われたので、実質5万くらいで済んだ。

2)病院は元号を使ってる。会社では西暦メインなので新鮮だった。令和になったので、大したことない資料は手書きで修正されてた。

3)会社に前年以前に使い切れなかった有給を「いざって時」に使える仕組みがあるのだが、そして入院は「いざって時」って聞いていたのだが、利用できなかった。その理由は「私の今年度の有給が20日以上残っているから」!もうバカかと・・・そういうとこだぞ、私が突発性難聴になったのは・・・と思う。ほんとバカか。

徒然日記

15年前に留学して以降、今までMacのラップトップ型を2代使っていたが、最近は持ち歩くことが滅多にないので、今回エイヤッとデスクトップに買い換えた。画面が大きいので、会社PCにリモートで繋いでも文字がはっきり見える。今まで文字が霞んでいたのは、冗談抜きでモニターのサイズの問題だったようだ。(わりかし真面目に他の理由だと思っていて、会社でも「モニターが小さいのかしら。あはは…」と冗談にしていたが、意外と単純な原因だった。)逆にこのブログの編集画面やブログ自体の横幅は、小さな画面に慣れているので、空白があったり、なんだか文章が間延びしていたり、変な感じ。まぁ、書く方はともかく、読む方はほぼスマホだろうから、問題ないと思うが…ちなみにモニターがでかすぎるので、未だ適当な距離感がわからない。

さて、そんなこんなで新しいPC環境になったし、なんだか楽しくなってきた私はnoteを始めた。Twitterでも呟いた通り、ネタ不足…というより、ネタ探しをロクにしない自分のために、お題に沿って書くと良いかも!というモノグサ根性からである。これでネタ不足問題は解決できそうなんだが、次なる問題はこのブログとnoteとの兼ね合いである。noteの方が他者との繋がりやすいだろうが、このブログを放置するのももったいない。というわけで、とりあえずnoteに無料でアップしているものは1週間くらい経ってこっちにもアップするし、こっちの過去記事で自分のお気に入りのものはnoteにもアップしようと思う。ただし、実験的にnoteで有料にしているものに関しては、無料設定にしない限り、こっちにはアップしない。これでどうだっ!

突発性難聴入院記まとめというわけで無駄に有料。(今のところ) なんか恥ずかしくなったんで、速攻無料に変えました。あー、恥かし。

話題を変えるが、今日は地下鉄博物館へ行ってきた。甥っ子のお供である。ので、個人的に興味深い部分(地下鉄用トンネルの掘り方とか)は素通りで、ジオラマとシミュレーションとスタンプラリーに歩き回っただけなのだが、9つ集めると景品がもらえるというスタンプは、最後のやつがなかなか探せなかった。最終的にグーグル先生に助太刀願って、なんとか探し出した始末。あえてヒントをいうならば、最初が肝要、だろうか…さりげなーく置いてありました。

さらに話題を変えるが、私の読んだ本リストの更新を追っている奇特な方はすでにご存知だろうが、最近また十二国記ブームである。10月に新刊が出るのだから、しょうがない。新刊の発売時には有給か半休を取ろうと思っているが、発売日当日に取った方が良いのか、翌日に取った方が良いのか、地味に悩ましい。とにかくそれくらい楽しみにしている。泰国の話ときて、楽しみにしないファンはいるまい。あぁ〜、楽しみ!!

さぁ!今すぐ!
予約したまえ!

突発性難聴入院記 DAY8(9月4日水曜日)

注意その1:以下は私の主観ですので、突発性難聴が必ずしもこう!とか、この症状!って断言するものではないです。先生の説明も鵜呑みにしないでください。(一語一句覚えてメモしているわけじゃないし。)

注意その2:基本、あからさまな個人情報、誤字脱字の修正以外は、入院時に書きつけたノートそのままです。後からの追記は注釈にしています。


0645:最終日。やっと針が抜かれる。まぁ点滴後だけれども。fitbitの充電器を忘れていたことが判明。まぁいいか。1週間針が邪魔がつけていなかったし。(左手につけるのは、それはそれで邪魔。 [1]左利きなので。

MRIのタイミングが未だ謎だが・・・荷造りはしておくか・・・

家に帰ってあれを買いたい、これを見たい、とやりたいことがたくさんあるが、とりあえず今日はゆっくりしよう。ごはんはがっつり食べたいが・・・

【使うと思って持ってきたけど、使わなかったもの】

  • フォーク:箸があれば何とかなる。
  • 院内用靴下:履物としてUGGのローファーを持ってきてたので不要だった。
  • カーディガン:針が刺さっているので着れなかった。
  • ティッシュ:元々そんなに使わないタイプだったし、ペーパータオルがあるので。 [2]シンクがあれば必ずペーパータオルが置いてあった。

【もっと持って来ればよかったもの】

  • お茶:意外と三食以外に出てこないので持ってこないと無い。 [3]病棟に自販機はなく、ローソンまで行くのも面倒。
  • お水:上に同じ。重いので院内で買う方がよい。
  • 下着:コインランドリーは空いていなかったり、時間がかかったり、面倒。そんなに行けないので多めに持ってきた方がよかった。(途中で母に買ってきてもらった。)
  • 本:足りなかった・・・軽い本の方が読みやすい。寝ながら。

【その他気づき】

  • ブラトップは着ている時は確かに楽なのだが、針が刺さったままの状態で脱ぎ着が面倒。
  • フェイスパックでも持って来ればよかったかもしれない。コットンパック。
  • こんぶ茶様様・・・!塩分が足りない1週間だった気がする。
  • 同室に恵まれた。本当に静かな子で助かった。

1229:MRIは点滴中に行ってきた。ブラをつけてしまったので、また知恵の輪みたいに考えながら外すことに。待合室でMRI用の点滴棒に変えたが、結局は天井から吊るして撮影だった。棒を移し替えた意味はどこにあるのだろう?やはりガーガーうるさい。 [4]昔、2回ほど受けたことがあるんです。MRI。造影剤はなし。まぁ、そっちの方がこっちも楽。点滴打ってるし、針二本は辛い・・・左耳しかガサガサ音がしなかった。耳垢でも出たのか?MRI室はえらく寒かった。病室のスタッフが先にトイレ行っておけという意味がよくわかった。

ごはんはカツ!先行きよし。

点滴を外してもらってびっくりしたこと。入っていたのはプラスティックの管だった。入れる時には針で通し、針はその後に押し込まれるというか、引かれるというか、とにかく体外のケースの方に入っていたらしい。となると、なんであんなに攣るような痛みが・・・?と疑問だが、それはその針のケースが皮膚を押して、すれてしまったからっぽい。現に外した後の腕を見ると、ケースが当たっているところ2箇所がちょっと化膿している。ガーゼでも当てていればこんなに痛くなかったかも・・・点滴ケース業者に改善を求む。

片付けは全て終わった。家に帰ろう。

References

References
1 左利きなので。
2 シンクがあれば必ずペーパータオルが置いてあった。
3 病棟に自販機はなく、ローソンまで行くのも面倒。
4 昔、2回ほど受けたことがあるんです。MRI。